育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで男の子・ママ29歳〜30歳(25人)

育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで男の子・ママ29歳〜30歳(25人)


【強烈な思い出】
2ヶ月を過ぎた頃に、近所にお出かけをするために抱っこ紐に息子を入れて、抱き上げようとした際に、息子が初めて声をあげて笑ったのが忘れらないです。
それまで何となくの微笑はあったものの、いきなり声を出して笑ったことにとても驚きました。
隣にいた夫とも、「今、声を出して笑ったよね?!」と思わず確認しあってしまうほどでした。
その後成長していくにつれて、とてもよく笑う子お調子者の子供になり、その兆候はこの頃からあったのかなと思います。
今も抱っこしたり高い高いをするたびに、初めて声を出して笑った人光景が思い出されます。
【当時】
29歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
まだまだ新生児のころ、沐浴中に起きていたのにすこしずつ目をつむっていって、とっても気持ちいい〜って口をとがらせて寝ていった顔は忘れない。
まだ里帰り中で祖父母も一緒にその表情を見ていたけどとても幸せそうな顔をしていて、赤ちゃんのこんな表情を見れて自分も幸せだと思ったのと同時に、うれしそうな祖父母を見て親孝行できたかなとも思った。
そのときに写真を撮ったけど今でも何度も見るぐらいお気に入りの写真で幸せな気持ちにさせてくれる。
あとは小さな赤ちゃんのくせに、大きなおならを四発ぐらいしていたこともとても笑わせてもらった。
【当時】
29歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
私の実家は古い建物で屋根がすごく低くて身長が高い人だと頭をぶつけてしまうような家ですが、ある日、父が赤ちゃんを抱っこしてあやしていたところ、実家の低い天井に赤ちゃんの頭をぶつけてしまうというアクシデントに見舞われてしまいました。
赤ちゃんはあまりの衝撃にすぐには泣き出さなかったが、しばらくすると、いままで見たことも聞いたこともないようなすごい声で泣き出してしまいました。
すぐに、頭をひやし、すぐに病院に搬送したため大事には至りませんでしたが、父の落ち込んだ顔が今でも思い出されてなりません。
今となれば、強烈な思い出です。
【当時】
29歳・介護福祉士




【強烈な思い出】
朝、仕事に行く夫を玄関で見送るタイミングでおむつ替えをしていた私。
おしっこだけしていたので、ささっと替えてしまおうと思った矢先に、思いっきりウンチをされてしまった。

あまりの衝撃に固まる私と夫。
赤ちゃんは朝からウンチが沢山でてさっぱりした表情をしていた。
もう、家を出ないと間に合わない状況だったので夫は申し訳なさそうにしていたが、『大丈夫。
とりあえず何とかするから、いってらっしゃい笑』と見送った日が今でも忘れられません。
心を無にして片付ける忍耐力がつきました。
当時、布団を並べて家族3人川の字に寝ていたので、その時奇跡的に大人の毛布や敷布団が汚れずに済んだのが不幸中の幸いでした。
赤ちゃんをキレイに拭いてあげて、着替えさせてあげてから離れたところに寝かせて、その後はひたすら掃除と洗濯をしていました。
ベビー用の洗濯洗剤や、ハイターがあると何かあった時にすぐ除菌出来るので便利です。
【当時】
29歳・客室乗務員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
8ヶ月の頃、熱性痙攣を経験しました。
そもそも熱が出てることも気がついていませんでした。
当時は熱性痙攣も知りませんでした。
急に体の中の臓器が崩れるようなドロドロと言った音がお腹全体からなり、人形のように体が固くなりました。
抱っこするのも怖いくらいとっても体が固く、死んでしまったとパニックになりました。
すぐに救急を呼びました。
病院に着く頃には意識が戻っていたので少し安静になり帰宅しました。
しかし帰宅後また体が固くなってのでまた救急車を呼び、そのまま入院になりました。
1週間ほど入院し元気になったのですが、入院中も毎日病院に通うのも大変でしたし、面会時間が限られていたので一緒にいてあげれないととても辛い気持ちでした。
【当時】
29歳・主婦




【強烈な思い出】
1歳5ヶ月ころに自宅のソファーであそんでいた際に、肘内障になりました。
跳ねて遊んでいたなど、激しく遊んでいたわけではなく、座ったりつかまって立ったりしながら、スクワットのような動きをしていて、ソファーの高さも低いもの(20cm程度)だったので私も近くで見守る程度でそれほど心配もしていませんでした。
息子が、こちらを見ようとしたか、テレビを見ようとしたのか、ふとした拍子に振り向く動きをした際に、ソファーの上でコテッと転んだので、体勢を直そうと手を伸ばすと、大泣きしたので驚いて泣いているのだろうと、落ち着かせるために抱っこしました。
しかし10分経っても泣いている息子。
普段そんなに泣くこともないのにおかしいなと思っていると、肘をなでるしぐさをしていて、腕がダランとしていました。
慌ててタクシーを呼んで整形外科に行き、一瞬で治してもらって事なきを得ました。
たったあれだけのことでも肘が外れてしまうのかと反省しました。
【当時】
29歳・専業主婦




【強烈な思い出】
我が子は誰にでも抱かれ人見知りがなかったので、逆に母親という認識はいつできるのかな?と不安に思っていたのですが、やっと認識をしてくれるようになりました。
それが嬉しくもありその時は泣いてしまったので驚きも同時にありました。
周りに人がたくさん集まってくると我が子は驚いた様子でうちのリビングなのに下に降りることも嫌がりました。
その時にぎゅっと握られていた手が可愛く、とても愛おしいな?と思いました。
我が子にも人と母親との見分けがつくようになり、成長も愛おしくて、最近のことではありますがそのシーンが鮮明に頭に残っています。
【当時】
29歳・介護福祉士(育休中)




【強烈な思い出】
まだ本当に赤ちゃんの頃。
言葉もなにもわからない、何も悪い事などしていないはずの我が子がなかなか寝てくれないというただそれだけで、わたしの体力と気力が限界に達し、ものすごい剣幕で怒鳴ってしまったことがあります。
同時期、離乳食がはじまり、吐き出しはしないものの固く口を閉じてなかなか食べてくれない泣いている息子の口に、無理やりにでも食べ物を押し込むようにして食べさせようとしていた時期がありました。
1回の食事に1時間以上もかけて。
今考えるとどれも異常です。
そして本当に申し訳ない事をした、と思い出しては胸が痛くなります。
【当時】
29歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生後2ヶ月ごろのことですが、2日ほどうんちが出ないことがあり、綿棒浣腸をしてみたところ、オナラと一緒に大量のうんちが飛び散り、私の服や身体までうんちまみれになってしまいました。
あまりのことに私は呆然、隣にいた夫もびっくりしていました。
夫は笑いながら動画と写真を撮っていました。
そんなことより片付けを手伝ってほしいとイライラしましたが、今となっては笑い話に近いです。
その時着ていた服はどうしてもシミが完全には落ちず、残念でしたが処分しました。
赤ちゃんのうんちってあんなに飛ぶんだなと衝撃的な出来事でした。
【当時】
29歳・デザイナー(育児休暇中)




【強烈な思い出】
喃語ばかり話していたのに、
以前子供が、『保育園の先生から昨日パパとママと一緒に何したのかな?』と質問された時に、『パパ、ママ、ブーブー』(パパとママと車でドライブしたよ)と答える事ができた事。
つい1年くらい前はオギャオギャ泣いておっぱい飲んで寝てるだけだったのに、
いつの間にか大人が質問してきた事を理解して受け答え出来るようになっていたので、
成長したんだね〜と夫婦でとても感心した。
言葉の発達が周りよりゆっくり気味だったから心配していたので心がホッとして嬉しくなった。
これからの成長がより一層楽しみになった。
【当時】
29歳・サービス介助者




【強烈な思い出】
ものすごく繊細な赤ちゃんで、何かあるとすぐ吐くほど泣いてた。
そんな姿を見るたびに、私が守らないといけないと感じた。
周りの大人は、私のことを、過保護とか、気にしすぎとか責めたけど、今になって思うのは、私は間違ってなかった。
これは本当にそう思う。
母親の勘っていうのは絶対に間違ってないと思う。
もしそれを否定する人がいたとしても、それを否定した上で、助けになってくれるような何かがない場合、自分の勘を信じるべきだと思う。
今その時の赤ちゃんが小学生になって、発達障害の部分で戦ってる。
思い返すとあの時…ていう赤ちゃんの時の出来事が山ほど出てくる。
みんな「考えすぎ」って私を責めたけど、そんなことはなかった。
今息子は私だけしか信じられる人がいないって言う。
全部、繋がっていると思う。
母親の勘、これは本当に大事。
【当時】
29歳・専業主婦




【強烈な思い出】
赤ちゃんの時にアパレルブランドのモデルをさせてもらえる機会があり、パンフレットに載せてもらってとても良い思い出になっています。
たまたま姉の友達からの紹介で、モデルをしてもらえないか?と依頼をいただいて、参加させてもらいました。
普段から、道を歩いていたり、電車に乗っていたりすると、「かわいい赤ちゃんですね!」と声をかけていただく機会も多く、抱っこ紐で抱っこしている時は、ニコニコ笑ってご機嫌さんだったのを覚えています。
普段、家での育児は本当にしんどくて辛いものでしたが、こうやって可愛いねと声をかけて下さる人がいたり、モデルをさせてもらう機会があったりと、息子のおかげで、体験した事のない事をやらせてもらえて、嬉しかったし、育児を頑張ろう!と活力をもらえました。
【当時】
29歳・専業主婦




【強烈な思い出】
育児中の強烈な思い出は、子供が高熱を出してぐったりしていた時です
病院の救急に行き高熱の息子を連れたまま3時間待たされた挙句、熱さましだけらって返された時は本当に辛かったです
水も飲まない寝るれない熱も下がらない状態で3日間、不幸にも三連休中だったので救急しかない。

#8000番に何回もかけました!
結局連休明けに病院に行けてちゃんとした薬をもらえたのと、浣腸をしてもらって一週間かけてよくなりました
そのほかにも急に手と足と顔に大量の蕁麻疹が発生して夜中にもとても痒そうで何回も起きて泣いていた時もとても心配でした。
一回目の事件で救急に行ってもあんまり意味がない気がしていたのでまず#8000で状態を説明して必要なら救急に行こうと思い電話してみたら、次の日病院で大丈夫と言ってもらえたのでその指示に従ったら手足口病で大したことなくて安心しました
【当時】
29歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
当時メゾネットタイプのアパートに住んでおり、リビングのドア一枚隔てたところに階段があったのですが、子供がハイハイをするようになったばかりの頃にそのドアが不注意で開けっ放しになってしまっていて、子供が階段から落下しそうになったときのことが今でも強烈な思い出として残っています。
階段を落ちる直前で駆け寄り抱きかかえられたのですが、あのときの心臓のバクバクは今でも鮮明に覚えています。
あと少し気づくのが遅れたらどうなっていたか、と考えると今でも怖いです。
ハイハイをするようになったばかりだということもあり、油断していたことをとても反省しました。
それからすぐに階段に取り付けられるベビーゲートを購入し設置しました。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
うんちのトイトレ中(2歳)の話ですが、うんちをパンツにしてしまったときにひどく怒ってしまったのですが、その後本人はケロットしていたのでそこまで気にしていないだろうと思っていたときのことです。
その日の夜中、寝言で「パンツにうんち出ちゃった0」といきなり言ったのを聞き、そんなに気にしていたのだとはっとしました。
子どもは怒ってもまた同じことをしたりするのですぐ忘れてしまうのだと思っていましたが、2歳でもしっかり記憶に残るくらいショックを受けることを知りました。
それを夫に話し、人に迷惑をかけること以外はそんなに怒らないようにしないといけないねとなりました。
ひどく怒らないようになったら、友達のおもちゃを無理やり取ったりたたいたりしなくなりました。
【当時】
30歳・保育士




【強烈な思い出】
子供が2歳半のときにナッツを食べてアナフィラキシーショックになりました。
嘔吐・ぐったり・充血で救急車で運ばれ、検査しました。
1泊2日の入院をしました。
子育てに慣れてきて、なんでも食べられるようになり、離乳食の時のような慎重さも忘れていたころなのでハッとしました。
母親としてちゃんとしていなかったと自分を責めました。
それ以来、食べ物にはとても慎重になり、初めて食べるものは少量・土日以外の日中に食べるように心がけています。
ほんの少しのことで大事になってしまう恐ろしさは忘れられません。
子供も覚えているようで、子供自身も慎重になっています。
家族が近くに住んでいたので急な入院でもなんとかなりましたが、近くに頼れる存在がいることが、いざとなったときにとても重要だと思いました。
【当時】
30歳・会社員




【強烈な思い出】
両親が日本から一度遊びに来てくれて赤ちゃんをだっこしてくれた時はああほんとに頑張って良かったなあと思って涙が出た。
それから母親にいろいろと悩んでいることを相談することが出来て、しっかりできているから自信もってやりなさいと言ってもらえた時は本当に嬉しかった。
不安感が消えたわけではなかったけど、そういう嬉しい出来事があるから頑張れたと思う。
夫の仕事が落ち着いているときに初めて赤ちゃんを連れてちょっと奮発していいホテルに宿泊した時もとてもいい思い出。
ホテルの人たちがとても赤ちゃんにやさしくて水でもタオルでも荷物でもこちらからお願いしなくてもなんでも助けてくれた。
【当時】
30歳・無職




【強烈な思い出】
はじめてあやして笑ったときはとても嬉しかったです。
自分のしたことに対して、笑ってくれるのはとても嬉しいですし、特に音楽に合わせて踊るとキャッキャと言って笑って、手足をバタバタさせれ喜んでくれるので、見ていてとても嬉しくなります。
また、親戚の集まりに連れて行ったときは、アイドル状態でいろんな人が抱っこしてくれ、可愛いという言葉をかけてくれました。
子どもも楽しそうにしていて、嬉しかったです。
祖父母にはひ孫を見せられて本当に良かったという気持ちになりましたし、子育てを頑張っているところを見せることができたので、良かったと思います。
【当時】
30歳・会社員、育児休暇中




【強烈な思い出】
子供が生まれて1ヵ月くらいたったころ、
スーパーへ買い物に行きました。
子育てを終えたという年輩の女性が、
私の近くに寄って来て、アドバイスのような
ことを言ってきたのです。
「赤ちゃんは小さいから病気をしたらすぐに
危険な状態になる」

「免疫力が徐々に落ちていき、病気をたくさん
もらってくる」

「感染症が一番怖いから気を付けて」
こんなアドバイスを、見ず知らずのマダムに
されたのですが、初めての育児でメンタル不調
だった私は、子供が病気になることに対する
恐怖感が増してしまいました。
慣れない育児に加えて、子供が病気にならないか
を常に気遣い、何度も実家の母に電話で相談して
いました。
しかし、病気が怖くてたまらなかったので、
強迫観念に襲われるように、子供の手を
ウェットティッシュでこまめに拭くなどの
対策をとっていました。
ある日母が私に
「赤ちゃんの手には犬の毛が付いている
かもしれないけれど、それを飲み込んでも
病気にならないから気にし過ぎてはいけない」

と気楽に言ってくれたことをきっかけに、
恐怖心は徐々に薄れていきました。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
予防接種が数回目の時にベビーカーに乗せて病院に向かっていた時のこと、角を曲がってからの病院だったのですが、何を思ったのか、曲がり角に差し掛かったところから、ベビーカーに乗ったまま、大きな声で泣きだす始末。
通行人も何かあったの?というような感じで見てくるし、何よりも病院に入ることに一苦労。
受付するために子供を連れていかなくてはいけないのに、中へも入れない。
いつもの看護婦さんが見るに見かねて診察券などを受け取りに来てくれて、診察もぎりぎりまで外で待っていて泣きながらの予防接種。
ところがその日は予防接種が終わったら何もなかったかのように泣き止み、接種後の観察時間にはニコニコしている?どっと疲れたことを覚えています。
【当時】
30歳・お店をしている主人の手伝い




【強烈な思い出】
病院からもらっていたK2シロップを退院後3週間飲ませ忘れたこと。
毎週1回飲ませないといけなかったのに、すっかり忘れていた。
脳内で出血が起きた時に、血を止める働きをする成分が入っているらしく、飲ませ忘れに気づいた時は真っ青になり、母親失格だとかなり落ち込んだ。
産院に飲ませ忘れたことを報告し、どうすべきか相談したところ、昔はなかったものだから、そんなに影響はないと教えてもらって、ホッとした。
両親もネットでいろいろ調べてくれたり、不安がっていたが、この結果を聞いて安心していた。
これからはこんなミスをしないようにしっかりしなきゃと思った。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
噂では聞いていたが本当に街中を歩いていると知らないおばさんに、母乳で育てているのか?と質問を何回か受けたことが強烈だった。
ミルクでも母乳でも子供が元気に育つのは分かりきったことだが、世の中には母乳信者がまだ多いのだなと改めて実感した。
最初はお子さん可愛いわねと他愛もない会話で話しかけてきたのち、ところで母乳で育ててるわよね?絶対母乳の方が子供にいいのよと思想を押し付けられたのをよく覚えている。
初めての育児だったので母乳の重要性等は気にしてしまう。
もう一つ強烈な思い出として母乳育児を推奨する教室がある。
生後すぐに家の近くに母乳相談室があったので母乳量を増やしたい気持ちで気軽に訪れたら、豆類や海藻を中心としたストイックな食生活や夜中も含めた3時間おきの授乳(量が出てない私は赤ちゃんが泣く間は3時間等は関係なくずっと乳を咥えさせておかねばならない)という指導に、今まであげていたお乳はそんなにまずかったのか等々考えさせられかえって精神的にきてしまい泣きながら帰宅したのを覚えている。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
産まれて1か月で実母が他界し、3か月で祖母が他界し、、5か月のころに夫が原因不明の病気で倒れて入院することになったことです。
7か月の時に東日本大震災を経験。
実母の他界は想定していましたが、祖母と夫の件は想定外だったので、当時は呪われているのかと思いました。


夫の入院と休職については、義母のサポートを得ながら、交代で見舞いにいくなどをして対応しました。
泣いていられないような状況でしたが、わが子の笑顔には癒されることが多く、彼のおかげで乗り越えられたのではないかと思っています。
今でも振り返ると壮絶体験だなと思います。

【当時】
30歳・正社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
顔はかわいい息子だったので、連れ歩くと知らない人々に「あら、かわいいわね。
お顔見せて。」
と毎日声をかけられました。
荷物と息子をかかえて電車に乗ろうとしたときに、年配の男性がベビーカーを持ってくれたり、中学生が席を譲ってくれたり、人の優しさを感じることは多かったです。
1歳になる直前にノロウイルスに感染し、1週間毎日白いげぼをはきまくったときが一番きつかったです。
夫はうつってトイレから出られなくなり、買い置きのオムツもなくなり、授乳するとげぼをしてしまい、病院に行っても吐きまくって周りに迷惑をかけて、布団は全部使えなくなりました。
毎日洗濯して、寝具も乾かず途方にくれました。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生後7ヶ月の時に「腸重積症」になり、一日緊急入院をしたとき。
朝異常なほど泣く、ぐったりする、嘔吐を繰り返しこれはいつもと違うと思いかかりつけ医に行き診てもらった結果、至急大きな病院に行くよう言われすぐに紹介状を書いてくれた。
その日はたまたま主人がいたため、冷静でいられたけれど、私一人だったら不安で不安で仕方なかった。
大きな病院に行き、浣腸をしてもらった結果、血便が出てエコーで検査してもらい「腸重積症」と診断を受け、圧をかけて腸を元に戻す処置をしてもらい一日絶食で入院となり私が付き添った。
ずっと点滴をされており、いつもと違う環境のためベットに子どもをおくとずっと泣きっぱなしで大変だった。
目が別人のように腫れて顔が面白かったので、写真に残している。
次の日にはすっかりよくなっており、何の制限もしなくて大丈夫と医者に言われ、ホッとした。
【当時】
30歳・主婦