育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで男の子・ママ31歳〜34歳(26人)

育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで男の子・ママ31歳〜34歳(26人)


【強烈な思い出】
離乳食が進まず、好き嫌いも多かったため、検診時に保健師に相談したところ、子どものこだわりが強いことから自閉症児扱いされたことがショックだった。
その検診時は、5名ほどの栄養士や保健師と話をする時間があったが、「こだわりの強い子供」として記録されたようで、誰と話してもこだわりについてばかり聞かれ、アドバイスもなく同じことばかりを聞き取られることが、本当に嫌だった。
アドバイスをもらえないなら相談しても意味がないと思い、出来る限り早く話を切り上げたが、その後の検診時も毎回聞かれるので苦痛以外の何物でもなかった。
保健師さんたちは、とても親切で、何とか状況を正確に把握して、良いサービスを提供したい、相談にのりたいと思ってくれていたようだが、当時は穏やかに受け止めることはできなかった。
【当時】
31歳・専業主婦




【強烈な思い出】
子どもが生後9か月ごろ、義姉家族が泊まりで遊びに来た最終日に博物館に遊びがてらお見送りをしに行った帰りに思いのほか遅くなり、ベビーフードを持っていないうちに夜になってしまい、お腹が空いた子どもが車の中でギャン泣きになってしまった。
夫婦ともにイライラして、急遽、トイレ休憩に止まったドラッグストアでベビーフードを買って車の中で与えることに。
その時の経験から長時間のお出かけになりそうな時はお湯とミルクとベビーフードを多めに持ち歩いたり、おやつを持ち歩くようになった。
離乳食が終わりなんでも食べられるようにならばどこかしらの飲食店に入れるが、離乳食のうちは準備しておくととても安心出来た。
【当時】
31歳・専業主婦




【強烈な思い出】
出産後、主人のお母さんに出産を報告しました。
とても驚いてそして喜んでくれました。
早速いろいろなお祝いがうちに届きおばあちゃんに会わせてやれると思いました。
しかし、夫と父親の関係が悪く義母は息子に会うことができませんでした。
義母も会うことをとても楽しみにしていたのですが・・・でも電話や手紙のやり取りはでき、息子へのプレゼントは沢山いただきました。
息子は赤ちゃんなので当然理解できませんが、愛してくれる人がいて幸せだったと思います。
夫と義父の関係が良くなればいつか会えるだろうと思い、きちんとした子に育てようと強く思いました。
夫も複雑だったと思いますが自分が父親だ、としっかり腹をくくったようでした。
マイナスには考えず、子育てをしました。
【当時】
31歳・専業主婦




【強烈な思い出】
初めての予防接種を受けた時のことが忘れられません。
もともと妊娠中から一度寝たらよく眠る子で、病院にたどり着くまでのチャイルドシートで爆睡。
そのまま予防接種の順番になり、服を脱がしても寝ていました。
針を打った瞬間ギャー!!!と覚醒したように感じるほどに泣き叫びましたが、終わってみたら「あれ?夢だった?」みたいな顔をして、ロタウイルスワクチンの甘いシロップをごくごく飲んで幸せそうに。
その後も痛がることなくニコニコで家まで帰りました。
全く怖がることなく予防接種を終えてしまったときのことが一番の忘れられない衝撃的な思い出です。
【当時】
31歳・主婦




【強烈な思い出】
新生児の時にとにかく一晩中泣いて泣いておっぱいをあげてもずっと泣いていてどうしていいかわからないときに母がミルクを作ってくれて持ってきてくれたのを子供が一気に飲み干して寝た時があったのですが、その時に自分はダメなんだと涙がでました。
おっぱいを沢山飲んでたからミルクという頭がなくて、お腹が空いて泣いていた我が子の気持ちがわからなくて、ただただ涙がでたときに、母からそんなもんだよとあまり重く考えるな、今はお母さんが見てるから寝なさいといって寝せてもらった時のことが忘れられません。
自分も次の日仕事なのに私のことを考えてくれてやっぱり母親は母親なんだなぁと深く感じました。
【当時】
31歳・接客業パート(育児休暇中)




【強烈な思い出】
・可愛いい笑った顔や楽しそうに遊んでいるところをカメラで撮ろうとすると直ぐに気づき、近寄ってきてしましドアップの顔しかとれませんでした。
連写をするとだんだん近寄ってくる様子が撮れて面白かったです。
ただ、個人的にはもっといろいろなバリエーションの写真が欲しかったなっと思います。
・家の近くの公園の噴水が時間になると音楽がかかりダイナミックに水が出てくるので、見せようとおもい出かけたらお昼寝の時間にかぶって寝てしまい残念だなーと思っていたら、音楽にびっくりして飛び起きすっっっごい不機嫌そうな顔をしていたのがとてもかわいかったです。
・子供が生まれ始めて夫に抱っこしてもらおうとしたら、「いや、いい」と断られました。
そのあと夫の両親に会い抱っこしてもらおうとすると義父が夫と全く同じ反応で面白かったです。
【当時】
31歳・専業主婦




【強烈な思い出】
親戚がまわりにいなかったのですが、近所の人が自分に子供がいなくて、よく声をかけてくれた。
大なべに豚汁を作ってもってきてくれたり、おやつを作ってきてくれたりして助かった。
自分に子供がいないから何かをしてあげたいと言っていたので甘えることにした。
都会だったけど、近所のおばあちゃんなども声をかけてくれて、世間話をするだけでも気が楽になった。
歩けるようになったら赤ちゃんの遊び場に連れて行って話をしたりすることに物おじせずに話しかけれるようになったのは、近所の人がとても親切にしてくれたおかげだと思います。
【当時】
31歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生後3ヶ月の頃、私の祖母が子供をだっこしてくれているのに泣いていた時、ふと私が「何泣いてるの0」と子供の顔を覗き込んだところ、私を二度見して祖母の顔と見比べ、抱っこしているのがお母さんじゃないと気付いて大泣きを始めたこと。
その頃まで、横抱きだと誰が抱っこしていてもおっぱいをもらおうと口をパクパクさせて、もらえないと分かると泣いている赤ちゃんだった。
その時も祖母が横抱きをしていて、口をパクパクさせて、おっぱいをくれないので泣いていたのだが、私の顔を祖母と見比べて見たことで、恐らく初めて、「お母さんではない人」を認識した瞬間ではないかと思う。
それまでは夫が抱っこしても腕に吸い付いたりしていた。
それから子供は私以外の人に抱っこされると泣いたりするようになった。
【当時】
32歳・会社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
赤ちゃんの時は全然体調の崩さない子供でしたが、一歳過ぎたくらいから急に風邪をひくようになりました。
突然40度近い高熱が出たので、何をしたらいいかわからずとにかく急いで救急センターに駆けつけました。
次の日かかりつけの病院に行って診察してもらったら、ヘルパンギーナと言われてただでさえ看病したことがないのに子供は怠そうにしてるし、可哀想と焦りが入り混じりました。
数日で元気になってくれたのですが,今度は私の方がヘルパンギーナにかかってしまい、看病疲れで休めず私も体調が悪い中育児と、辛くてたまらず今でもよく乗り越えたと思います。
【当時】
32歳・専業主婦




【強烈な思い出】
本当に寝ない赤ちゃんだったので、本当にストレスでしかなかったです。
ちょうどその時、夫の出張があり、そのタイミングで実家に帰省していたときのことです。
いつもであれば、布団で寝かし、1時間とか2時間程度でまた泣き出すといった流れなのですが、なぜかその時、本当に疲れていて、特大ヨギボークッションに一時的に、置いただけのつもりが、いつの間にか私が寝てしまったことがありました。
(特大サイズだと、赤ちゃんが沈み込むので新生児期であれば落下の可能性はほぼないです。
使ったのはそのとき1回だけですが。)目を覚ましたら、朝日がすでに高く出ていて、焦りとともにヨギボーの方を振り向いたら、まだすやすや寝ている子どもの姿がありました。
子供がこんなに長く寝たことはなかったので本当にびっくりしましたが、それとともに、今まであまり長い時間寝なかったのは、赤ちゃんの姿勢のせいなのでは、と思うことができ、そこから赤ちゃんの寝方についてきちんと勉強するするようになりました。
【当時】
32歳・会社員と(育児休暇中)




【強烈な思い出】
こどもが初めて下痢をしたときです。
いつもと違い機嫌が悪いなと思ったら、下痢をしていました。
急いで病院に連れていき先生に診てもらいましたが、特に心配はいらないと言われたので安心しました。
ただ、帰宅後も下痢を続き、何回うんちがでたか記録していると、一日に14回も出ていました。
おしりを綺麗にしたと思ったらまたすぐでてしまうといった感じで、一日中おむつ替えをしていたような気がします。
脱水にならないよう母乳を与えつつだったのでほとんど自分は飲み食いや家事ができず、辛かったです。
ただ、何日も続かず2日くらいで終了したのでなんとか乗り切りました。
【当時】
32歳・主婦




【強烈な思い出】
車の乗り降りの際に子供の足を挟んでしまったことです。
横抱っこをしていて片手で車のドアを閉じた際に、誤って子供の親指の先を挟んでしまったのです。
子供は大泣きし、私は気が動転。
親指が紫になりパンパンに張れてしまい、とにかく慌てて病院に連れていき診察をしてもらいました。
そして無事に骨折もしていなくて、心からほっとしたことがとても印象に残っています。
それからは車の乗り降りの際にはかなり注意するようになりました。
その他には、目を離したすきに子供が自転車のカギをコンセントに差し込んでいたことがありました。
コンセントが爆発し子供は手のひらが真っ黒。
気が動転しながら病院に連れていき、幸い軽いやけどですみました。
【当時】
32歳・無職




【強烈な思い出】
一度、一人の時に、こどもが具合が悪くなって、急に熱が上がって熱痙攣を起こした時はとても慌てました。
夫に電話したのですが、病院へ連れてくように言われ、どうしていいかわかりませんでした。
それがきっかけで、仲間ができるようなサークルに入ったのですが、近所に親しい人ができてからは、とても心強くなりました。
やっぱり、近いところに頼れる人がいるのはとても大切ですね。
熱痙攣は、赤ちゃんの間はよく起こるので、それほど慌てることはなくて、しばらく様子をみて、おさまらなければ病院へつれていけばいいとしりました。
最初はこのまま死んでしまうかと慌てました。
【当時】
32歳・無職




【強烈な思い出】
マンションだったので、夜泣きがひどい時に隣の人から壁をどんどんされたりして怖かったのを覚えています。
怒鳴り声なども聞こえてきたり、お隣もお子さんがいたので許してくれると思ったのが甘かったみたいで、むしろやっと自分の子供が寝るようになったのに夜泣きで起こされて腹が立つという言い分でした。
マンションはこんなこともあるんだなと思いましたが、時にはにこやかに挨拶してくれたり、とっても不気味でした。
3人の子育てで育児ノイローゼぽっくなっているようで、夜中になるたびにビクビクしてしまうので実家の近くに一軒家を購入して引っ越しました。
あのまま住んでいたら、泣き止ませるために自分も追い詰められてしまっていたんじゃないかと思いよかったと思っています。
【当時】
33歳・主婦




【強烈な思い出】
いくつかありますが、1つは、おむつ替えの時に赤ちゃんがうんちを飛ばしたことです。
柔らかいうんちなので、かなりの勢いで飛んできました。
確か私にもかかったし、カーペットにも飛び散ったかと思います。
別室にいる夫を大声で呼んだのを覚えています。
その後は、夜な夜な夫がカーペットを風呂場で洗い、大変でした。
当の本人の赤ちゃんは、涼しそうな顔をしていたのが、少し面白かったです。
後日、義理の姉夫婦が遊びに来た時に、うんちを漏らしたという話をしました。
ちょうど義理の兄が座っているあたりを指さして、「ちょうどそのあたりに飛ばしました」と話たら義兄が慌てていました。
うんち事件の時は、夫がいたのでなんとかなりましたが、自分一人だったら対応が難しかったと思います。
カーペットを動かす力はないので。
【当時】
33歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生後1ヶ月の時に、市の決まりで保健師さんが家庭訪問することがありました。
当時の悩みやこれからの事を話したり、家庭環境や街の雰囲気など色々調べていたようです。
その方との話も終わりその方が帰られる時に我が子に向かって「あなたここに生まれてきて本当に良かったね」と言って買えられました。
その一言が何よりも嬉しくてその夜夫にも話し夫も喜んでいました。
今でもその言葉の通りになるように心にしながら子育てを行っています。
我が子にもそう思ってもらえるように子育てをしていくつもりです。
保健師さんはそこまで深い意味はなかったのかもしれませんが私達夫婦の心に残った大切な言葉です。
【当時】
33歳・事務(育児休暇中)




【強烈な思い出】
旦那と喧嘩している時に赤ちゃんがパパと遊びたかったようでニコニコしながらパパを見ていたのですが、私との喧嘩でイライラしていてタバコを吸いながらスマホを触っていて赤ちゃんの事を無視していた時に寂しそうな赤ちゃんの表情が忘れられませんでした。
その時「こんな寂しそうな表情させるなら離婚して実家に帰って実父母に手伝ってもらいながら子育てしよう」と思いました。
その表情を見た時から私は絶対に無視はしないしこんな表情はさせない!と決めました。
忙しくても無視はせず声掛けだけは最低限するようにこの時から決めています。
【当時】
33歳・専業主婦




【強烈な思い出】
段々と癇癪持ちになったこと。
こだわりも強くなり自我が出始めた頃、一度出かけるとなかなか帰りたがらなくなった。
子育てサロンの帰りの駐輪場で、帰りたくなくて子供乗せ自転車に乗ってくれなかった。
無理やり乗せようとしても仰け反って反発した。
駐輪場で30分近く泣かれてしまい、どうしていいのか途方にくれた。
子育てサロンに引き帰り、スタッフの方に訳を話したら、駐輪場まで付き添ってくれた。
なんとスタッフの方が付き添ったら赤ちゃんが大人しく自転車に乗ってくれて帰ることが出来た。
スタッフの方の優しい対応が本当にありがたかった。
【当時】
33歳・専業主婦




【強烈な思い出】
乳アレルギーがあるのに誤って乳が入っているレトルト食品をあげてしまって、8か月ぐらいの時に何度も嘔吐。
緊急入院となったが当時夫が県外へ仕事に行っており、孤独な中慣れぬ病院で付き添い入院することとなり、断食を命じられた息子はお腹がすいて深夜何時間も泣き叫んだ。
どれだけ抱っこしても鳴き声は一向におさまらず、泣きながら放っておくしかなくて朝まで涙を流しながら眠れない夜を過ごした。
朝になって家に帰ってきた夫に「早く来てほしい」とすぐにメッセージを送るも、なぜかメッセージの意図を読み違えた夫は駆けつけるよりも洗濯物を干すことを優先し、イライラが抑えられない私に怒られていた。
【当時】
33歳・ライター(育児休暇中)




【強烈な思い出】
予定帝王切開だったのですが、早くに破水してしまい緊急帝王切開になりました。
心の準備も整う前にあれよあれよと息子が誕生しました。
無事に産声を聞けた時は安心し涙が出ました。
それから全身麻酔になっていたので、目が覚めた時には全てが終わりベッドでした。
そこから地獄のような日々が始まりました。
痛くてお腹に力が入れられず動けないのに、翌日には歩くように言われ、ヨロヨロと何とか立つことができました。
数日すると良くなっていったのですが、痛み止も効かなかったので辛かったです。
が、唯一の救いが授乳の時間でした。
やっと息子に会えるという思いで頑張ることができました。
その時だけは痛みも忘れて、この子を守っていかなければ…と言う気持ちでいっぱいでした。
【当時】
33歳・専業主婦




【強烈な思い出】
自分が妹との二人姉妹ということもあり、男の子の育児が想像できなかったのですが、息子が生まれて育児を初めて、最初に驚いたことはおしっこが上に飛んでくるということです。
初めての子供でおむつ替えももたもたしていると毎度のようにおしっこを吹きかけられてびっくりしました。
また、おしっこだけでなくウンチが飛んで来たときはびっくりしすぎて朝から絶叫してしまいました。
ちょうどおしりを拭いているときに両足を上げていたタイミングでウンチをだしたので、私の服にダイレクトにかかってしまいました。
今はおむつを素早く買えれるようになり、大分被害は少なくなりました。
【当時】
34歳・会社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
乳腺炎になり、手術をしたことです。
初めは40度の高熱が出たことがきっかけでした。
また、当時コロナで緊急事態宣言の最中で、もし陽性だったらどうしようという思い、検査結果が出るまで部屋での1日隔離生活はとてもつらかったです。
もし陽性で、息子や病気療養中の母にうつしたらどうしようと考えていると恐怖で夜も眠れませんでした。
幸いコロナは陰性でしたが、1日隔離生活で息子におっぱいを上げることができなかったことから乳腺炎がさらに悪化し、最終的に手術することにまでなりました。
家族計画としてあと一人子供を考えていますが、もし次の子供を授かることが出来、出産したら、1番に乳腺炎に気を付けたいと思います。
【当時】
34歳・事務職(育児休暇中)




【強烈な思い出】
お昼寝から起きたら突然大泣きしてしまい、ぜんぜん泣き止まず、自分の力量以上の勢いで泣いてしまったため、息ができなくなってしまって、だんだ顔が青くなって意識が遠のいていくのが分かりました。
びっくりして名前を呼んでももうろうとしているの救急車を急いで呼びました。
救急車が到着した時には普通の状態に戻っていましたが、念のため病院へ行きました。
緊急性がなさそうであった為、外来で待って受診をし、酸素を図ってもらったら異常なしでした。
赤ちゃん時代は子供の訴えがなかなか正確に伝わらないので判断を迷う事があります。
もし手遅れになってしまってもいけないので毎日我が子をみている親の感はとても大事だと思います。
大きくなっても同じですがいつもの違うと感じる事は大事だと思いました。
【当時】
34歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生まれつき先天性の病気があり、、頻繁に病院で採血をしていました。
普段は看護師さんが赤ちゃんだけ連れていき、採血する場面は見えないのですが、ある時、息子がベッドの上でネットでぐるぐる巻きに固定されている姿が見えて、すごくショックを受けたことを覚えています。
毎回、拉致されて捕まっているような状態で痛い思いをしていたのかと思うと申し訳ない気分になり、こちらのほうが泣きそうになってしまいました。
今思えば、動くと危ないから固定されているとわかりますが、あんなふうにぐるぐる巻きに固定されている姿はとても衝撃でした。
【当時】
34歳・無職




【強烈な思い出】
破水で入院し、微弱陣痛から本当の陣痛がくるまで27時間かかり、そこから分娩台で6時間半かかった出産でした。
分娩台に行く前にはもお既に限界を超えていて、そこからは記憶が朦朧としているくらいしんどかったです。
意識を失いそうでした。
けれど必死で踏ん張って産まれてきてくれた赤ちゃん。
初めて抱っこした時に、名前を呼ぶと、にこーと満面の笑みで微笑んでくれました。
産まれてすぐ笑顔で、本当に可愛くてびっくりしました。
その時の事は一生忘れません。
今でもよく笑う我が子。
本当に赤ちゃんの時から笑顔はそのままです。
その時の話をしたらいつも喜んでいます。
【当時】
34歳・主婦




【強烈な思い出】
吐き戻しが続いていた頃。
私も夫も吐き戻しが多く小さい頃入院した事があったためかなりピリピリしていました。
そんなある日義母が私に「もしかしたら脳に障害があるかも」と言い、夫が小さい頃吐き戻していた原因が脳に障害があったからとのことでした。
夫は特に何も障害はない人ですが、知らなかったようでその事実にショックを隠しきれなかったようですし、私もこの子がそうゆうことがあったら…と思うと怖くて仕方なくて小児科にしょっちゅういってました。
けど、お医者さんからすると吐き戻しはしょうがないとのことなので気にしすぎていただけのようでした。
【当時】
34歳・専業主婦