育児体験談一覧【強烈な思い出】兄か姉がいる女の子の赤ちゃん(20人)

育児体験談一覧【強烈な思い出】兄か姉がいる女の子の赤ちゃん(20人)


【強烈な思い出】
お風呂にわたし、長女2歳、次女0歳(確か…)で入っていた時です
次女はつかまり立ちができており、わたしが洗髪している間浴槽内でつかまり立ちしていました
ちょっと目を離した隙に滑って湯船に沈んでしまったようですが
長女が抱き上げ「まま!」と目をまん丸にして立っていました
長女に呼ばれ初めて状況に気づきました
次女は頭からずぶ濡れになっており、我に返ってから泣き始めました
反省です
子供ができることが増えると、今まで自分ができなかったことができる!と思っていましたが
やはり赤ちゃん育児では手も目もはなしてはいけないと痛感した出来事でした
当時スイマーバを知らなかったのですが、今なら便利グッズは使えるだけ使いたいと思います
【当時】
23歳〜・育児休暇中〜復職後




【強烈な思い出】
下の子は生まれてすぐに心臓病と診断されました。
それからは毎月心臓の定期健診があり、病院へ入院する順番が来るのを待つ毎日でした。
1歳半の時に、病院から電話がかかり「明日から入院をしてください」と言われ急遽入院準備をしたバッグを持って病院に向かいました。
その子が最初に覚えた言葉が「いたい」でした。
何も分からない子が背中にメスを入れられ痛い思いをしなければならなかったので私も辛かったです。
変わってあげる事も出来ず自分を責めました。
入院中は歩けるようになった日から、病室には帰りたがらなかったので、毎日病院内を歩き回ったお陰で私はかなり痩せました。
【当時】
26歳・専業主婦




【強烈な思い出】
次女は母乳やミルクを飲みながら必ず、ウンチをしてしまうので飲んだら出す、飲んだら出すの繰り返しでした。
一番いろんな人にオムツを替えてもらった子だと思います。
力みながらミルクを飲む表情がとてもかわいかったです。
授乳が終わると、ささっとオムツを替えてくれる夫がとても頼もしく思えました。
その間に私は長女の相手ができるのでとてもいい時間だったと思います。
飲みっぷりがいい次女はほっぺがおもちのように膨らみ、お正月には頭にミカンを乗せられ、鏡餅にされていました。
その写真が今でもお気に入りでリビングに飾ってあります。
【当時】
26歳・専業主婦




【強烈な思い出】
人見知りが始まった頃に、旦那方の親戚の方が遠くに住んでて滅多に会えないのですが、こっちに帰省したタイミングで初めて会わせた時に、凄い大泣きしてギャン泣きしてました。
初めての場所にでも来たのか位の勢いで大泣きしてびっくりしましたが、泣きながらも相手の顔をチラチラ確認して周りを確認して泣いていて、旦那の実家だったので周りの様子で見覚えがあるので泣き止むけどまた人の顔を見て、泣いて、でも気になって何回も顔を見て確認する仕草が可愛かったです。
なるべくなら私は人見知りはして欲しくなかったので、色んな人に会わせたり泣いても抱いて貰って慣れてもらったりしてました。
【当時】
27歳・パート




【強烈な思い出】
長女は1歳半まではすごくいい子で育てやすかったのですが1歳半過ぎたあたりに強烈なイヤイヤ期がありそれプラス保育園の入園が被ってしまい毎日が戦争でした。
保育園連れてくのも泣きわめいいて帰ってきてからも泣きわめいて何をしても全てがイヤイヤでこれがイヤイヤ期なのかと…いつになったら終わるのだろうかとその時は辛くてでもどうしたらいいのだろうかと色々悩んでいました。
育児してる中での1番強烈な思い出です。
これから次女もあるのかと思うと怖くてたまらないですがこれも成長していく上で必要な事なのかと思うようにしています。
【当時】
27歳(長女出産20歳)・専業主婦




【強烈な思い出】
うんこが飛んできたのは本当にびびった。
上のこのときは一切なかったので、どうすればいいかわからずフリーズした。
いろんなところがうんちまみれになって、退院そうそうどっと疲れた。
その後も何回か飛ばしてきたけれど、3回目くらいからうまくガードできるようになり、その何年後かに3人目、4人目と生まれたが、その経験を活かしてうんちガードできるようになった。
旦那はおむつを全然かえてくれず、特にうんちのときは絶対にかえてくれなかったので毎日大変だった。
仕事が休みで家にいるときくらいは、パチンコに行くんじゃなくてオムツかえてほしかった。
【当時】
28歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
日中は常にどちらかの子供がギャンギャン泣いていて、動き回る赤ちゃんからは目が離せず、上の子はイヤイヤ期で指示が通らない、夜は眠れない。
そんな日々が続き、ある夜のこと、体力と気力が限界に達しました。
その日も深夜2時くらいまで抱っこひもでギャン泣きの赤ちゃんを揺らしていたのですが
その時住んでいた家の隣が、ちょうど広い公園だったので、
「そうだ。
赤ちゃんを公園に捨てに行こう。
誰かが拾って、育ててくれるはずだ。
そうだ、そうしよう。」

その時は本当に、それしかない!と思って、
玄関で靴を履いていたところを夫に見つかり、
無事保護されました。
どう考えてもまともじゃなかったです。
あとから考えたら、そんな自分に、なるんだなあ、ということが衝撃でした。
【当時】
28歳・専業主婦




【強烈な思い出】
小児てんかんになったことです。
これは一番衝撃でした。
白目に泡を吹いて息が止まることが3回もありこんなに恐怖を覚えたことはありません。
薬を飲み続けていれば治る病気というのを知って安心しました。
経験した人でないと分からない怖さがあります。
自分の子が死んでしまうのではないかと思い何度も責めました。
こんなことは二度と経験したくないなと思います。
その時の病院の先生がとてもやさしくてと救われました。
普通にあることだよと言ってくれて毎回安心させてくれる先生でした。
その時人にやさしくしないとなと考えさせられました。
【当時】
30歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
お風呂でおぼれたこと。
つかまり立ちを覚えた娘を浴槽に残し、自分は身体を洗っていた。
そしたら、上の子が悲鳴をあげたので、何かとおもったら娘が溺れていた!急いで引き上げ、抱っこしたが、本人はキョトンとしていた。
泣くかと思いきや、何があったのかわからなかったのか、普通の顔してまた普通にお風呂に入っていた。
お風呂嫌いになるのかと思いきや、まったくそんなことはなく、後日も普通に入っていた。
私はというと、めちゃくちゃ焦って、次の日からお湯を少なくしてみたり、洗うときは一緒に洗って一緒に浴槽に入ることにした。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生後3ヶ月頃、良くミルクを吐き戻す子だったのですが、ゲップと一緒に吐いたらしく、ベビー布団と私の全身がミルクまみれになるほど吐かれました。
あまりにも大量に吐かれたので、呆然として動けず、我に返った時には娘はニコニコ笑っていました。
具合は悪くなさそうで安心しましたが、布団もミルクまみれなので娘を置けず、私自身がミルクが滴るほどかかっていたので動けず、最終的に変えのシーツを足元に置き、その上で全裸になってから急いでバスタオルを持ってきて娘を着替えさました。
その間私は全裸だし、髪の毛からミルクが滴るしで最悪でした。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
育児が始まったばかり。
上の子が産まれたばっかりくらいの時に、
おむつ替えをしようと思ったら
うんちが私の足や手にとんできたこと。
母と一緒にいたので、涙が出るほど
爆笑しました。
赤ちゃん自身はやってやったぞ!っていう感じの
ドヤ顔!!
その表情を見て、また私たちは笑い出しました。
でも、うんちがついてるので、、笑いながらも即
洗いに行った思い出があります。
赤ちゃんって何するにしてもかわいいなぁと
その時思いました。
4年以上前ですが、衝撃的すぎて
今でも鮮明に覚えています。
今は2人目がまだ赤ちゃんですが、
うんちをかけられたことはまだない、
おしっこはあるけど笑
【当時】
31歳・幼稚園教諭から退職し専業主婦




【強烈な思い出】
「初めて寝返りをしてたとき。
その時は私と旦那は目を離していて、気づいた時にはうつ伏せになって戻れなくなって困ってる姿でした。
思わぬ姿だったので旦那と一緒にめちゃくちゃ嬉しくて騒いだ記憶があります。
そのあと戻れなくなって困っていた娘を仰向けにして用事をしていたら、「んー、んー」って聞こえてきたので覗きに行ったらまた戻れなくなって困って、一度寝返りを経験したからなのかその日から気づいた時には寝返り。
戻れないからベットから床に敷いてある絨毯の上で過ごしてもらっています。
広々とした絨毯の上で最近はコロコロ転がって端から端まで気づいた時には移動しています。
その移動範囲に驚きと成長を感じて私の画像フォルダに同じような写真が増えていきます。」

【当時】
31歳・専業主婦




【強烈な思い出】
あまりなかず、泣かず、表情が乏しい子であったんですけど、月齢があがるにつれ、少しずつ筋力もつき。
よく笑うようになってきて、声を出して笑った時は感動しました。
保育園に通っていたので、保育園の先生も喜んでいただいて、すごく親身に対応してくださったことを覚えています。
言葉もおそく、発達遅延と言われて、療育に通い…リハビリに毎月通い、カードで言葉遊びしたりとかしていくうちに
…ママと言われた時も相当うれしかったです。
でも、」この子は見た目はおっとりさんなのに、一番気が強く兄弟のおにいちゃんたちを、自分の手足のようにつかっていました(笑)
【当時】
31歳・介護職 育児休暇中




【強烈な思い出】
先天的な心臓の病気があって生まれたので、おとなしい子で、少し母乳を飲むとはぁはぁと息が上がって、疲れてくにゃんと眠ってしまう子でした。
第1子が男の子でとても元気のいい子だったので、第2子はおとなしく、「やっぱり女の子はおとなしいなぁ」と思っていました。
生後6か月の時に心臓の手術をしてから、うそのように勢いよくグビグビとミルクを飲み干し、性格的にもとてもやんちゃでおてんばになりました。
なので、女の子だからおとなしかったのではなくて、病気のためにおとなしかったのだと手術をしてから分かりました。
おてんばで元気が良すぎるくらいの方が、病気があって沈んで過ごすよりいいと考えています。
私が子供の病気を知ってから、同じ病名の子のブログをみつけました。
その子はもうとても大きく成長をしていて、手術をしてから何年も経っていました。
その子がスキーを元気に楽しむ記事がポストされていたのを見て、当時絶望の淵にいた私はとても救われました。
病気があっても、手術が無事に終了したら、こんなに明るく元気にすごすことができるのだと希望を持ちました。
【当時】
33歳・介護職(育児休暇中)




【強烈な思い出】
これは一人目の時の思い出なのですが、生後一ヶ月も過ぎ、お風呂に一緒に入っても良いとなったので、一緒に入ることにしたのです。
里帰りしていたので、実家で母が居る時にお風呂に入ったのですが、でっかいお風呂で気持ちよかったんでしょうねぇ。
あったかいお風呂の中で、うっとり気持ちよさそうにしているなと思っていたら、突然聞こえてきたくぐもった轟き音。
大きな泡と一緒に水面に広がりだす黄色いうんち・・・・
「うんちしてるーーー!!!!」初めてのことで、思わず叫んでしまい、赤ちゃんもせっかくすっきり&お風呂でまどろんでいたのに、私の声で泣いてしまいました。
結局急いでシャワーで体を洗ってから、もう一度お風呂を入れなおして赤ちゃんと入りました。
【当時】
34歳・専業主婦




【強烈な思い出】
私がキッチンにいて、当時つかまり立ちを覚えたばかりの娘はベビーゲートの中にいた。
ひき肉をボールの中でこねこねしていると、なんかこの肉臭いな…と思い始めた。
でも鼻を近づけるもお肉から匂っていない。
なんだろ、と思いふとベビーゲートの中をみると、娘が自分でオムツの中のウンチを手でつかみ、ベビーゲートに塗りたくっていた!!!よく見ると口元にも付いている!!悲鳴をあげて、娘をお風呂場に連れていき、口の中もよく洗った。
ベビーゲートも洗い片付けた後に、ネットで「赤ちゃん うんち 食べた」で検索すると、心配ないことが判明。
割とあるあるエピソードらしい。
心配ないの!?まじで!?という驚きもあり、いろいろとびっくりした事件だった。
【当時】
35歳・事務パート(育児休業中)




【強烈な思い出】
娘は8か月でご飯食べるのも大好き!
おんぶをしながら夕飯を作っていた時、その日の夕食は生姜焼きでした。
後ろでチューチュー音がして、「あ〜おなかすいちゃったかな〜指吸ってるわ〜
なんてのんきに思っていたら・・・
吸っていたのは指ではなく、生姜焼きのお肉でした><
どのように手にしたのか、まったくわからず状況把握に時間がかかったのを覚えています。
本人は取られまい!と思ったのでしょうか。


両手で抱えながら大事にチューチュー吸っていたのです。
おんぶしてしまっているのでなかなかお肉を取り上げることもできず、8か月にして大人の味を覚えさせてしまいました。
【当時】
35歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
上の子の幼稚園の送迎時に連れて行かないと行けないので大変です。
上の子は幼稚園に遅刻するのを嫌がります。
でも、幼稚園に送っていく直前に赤ちゃんがうんちをしたり、準備に時間がかかることもあるので遅刻しそうなときもありました。
遅刻してしまうと上の子の機嫌が悪くなり、幼稚園までの道で大泣きすることもありました。
赤ちゃんはそんなことお構いなしにうんちをするし、上の子も自分の思い通りにならないと泣くので私も辛かったです。
最近はうんちをする時間帯が変わってきたので幼稚園に間に合うようになりましたが、まだまだ大変な日々は続いています。
【当時】
35歳・主婦




【強烈な思い出】
夫の親戚がお正月に挨拶が出来なかったので家に来てくれた時に子供の顔を見て似てないなぁと笑いながら言って顔を覗き込んでいた。
子供は人見知りで泣きそうでも無視でおいでと手を出して嫌がるとなんで??と大きい声を出して玄関先で騒いでいた。
子供はそれを見て更に嫌がり顔をそちらに向けなくなった。
元々非常識な親戚が多いのでまたかぐらいの気持ちだったけれどまた夜泣きするんじゃないかとひやひやした。
その日の晩は少し泣いたけれどとても大泣きした訳ではなかったので安心しました。
夫も上の子達もいつもの事なので笑いながら流していた。
【当時】
37歳・専業主婦




【強烈な思い出】
手を放したすきに次女が階段から落ちてしまったこと。
湯船にも頭から落ちてしまいました。
本当に一瞬の出来事でしたし、頭が重いので見た瞬間に落ちます。
でもたいしたことなくて、あとから、「おにかい行ったから、ひっくり返って転んじゃったの」と言ってました。
長女は高熱で一度救急車で搬送したことがあり、心臓バクバクでしたが、幸いすぐに治りました。
当時はいっぱいいっぱいでしたね。
しょっちゅう病院にも行きますし、自分の時間はほとんどありませんでした。
世の中のお母さんをすごいと思ったのは育児してからですね。
刺激的な毎日です。
【当時】
40歳と43歳・ピアノ講師