育児体験談一覧【大変だったこと】初めての赤ちゃんで女の子・ママ26歳〜28歳(26人)

育児体験談一覧【大変だったこと】初めての赤ちゃんで女の子・ママ26歳〜28歳(26人)


【大変だったこと】
1番大変だったのは新生児期から3ヶ月頃までです。
全く寝ない子で2時間おきに泣くので、寝不足が辛くずっとフラフラなんとか生きていました。
転勤族で周りに友達や頼る家族がいないので孤独なワンオペ育児で、相談する相手もいないので赤ちゃんと2人きりの家が本当に辛かったです。
相談する相手がいないので、困った時にはネットで調べて情報を収集しなんとか乗り越えました。
主人は朝から晩まで仕事で帰りが遅く、あまり育児の話もできなかったのでこの辛さは誰にも分かって貰えないと育児ノイローゼぎみになっていました。
主人も育児に協力的でしたが、休日少し手伝う程度なので全然辛さを分かってくれずすれ違いの日々で日に日にストレスが溜まっていきました。
【当時】
26歳・専業主婦




【大変だったこと】
夫と娘と私の3人で里帰り出産後は、過ごしましたが当時は夫の仕事が遅くまであったため、孤独がすごかったです。
また初めての育児で右も左もわからなかったので熱や嘔吐してしまったときには、とても心配になりました。
赤ちゃんはとても繊細な子だったので、気に入らないことがあるとそれが解決するまで泣き止まないので毎日白目でした。
6ヶ月すぎて支援センターなどに行って他のママさんたちとしゃべるようになって、孤独が少しづつなくなってきましたが、1歳まではまとまった睡眠やリフレッシュする時間がないため本当に大変でした。
今では息の抜き方がわかるようになったので、あの時の自分にそんなに頑張らなくていいんだよと言ってあげたいです。
【当時】
26歳・専業主婦




【大変だったこと】
生まれてすぐは昼夜から変わらず泣くこと。
泣き止まないのですぐ授乳をして、一日中授乳をしていた気がする。
生後3ヶ月までは夕方特にギャン泣きがひどくその時間はバタバタ夕飯準備も重なり大変だった。
泣く時間に合わせてお風呂に入れてリラックスして泣かない!と思ったが、お風呂から上がるとギャン泣き。
どうすればいいの?とずっと試行錯誤していたが、いつのまにか夕方のギャン泣きはなくなったか。
単身赴任中のパパがたまに帰ってくると、人見知り全開。
でも、パパは触れ合いたいから泣かせてでもコミニュケーションをとる。
離乳食を食べさせたいパパの気持ちが大きい。
本人は、ママじゃないと離乳食を食べてくれない。
パパの想いと赤ちゃんの想いがすれ違いでママが振り回される。
【当時】
26歳・育児休暇中




【大変だったこと】
最初のころは、睡眠不足など大変なこともありましたが、それよりもハイハイをし始めてからの方が大変でした。
当時賃貸住まいで部屋が狭かったのもあり、赤ちゃんが触ったらダメなものは手の届かないところに隠していました。
まだしっかり歩けないので公園にも遊びにいけず、支援センターに通いました。
生後10ヵ月頃に第二子の妊娠がわかり、つわりがすごく酷かったので、ろくに出かけてあげることもできず、家でテレビばかり見せていました。
主人は朝早く出勤し、夜遅く帰ってきたので、平日はあまり協力が得られませんでした。
やむを得ず、娘を連れて実家に帰りました。
つわりで食べ物の匂い全般ダメだったので、ご飯を作ってくれるのはありがたかったですが、娘は人見知りであまり父母に寄って行かないし、何よりも実家には実家の生活リズムがあって、自宅のようにゆっくりダラダラと過ごすことができなかったのがしんどかったです。
【当時】
26歳・専業主婦




【大変だったこと】
とにかく自分の時間がなくなった。
趣味の時間はもちろん、日常の買い物・食事・お風呂、全てに『子どもと一緒に』がついてきてなにをするにも大変だった。
ミルクやオムツの事を常に念頭に入れてスケージュールを組んだり、場所を選んだりしなければいけなかったし、イレギュラーが毎回起こった。
「予定通り」が好きなタイプなのでかなりのストレスだった。
どこに行くにも後追いがひどく、扉を開けてトイレという屈辱。
子どもを寝かしつけたかと思うと夜泣きで何度も起こされて睡眠不足。
旦那以外に助けてくれる身内はいなかったので、風邪を引いた時が1番辛かった。
旦那も仕事があるので自分でなんとかするしかなかった。
もともと綺麗好きだったのが、子どもにつきっきりになった事で部屋が足の踏み場もない状況になった事もあった。
【当時】
26歳・専業主婦




【大変だったこと】
外出してから帰ってくるまで、ミルクがたりるかが大変でした。
おおよその時間を計算してもっていくのですが、時間がのびてたらなくなりそうになり、急いで帰ったことがあります。
その他旦那の実家に行った時です。
用意してくれるよう頼んでおいたのですが、何一つ買ってなく、当日一緒に買いに行くハメになりました。
そこで全部自分で用意しなくてはならないんだということを、学びました。
1歳になる前まで、ずっと大変でした。
その中でも、つかまりし始めた時期が、少し目を離すとあちこちいってしまうので、参りましたね。
ショッピングセンターの子供が遊ぶところで遊ばせても、急に他のところまで裸足で走って行ったりしまって。
旦那は積極的に、手伝ってくれました。
【当時】
26歳・専業主婦




【大変だったこと】
赤ちゃんに合わせて行動をしなければならないため、少しの時間預けるにも授乳の時間を考えておかなければならないしとにかく自分の時間がないのが大変だった。
うちの子は臍ヘルニアがあったので6か月になるまで定期的に大きな病院に行って治療をしてもらわなければならなかったので、慣れない育児に慣れない外出まで加わりすごく負担に感じた。
治療はたいしたことではないが、かなり大きな声で泣き叫ぶので、疲労感が半端なかった。
主人は日曜日しか仕事が休みがないので、こういった病院での苦労を共有できないのもつらかった。
(〜ことが大変だったと話をしても、どこか他人事のような感じだった)やはり、育児の負担は圧倒的に母親のほうにのしかかってくるものだなと思っていた。
【当時】
26歳・専業主婦




【大変だったこと】
生まれてから7ヶ月頃に生理が戻ってきたが、排卵期にめまいや吐き気、だるさがあり、生理前まで情緒不安定がありと不調な日々が続いていた。
主人が早く帰ってきてくれる時はすぐ任せられたが、そうでない時は自分で対応しなくてはならないのが辛かった。
1歳頃から始まったコロナでも、1日子どもと向き合って疲れていた日に、マスクがあるお店があったからと勝手に出かけて行った時があった。
もうすぐ帰ってくると思った矢先だったため、夜まで大人は1人かと思い、とても辛かった。
どんな時も、家に大人が1人で、話し相手がおらず、悩みも喜びも話せないのが辛かった。
隣に義実家はあるが、産まれる前に「私達は世話しないからね!」と言われていた事が気になり、その頃は全然頼ることができなかった。
外に出ても、理想通りのママ友もできず、孤独だなと感じるのと辛かった。
【当時】
26歳・専業主婦




【大変だったこと】
7ヶ月で保育園に、行き始めてたくさん風邪をひいたことが大変だった。
とくに大変だったのがノロウイルスでした。
元々、ミルクの吐き戻しが多い子でした。
夜中に突然ミルクを勢いよく吐き戻したので、私は素手でキャッチをしてしまいました。
それがノロウイルスとも知らずに。
嘔吐はその一回だけで朝熱があったので、保育園はお休みし普通に病院で熱だけで診察。
1日特に変化なく過ごしてましたが、その夜に私の体調に変化が。
なんだか胃がムカムカして寝れず、吐けない体質で嗚咽ばかりで苦しみました。
朝には私は高熱でダウン、だけど赤ちゃんも熱はあるけどとても元気で遊んでと寄ってくる。
かなり辛い状況でした。
そしてその日に主人も仕事中、嘔吐でトイレに篭りっぱなしになり帰ってきました。
親2人はダウンしてるけど赤ちゃんは元気なこと、ご飯やオムツ変えなどは具合悪くてもしなくてはならない状況になりとても大変でした。
【当時】
26歳・サービス業(育児休暇中)




【大変だったこと】
初めての育児だったので何もかもが全部大変でした。
授乳も腰や肩首が痛くなり初めは大変でしたり。
また寝かしつけもなかなか寝つかずに泣いているとどうすればいいのかわからずに困りました。
赤ちゃんが起きている時にはどうやって接して遊んであげればいいのかわからなかったり、1日の時間の使い方がわからずに悩みました。
自分の時間が本当に取れなくて家事と育児の両立に苦労しました。
今思い返せば3ヶ月くらいまでは楽だったけどその時は必死で大変だったと感じていました。
自由に動き回るようになると目を離すことができなくなったので余計自分の時間が取れなくなったのでそこからが本当に大変でした。
家族が協力的なので一緒に頑張ってくれて乗り切っています。
【当時】
27歳・専業主婦




【大変だったこと】
陣痛が長かっため、腰を痛めてしまい、半年くらい普通に一人では歩けなかった母体。
でも母乳は与えないといけないし、母乳なので誰かに代わってもらうこともできず、睡眠もとれない。
実家で里帰りしても、ゆっくりお風呂にも入れない。
毎日毎日寝不足でたまに母乳もあげたくない!子どもの顔を見たくない!可愛いと思えない!お世話したくない!なんで産んでしまったんだろう、母親失格だ、死んでしまいたいと落ち込んでいた時期が長く、1歳すぎてからも変わりませんでした。
実家の両親に助けを頼んだりもしていましたが、毎日のように辛くて泣いていました。
母乳も101.5時間毎にほしいと泣かれて休む暇も余裕もなかったです。
旦那はバツイチ子持ちだったので、妊娠中から産後にかけても元嫁の子供に会いに行ったりもしていたため、余計に旦那も嫌い。
旦那に似ている自分の子供も嫌いになっていました。
【当時】
27歳・専業主婦




【大変だったこと】
実家が遠方な上、まだ母親が勤めに出ていたこともあり、里帰りせずに産んで、退院後からほぼワンオペ育児だった。
何せ初めての育児だったので何も分からず、とにかく必死だった。
ああしなければ、こうしなければ、という固定概念にとらわれていたと思う。
今ほどSNSなども盛んではなかったので、育児のアイデアや楽しみ方、愚痴などの共有もできず。
外出時も、電車内で泣き出さないか、他の人から怒られたりしないか、とても周りの目が気になった。
離乳食が3回食になった頃は、離乳食と授乳で1日が終わってしまう感じで、自分は何も出来ていないと落ち込んだ。
何をしても不機嫌に泣き続ける日は、赤ちゃん相手についイライラしたり、自己嫌悪に陥ったり、睡眠不足も相まって精神的に追い詰められた。
【当時】
27歳・会社員(育児休暇中)




【大変だったこと】
一番大変だったのは寝かしつけです。
朝寝も昼寝も夜寝も、寝る前は必ず寝ぐずりを起こし、何時間も泣いていました。
寝ぐずりが一番酷かった時期は生後4ヶ月頃から8ヶ月頃までです。
抱っこしたり、ゆらゆらしたり、歩き回ったり、音楽を聴かせたりと、色々試しましたがなにをしてもだめでした。
日中は、旦那は仕事で家にいないので1人きりで対応し、夜も旦那はリビングで寝落ちしていたため、私1人で対応していてとても精神的に疲れました。
たまに夜中に、旦那が起きて手伝ってくれましたが、アパートに住んでいて泣き声が聞こえるため、あまり休めませんでした。
当時は寝不足と一日中泣き声を聞いているストレスで、どうにかなりそうなくらい精神的に参っていました。
【当時】
27歳・退職




【大変だったこと】
一番大変だったのが人見知りの激しさでした。
六か月ごろから始まり、2歳過ぎまでずっと人に会うたび、見るたびに泣いていました。
一番ピークが1歳半くらいで、児童館に行っても慣れるまではギャン泣き、病院の待合室でもギャン泣き、極めつけは男の人が苦手みたいで、夫を見るだけでなく、声を聞いてもギャン泣きしていて、泣き声に疲れ果てていました。
人に慣れてもらおうとしてもなかなか泣き止まず、かなり気を使って大変苦労したのを覚えています。
周りの子どもは人見知りしない子供が多く、誰にも気持ちがわかってもらえない状況で大変つらかったです。
夫も仕事でほとんど家におらず、相談どころか、たまに家に帰ってきたら子供に泣かれて、夫もかわいそうでした。
【当時】
28歳・主婦




【大変だったこと】
母乳育児が大変でした。
特に大変だったのは、やっぱり産後直後ですが、離乳食後期ごろまで私はまんべんなくしんどかったです。
うちの子は産まれたときはそこそこ大きく産まれ、おっぱいを吸うのも上手、そして私の母乳の出も良かったのですが、あげてもあげても何故か体重があまり増えなかったです。
それで産婦人科の母乳教室に何度も呼ばれ、指導を受けましたが、結局「太りづらい体質かな?」と言われ終わりました。
私が通った産婦人科は完全母乳を勧める傾向だったので、ミルクをあげてみたら?というアドバイスは貰えず、毎回「しっかり飲ませなきゃ」と焦りながら授乳していました。
そしてうちの子はよくミルクを吐いてしまう子だったので、「一生懸命あげたのに…」と泣きたくなる気持ちで掃除していました。
【当時】
28歳・専業主婦




【大変だったこと】
一番の苦労は授乳です。
産後から2ヵ月くらいまでは胸がパンパンに張って、痛くて目が覚めることがありました。
特に大変だった時期は6か月頃です。
授乳姿勢が悪かったのか、右胸の左ラインに古い母乳がたまってとても痛くなりました。
歩くと振動で痛かったので、自宅へ助産師さんに来てもらいマッサージを受けました。
胸の張りは感じられず、詰まりもなさそうとのことでした。
マッサージや搾乳では改善できないため、とにかく色々な姿勢で授乳するしかないと言われました。
痛い部分を押しながら授乳をすると、不味い母乳が出るからなのか子どもが飲むのを嫌がり大泣きをしました。
なだめつつ、30分ほどかけて授乳を行いました。
授乳後は痛みが全くなくなり、それ以降の授乳時に子どもが泣くことはありませんでした。
起床時から痛みに気が付いたものの、発熱等はなかったので主人には出社してもらいました。
【当時】
28歳・専業主婦専業主婦




【大変だったこと】
子どもに苦労したことより家族との付き合いが本当に大変だった。
私の母親がすぐにまわりの赤ちゃんやわたしの幼少期の姿と比べてきたりすることが本当に苦しかった。
夫も仕事が大変で帰る時間が遅かったりするためすごく気を使っていた。
家事と育児の両立は赤ちゃんが一歳になるまでは大変だった。
部屋が汚いと母親に口を出されるので家に来てほしくなかったが、夫がいないと頼るしかない環境が辛かった。
教育方針を押し付けてくる母の存在が本当に嫌で、私は子どもがのびのび自分らしく大きくなってくれればそれでいいと母に伝えると、「みんながみんなアンタみたいに余裕を持って子育てしていない。
そんなんじゃ友だちなんかできないし、いたとしても離れていく。
育児をナメるな。」
と怒鳴られ、産後メンタルでボロボロに泣いた。
赤ちゃんで悩んだことは正直ない。
【当時】
28歳・主婦




【大変だったこと】
新生児期はほやほやの赤ちゃんが息しているかが常に気になった。
成長してうつ伏せになって寝るようになればまたちゃんと呼吸しているか心配になって何度も確認していた。
成長してハイハイやつかまり立ちをして行動範囲が広くなると、興味が爆発していろんなものを触ったり口に入れようとするのでとにかく目が離せなかった。
よく寝るタイプの子どもだと思うが、寝かしつけが上手くいかない時は1時間以上抱っこしたりあの手この手で寝かしつけていて睡眠不足だった。
母乳とミルクの混合で飲ませていた時は3時間おきの授乳だったので朝夜問わず細切れ睡眠で結構きつかった。
旦那さんが夜中のミルクやおむつ替えを率先してやってくれたのが本当に助かっていた。
【当時】
28歳・看護師(育休中)




【大変だったこと】
1歳まではずっと大変でした。
みんな可愛いといいますが、私の場合そんなことは思いませんでした。


1歳の誕生日「もう1歳、早いな〜」とよくインスタで見てましたが、私は「やっと1歳・・長いな・・」と思っていました。
何が大変かと思い返すと、子供と2人のことが多く、大人と話すことがなく、生きてる気がしませんでした。
私は結婚と同時に退職しましたが、仕事は続けた方がよかったな。
仕事をしていた方が育児をするより楽だな〜といつも思っていました。
ママ友も少なく、子育てセンターにも足を運びましたが、なかなか気の合う友達もできませんでした。
そして、数人できても仕事に復帰していくので、仕事復帰すると会えないし、複雑な気持ちでした・・旦那さんは仕事が忙しく、あまり話すこともありませんでした。
【当時】
28歳・専業主婦




【大変だったこと】
1ヶ月から2ヶ月頃が大変でした。
夜中の授乳で眠れないが、日中は赤ちゃんを見に来てくれる方々への対応で起きていなければいけない時や、自分の髪がごっそり抜けるのを見たときなどの身体の変化に気づいた頃です。
また、妊娠中も授乳中も食べ物や飲み物を我慢していたのも辛かったです。
夫は育児に協力的ですが、夜中は赤ちゃんが泣いていても気づけない様子でした。
夫は仕事があるので、寝かしてあげないと!と思う一方で、休みの日くらいは自分から率先して夜中抱っこするくらいはしてほしい!という思いにもなり、情緒が不安定でした。
また、夫の友人や職場の上司からは、「誕生祝い」と称して夫が飲みに行くのも腹が立ちました。
いらいらしながら育児をするのが嫌だったので、そんな自分も嫌いになっていました。
その負の感情が大変だった思い出です。
【当時】
28歳・保育士(育児休暇中)




【大変だったこと】
子供が2か月頃までは夫の実家にいたので、食事の準備や、寝不足でフラフラしているときは誰かが助けてくれました。
自宅に戻ってきてからは夫は日中仕事で夜も遅かったので、一人で家事と子供の世話をするのがとても大変でした。
3か月頃は抱っこしていないと泣くので、何もできないことが多くてそれが精神的につらかったです。
6か月を過ぎた頃から仕事に復帰しましたが、保育園ですぐに病気をもらってきてました。
近くに頼れる人がいなかったのでほぼ全て私が休んで対応しなくてはならず、職場に迷惑をかけていると思うと申し訳なかったと思います。
2歳までに2回入院しましたが、その時も24時間付き添いで、子供のベッドに一緒に寝るかソファで寝ていました。
夫に着替えが食事をもってきてもらって、お風呂はシャワー室を借りて2週間近く泊まることもありました。
子供のことも心配でしたが、誰かに助けてほしいと思いました。
【当時】
28歳・病院事務




【大変だったこと】
3,4ヶ月頃が1番地獄でした。
とにかく夜は寝ない、昼間は抱っこ紐の中でしか寝ない、という子だったので。
日中、主人は会社に行くので、結局、寝ていない私が一日中抱っこ紐をつけて揺れている、という状況でした。
「赤ちゃんと一緒に昼寝すればいいじゃない」とか言われるのが辛かったです。
抱っこ紐してたら寝れないので。
実家に帰ろうかとも考えたが、私以外では泣き止まない、私以外だとギャン泣きの子供だったので、実家に帰ったところで状況は変わらないだろうと思い、帰らなかったです。
同じ月齢くらいの赤ちゃんをもつ他のママが、実家に赤ちゃんを預けて出かけたり、休んでいるのを見ると本当に羨ましかったです。
主人も早朝に抱っこ紐で赤ちゃんを連れて1時間くらい散歩しに行ってくれたして、夫婦共に辛い時期でした。
【当時】
28歳・専業主婦




【大変だったこと】
生んだばかりのとき、母乳で育てたいと思っていたが、子供はうまくおっぱいをくわえてくれないし、退院までほぼ一滴も出ず、しかし周りの人は出ていて、焦りながら5日間過ごした。
不安で眠れなくなって、食欲までなくなった。
母乳が軌道に乗るまで1か月はずっとそんな感じ。
つらかった。
今思えば母乳でもミルクでもどっちでもいい。
あとは本当に細切れ睡眠。
日中は30分寝たらいいほう。
夜中も1時間おきに起こされたりする。
それでどうせ起こされるからと自分も眠れない体になりいまだに不眠気味。
1歳目前でやっとあやしたりしなくても朝まで寝てくれるようになったけど、結局起きるのは起きて、ママーといわれるから起きざるを得ない。
朝まで広々ゆっくり寝たい。
【当時】
28歳・主婦




【大変だったこと】
退院してからの最初の1ヶ月は自分の授乳料も定まらず、子どもも飲む量が少なく胸がパンパンはり、搾乳するにも痛くて痛くて涙を流しながら搾乳していました。
親のアドバイスによりこまめに飲ませる、時間で切らないなど工夫をしていくことにより少しずつお互いタイミングを掴めるようになり、子どもも飲む量が増えた為乳性炎1歩手前でなんとか解消することが出来ました。
他には寝返りをするようになってからSIDSが怖くてなるべく仰向けに寝かせようとしているのが大変です。
旦那が呼吸センサーを買うなどしてくれて私の心配性を少しでも軽減しようと配慮をしてくれたり、自分が寝る時に子どもの体勢を直したりと、積極的に手伝ってくれています。
【当時】
28歳・会社員(育休中)




【大変だったこと】
赤ちゃんを育てるのはとってもいつでも大変だったけどもやっぱり話し相手がいない相談相手がいないというのがとても孤独でとても辛かった経験。
主人は朝早くに出てて帰りはもう夜中なので話したいけど寝れる時に寝ないといけないと言うことですごく辛かった。
1歳位になっても全然まとめて寝てくれなかったので昼間の昼寝も少し減ってきた動きだした頃の1歳2ヶ月ぐらいが1番しんどかったかなぁ。
圧倒支援センターなどで周りの同じ月齢の子はこれができているのに家の子はできてないっていうのがわかった時とかはすごく焦ったりして何とも言えない気持ちになって帰ってきたのを覚えています。
支援センターで仲良くなったままと思うやっぱり子供が月齢が一緒なだけなのでそんなに仲良くなるわけでもなく微妙な関係でそれも辛かった。
【当時】
28歳・専業主婦




【大変だったこと】
3ヶ月くらいが一番大変だったかなと思います。
母乳もよく飲むようになり、乳腺炎がひどく胸の痛みと戦いながら夜中授乳をしたり、眠いのに痛みで寝れないなどの苦痛を感じている時が大変だと思いました。
また保育園に入れた10ヶ月程度の時も、慣らし保育でなかなか慣れない不安や、いつ病気を持ち帰るかわからない不安などがあるので、その点は苦労しました。
両親は近くにいないため援助はしてもらえなかったですが、幸い旦那が在宅勤務のため、家事や育児の一部は手伝ってもらいながらなんとかやってきたと思います。
保育園に入れた後の1歳すぎも、さまざまなウイルスを持ち帰るので、熱で迎えに行くことは日常茶飯事。
仕事復帰してからは保育園のお迎えや熱出した時の病院に連れて行くこと、仕事もある、のさまざまな要因が重なりそれはそれでしんどかったなと思います。
【当時】
28歳・会社員