育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで女の子・ママ20歳〜25歳(22人)

育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで女の子・ママ20歳〜25歳(22人)


【強烈な思い出】
普段から姑が口うるさくて、抱っこしていたら抱っこグセが〜などと言ってくるので、無視もできなかったです。
、あるとき赤ちゃんにつきっきりはやめたら?と言われたので、寝室で赤ちゃんを寝かせ、洗い物をしていました。
泣き声が聞こえていつもならすぐに行くのですが、姑から言われた少しくらい泣かしておかないとお腹の運動にもならないよと言われてたので、そのまま洗い物続行してました。
だけどやっぱり泣き声が気になり、よく聞いてみると苦しそうな声だったのですぐに寝室に行ったら赤ちゃんの姿がなかったのです。
うちは厚めのマットレスを床に敷いてシーツを敷いてお布団にしてるのですが、壁とマットレスの間に隙間が出来ており、そこに赤ちゃんは落ちていました。
かけてあった毛布が顔にかかった状態でした。
見たときは血の気が引きすぐに毛布をどかしました。
幸いすぐに気づけたので大事には至りませんでしたが、本当に心臓が止まる思いでした。
寝返り出来る子注意です。
【当時】
20歳・主婦




【強烈な思い出】
初めて立った時は本当に感動した。
ずっと立つのも歩くのも遅くて1歳を超えてもつかまり立ちすらしようとしなかったため本当に歩けるようになるのかひやひやしていた。
保育園の先生からははいはいきちんとしていないと腰の弱い子になってケガしやすくなるから今のうちにハイハイするほうがいいのよと教えてもらってもやはり気が気ではなかった。
なので一人で立って歩きだしたのを見てこの子はやればできるのをわざとやらなかったんだという思いと本当に自分の子が歩いているという思いが混ざって本当にうれしかった。
保育園の先生もまるで自分の子供のように喜んでくださって一人じゃないんだなということを改めて教えてもらった。
【当時】
21歳シングルマザー・シール製造(育児休暇中)




【強烈な思い出】
育児中忘れなかった出来事は、旦那が当時はタバコを吸っていたので、床に置いてあった灰皿に大量のタバコが載っていて、私が目を離していいと好きに子供が口の中にタバコを入れていたことです。
急いで口から取り出し速攻病院へ行きました。
血液検査等精密検査をして大丈夫だったのですが、後で旦那には説教して、その後タバコはやめました。
本当に恐ろしい経験だと思っています。
子供は何でも口に入れたがあるので、これから子育てされる方は床に置いてあるものはなるべく上に置いて、赤ちゃんの目に入らない場所に置いておきましょう。
また机等の尖った場所は緩衝材をつけておき衝撃吸収しておきましょう。
【当時】
22歳・イラストレーター




【強烈な思い出】
言葉を話せるようになってきて
「しらんわ!」「わからんわ!」と言われた時、
私の言い方を覚えているとはっ!!っとした
まだ言葉を覚えたての子が発するので可愛げがあって
みんな笑っていたが
お友達などにキツい言い方をする前に直さなければとハラハラしている。
当人はみんなが笑ってくれるのでいいことだと思っているのが難点だ…
あとは1歳ででんぐり返しを急に始めたこと。
初めは床に頭をつける程度だったのが勢いづいてでんぐり返しになってから特技がでんぐり返しになった。
見る人はみんな褒めてくれるので得意げになっているのが可愛い
【当時】
22歳・サービス業育児休暇中




【強烈な思い出】
新生児の頃に抱っこしてその中でウトウトしていたのに急に噴水状に吐き戻した事。
母乳を飲んでから少し時間が経っていたのに吐き戻してびっくりした。
吐いた本人はすっきりしたようにそのまま夢の中へ。
もともと吐き戻しが多い子ではあったが、そこまでのものは初めてだったのですごく心配になった。
また、その時に限って家に誰もいなかったので対処するのが大変だった。
結局何もなかったので安心した。
保健師の方と話をしていた時に、お座りできそうですねと言われ、娘を一人で座る体勢にすると自分で支えながら座っていた。
今まで座れると思っていなくてやっておらず、びっくりした。
もっと少しずつやってあげればよかったと思った。
【当時】
22歳・専業主婦




【強烈な思い出】
沐浴中に水が娘の顔にかかり、顔が真っ赤になり普段こんなことがないので急なことでパニックになってしまい、死んでしまうんじゃないか?!と思いすぐ病院に連れて行きました。
病院の先生からは、水が顔にかかって口や鼻に入ったら苦しくなるのはみんな同じですよ。
と言われとっても恥ずかしい思いをしました。
今となっては笑い話ですが、恥ずかしすぎてそれ以来その病院に行けなくなりました。
初めての赤ちゃんということもあり普段の何倍も神経質で心配症になってしまっていたなと思います。
そのあと娘は普通にぐっすり眠り、なにかあった?と言わんばかりの顔をしていました。
【当時】
22歳・専業主婦




【強烈な思い出】
1歳誕生日前の歩きはじめた頃、救急車を呼ぶことがありました。
その日は日曜で夫が在宅でしたが、私は体調を崩し、別室で休んでいました。
夫の慌てた声で呼ばれて駆けつけると、子が仰向けで倒れていました。
転んだ際に後頭部を打ったようで脳震盪状態。
私は、子の名前を呼びながら、頬や身体を叩きました。
すると少しずつ意識が回復してきました。
とりあえず夫に救急車を呼んでもらい、待つこと数分。
救急隊員が到着し、状況説明をしました。
私の対応が褒められた記憶が忘れらません。
夫は私に敬意を示していました。
その後、搬送された先で、問題がないことがわかり、その日のうちに帰宅することができました。
その後、後遺症等もなく、元気に日常生活を送ることができています。
【当時】
22歳・専業主婦




【強烈な思い出】
赤ちゃん時代の強烈な思いでは、ベビーベット蟻事件です。
子供が6ヵ月くらいの時、壁際にベビーベットを置いて寝かせていました。
様子を見に行くと、ベットの枠を細かい蟻が列を作って歩いていたのです。
娘は気が付かないで寝ていましたが、慌てて抱きかかえました。
一瞬は理解できませんでしたが、子供を守らなければと我に返り、アリの出所を探しました。
すると床と壁の隙間から蟻が次から次へと行列をつくって出てきては、ベビーベットに上り、ヘリを一周して戻っているのでした。
ベビーベットは毎日洗濯したシーツやタオルを使っていたので清潔だったと思うのですが、ミルクの甘い香りに誘われたのか鳥肌が立つほどの量でした。
娘を非難させてからガムテープで取り、壁の穴もガムテープでふさいでからは一匹も出なくなりましたが、娘が噛まれたり、耳の穴に入っていたらと思うと今でも鳥肌が立ちます。
【当時】
22歳・無職




【強烈な思い出】
子どもが1歳半ごろ、家の中で転び、テーブルで顔をぶつけて、泣きながら血まみれになっていたことがありました。
パニックになり、傷口もよく見ることができす、とりあえずタオルでおでこを押さえてバスに乗り、小児科へ向かいました。
バスの中では、血まみれに泣き叫ぶ子どもを見て、乗客、みな驚いていたと思います。
(焦っていて、タクシーに乗る発想はありませんでした)
小児科で診てもらうと、ちょうど眉毛の上をパックリきっているとのことでした。
縫う必要があるかもしれない、こちらでは診れない、とのことで、紹介状を書いていただき、再びバスに乗りバスで別の病院に向かいました。
向かった病院で、生まれて初めて縫ってもらいました。
子どもも私も落ち着いたころには、半日以上経っていた気がします。
今でも娘の眉毛はそこだけ少し生えてきておりません。
【当時】
23歳・専業主婦




【強烈な思い出】
1歳になる前に、熱が何日も続き、とても辛そうにしている時期がありました。
たまたまかかりつけ医が休診の時で、救急に行ってもお薬をもらって終わりで、それでも回復しなかったため、他の病院を受診したところ、そこも救急の措置で問題ないと言われましたが、一向に回復しなかったので、ようやくかかりつけ医に診てもらうことができました。
そこでは、直ぐに検査をしてもらえ、数値は最悪の状態でした。
そこで適切な治療をしてもらうことができ、何とか回復に向かいました。
このまま良くならないのではないかととても不安になったし、かかりつけ医以外の病院の対応にも不満に思いました。
偶然かとは思いますが、娘が回復したその時に、飼っていた愛犬が老衰のため亡くなったので、家族は、娘が回復するのを待ってたのだと、暖かい気持ちになりました。
今でも、愛犬の命日には、この日のことを思い出します。
【当時】
23歳・主婦




【強烈な思い出】
とにかく新生児の頃は寝不足が辛くて、印象に残っている。
まだまだ睡眠のリズムがついていない時期なので仕方ないけど、夜中に2〜3時間ごとに起きてしまうので、初めての育児で覚悟していたとは言え、本当に泣くほど辛かった。
実家に里帰りしていて、夫が遊びに来てた時に、「少しだけ寝かせて…」と夫や姉に泣きそうになりながらお願いしたのをよく覚えている。
当時は責任感から赤ちゃんをみててもらうことをお願いすることに抵抗があって、その一言を言うのもかなり勇気が必要だったけど、周りはちゃんと助けてくれるしそんなことで迷惑だと思ったりなんてしないことは今ならよくわかる。
もっと周りに頼ってもよかったなあと思う。
【当時】
24歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
1歳過ぎてからオムツの中に手を突っ込んで
うんこを触って食べてしまった事があって
結構衝撃でした。

その時旦那もいたのですぐ呼んで言ったら笑ってました笑
一応病院に電話して食べても問題ないか、
対処法等聞いてました笑
それから何回か同じような事があったので
よく覚えてます。
その後はうんこをした時はよく見るようにして
すぐ変えたりたまにきづかないで
そのままにした時は手とか見て食べてないか確認して
これも病院や支援センター、市の相談員の人に聞いて
解決方法探してましたが気づいたら、
いつのまにかしてなかったです。

衝撃でしたが今ではいい思い出です笑
【当時】
24歳・主婦




【強烈な思い出】
ソファーに置いていて転がって落ちてしまった時は必死に病院に電話して対応してもらいました。
夜だったので病院も夜間診療しかやってなくて大変でした。
結局受診することもなく終わりました。
あとは夜なかなか寝ず、深夜番組を見ていたことです。
普段は深夜まで起きていることがないので、なかなか見れませんが、寝かしつけでなかなか寝ず、自分たちが眠い時はテレビをつけて見ていました。
あとは5ヶ月すぎると歯が生えてくるようになり、母乳をあげたときに噛まれるため痛くてしんどかったです。
傷になってしまったこともありました。
絆創膏を貼ってどうにか痛みに耐えてました。
【当時】
24歳・専業主婦




【強烈な思い出】
保育園に預けて仕事をしていた時、ある日残業になったのです。
当日主人も残業で保育園のお迎えが難しく、実母にお願いして自宅で待っててもらいました。
2時間くらいの残業で駅についたら突然実母から電話がきて泣き止まないから駅まで行くと言われ私を見つけた娘は大泣きで私に抱きつきました。
私が抱きしめると泣き止んだのですが、あの時の娘の泣き顔は今でも忘れられず頭に焼き付いています。
そしてもう2度とこんなに残業しないようにしようと心に決めた日でした。
普段保育園で頑張ってるのに保育園から帰っても親がいないことがこんなにも辛いことなんだと思いました。
私の場合、実母は専業主婦だったので母がそばにいない記憶があまりないためよくわからなかったです。
【当時】
24歳・看護師(育児休暇中)




【強烈な思い出】
娘はよくお風呂でうんちをしてしまう子だった。
お湯を張った浴槽の中でも何度もうんちをされ、浴槽に入って1分も入れなかったことがある。
ある日、いつも通り一緒にお風呂に入り、体も温まり、娘を浴槽からだして、私は脱衣所にタオルを取りに行っていた。
振り向くと娘がしゃがんでいたので、どうしたの?と声をかけると、お尻の方にとても大きなうんちが出ていた。
あ、うんちしたの?と声をかけると、自分のうんちを見た娘が、突然おびえたように泣き叫び、私に抱きついてきた。
まだ体が濡れている状態かつお尻はうんちまみれ。
お風呂に連れ戻してお尻を洗いたいのに、うんちに近寄ることを許してくれない娘は暴れまわって泣き叫ぶ。
私は笑ってしまって娘を抱っこする力も入らない状態。
結局先にうんちをかたずけてからお風呂にもう一度入ってもらうことで娘も納得し、裸でびしょ濡れのままリビングとお風呂を行ったり来たりしていた。
【当時】
24歳・会社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
睡眠不足と心身疲労でストレスが極限状態の時に、チョコレートの大袋を一袋1日で暴食してしまい案の定夜中に吐き気をもよおしチョコレートを嘔吐してしまった時に、夫が吐血したと思い懐抱してくれました。
翌日も慣れない家事で汚れた布団を洗ってくれたり、寄り添ってくれました。
赤ちゃんは分かっていない様子でしたが、私が自己嫌悪に陥り落ち込んで自然に涙を流していたので、普段は何も協力的してくれない夫が優しく接してくれて、いざというときは助けてくれると分かって良かったです。
こんなことになったのも無理が祟った証拠ですが、普段の私の苦労を少しは夫にも分かって貰える良い機会になり気持ちは最悪でしたが結果的には良かったと思いました。
【当時】
25歳・専業主婦




【強烈な思い出】
育児中に子どもが絨毯に落ちていた5円玉を口に入れてしまい、飲み込んでしまいました。
苦しそうにしている娘に、どうして良いかわからず、深呼吸して、救急車を呼びました。
病院ですぐレントゲンをとると、喉にひかかっていることがわかり、全身麻酔をし、管と風船のようなものを使って取ることになりました。
5円玉で、真ん中に穴が開いていたので助かったのだそうです。
10円玉だったら、どうなっていたことか。
無事、5円玉を取ることが出来、娘は疲れ果てて次の日の朝まで起きませんでしたが、私は泣きながら本当に良かったと喜びました。
その日は、旦那と旦那の両親は親戚の結婚式で不在でしたので、とても不安な気持ちでいましたが、みんな心配し、娘に再開したときは、みんなで抱き合って喜びました。
【当時】
25歳・営業事務(育児休暇中)




【強烈な思い出】
分娩の際に異常があり、全身麻酔での緊急帝王切開にて新生児仮死状態で出産した。
私が全身麻酔から目覚めると赤ちゃんは治療のため転院しており、会えたのは3日後だった。
赤ちゃんは無事に生まれたが、肺に水が吸収されておらず溜まったままだったため呼吸ができない状態ということだった。
同行した夫から、チューブや点滴がつながっている写真を見せられてショックだった。
そのまま赤ちゃんは遠方の病院に入院し、私は毎日数分の授乳と搾乳したものを渡しに通う日々。
2週間経過したときに主治医から「出産時に酸素が脳にいき渡ってない時間が長かったので、障害が残ると思います。」と言われて、言葉を失った。
夫は「障害があっても自分たちの子には変わりない」といって二人で頑張って育てようと話した。
その後、1カ月くらいで退院したものの、通院は欠かさず様子を見ていき、1年経過したころに、「特に脳に障害は残ってないですね」と言われたときは安堵して号泣した。
あれから特に異常もなく、すくすく育っている。
【当時】
25歳・無職




【強烈な思い出】
初めての高熱で入院した事です。
最初はただの風邪でしたが、なかなか熱が下がらず、食べるの大好きな娘が全然ご飯も食べなくなりぐったりしていたのでとても焦りました。
中耳炎にもなっていました。
そんな中、私は胃腸炎にかかり、看病しながら自分の体調不良とも戦っていました。
私自身もご飯も食べれず、トイレに駆け込むこともありました。
入院して、娘は点滴や検査を続けていくうちに病状は良くなり、それと同時に私も回復し、2人で退院する事が出来ました。
私まで体調を崩していた為、毎日必死でした。
娘は私の体調関係なく夜泣きもするし、狭い病院のベッドでは出たくてぐずるので可哀想な気持ちと辛さとありました。
大変だったので忘れられません。
【当時】
25歳・保育士




【強烈な思い出】
小さい子どもから目を離さないと決めていました。
しかし、少しの間目を離してしまいました。
普段から手に届かないように高い場所に小さい物や口に入れそうな物危ない物は、置くように気をつけていたのですが、何かの拍子に旦那が夜つけている耳栓が床に落ちてしまったようで片方だけ飲み込んでしまいました。
急いで病院に行き診察をしてもらったのですが、便に出てくるのを待つしかないでしょうと言われました。
その日から床には、おもちゃ以外絶対に置かないと夫婦で決めたのを今でも忘れません。
結局、便に混じって出て来たのかはわかりませんが何ともなく過ごせているので一安心しています。
【当時】
25歳・専業主婦




【強烈な思い出】
真冬の季節に高熱を出し、夜中に熱性けいれんを起こしました。
主人はたまたまおらず、私だけだったので目の前の状況にパニックを起こしたのを覚えています。
その後初めての入院を経験しました。
とてもしんどそうな表情のわが子が心配でたまりませんでした。
おまけに白衣恐怖症になってしまって、看護師さんがお部屋に入ってくるだけで大泣きしたり、私がトイレなどでお部屋から少し離れるだけで大泣きしてしまい大変でした。
退院後も免疫が落ちたのかインフルエンザになったりして、病気続きで親子で疲れ果てました。
この経験を踏まえて、こどもの体調管理には十分気をつけるようになりました。
数年たった今でもあの時の恐怖は強烈すぎて忘れられません。
【当時】
25歳・専業主婦




【強烈な思い出】
娘はよく、なにか企んてる時の笑顔を見せてくれてた事がありました。
それが可愛かったのも覚えてます(笑)
今現在でもそうなんですけど、私の妹の事が大好きでよく懐いてます。
妹にあうたびにテンション上がりっぱなしです(笑)
あとは自分自身になるんですが、
自身はよく1人行動を仕事休みの時にしてました。
一日ヒトカラや、ショッピング、お茶、と…
ただ、それが出産してからはする気が全く起きなくて、1人で出掛けたいとも思わなくなり、逆に娘と二人で出掛けたいっとしか思わなくなりました。
自分の実家に娘預けて1人ででかけても、服とか自分の分は買わずに娘のだけ買って帰ったり…
よく、自分の家族から服ぐらい買えと言われるぐらい…
【当時】
25歳・退職して無職