育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで男の子・ママ35歳以上(22人)

育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで男の子・ママ35歳以上(22人)


【強烈な思い出】
1歳くらいの時に、実家に向かうために飛行機に乗らなくてはいけなかったのですが、通路を挟んだ隣の中年男性に怒られたことが本当に腹が立ったのを覚えています。
特に泣き叫んでいたわけでもなく、おもちゃを落として遊んでいたことが気に障ったらしく言ってきました。
機内では息子は機嫌よくお利口にしていた方ですが、いまだに小さい子供に拒絶反応する馬鹿な大人がたくさんいることに本当に唖然としました。
キャビンアテンダントの方にこのことについて話した機会がありますが、公共の場所でその人がそんな注意をする義務はない、とおっしゃってくれて少し気持ちが晴れました。
【当時】
35歳・OL




【強烈な思い出】
睡眠不足やホルモンバランスが崩れるせいで、精神的におかしくなっていた時があった。
怒りっぽかったり、イライラしていたり。
そんなときに、しつこくお酒飲んで夜中に何度も電話をしてきたり、家に訪問してくる近所のお爺さんに気狂いのように怒鳴りつけて近所を巻き込んで大騒動になったことがあった。
いくら非常識なことをされたといえ、相手にしなければよかったと思った。
しかし、こちらとしてはせっかく寝かしつけた子供を何度も起こされたので許せなかった。
事情を知らない人間からするとうちが騒いでいたようにしか見えず後悔している。
【当時】
35歳・専業主婦




【強烈な思い出】
自分の妹とあまり仲が良くなかったのですが、子供が生まれたことで妹が子供を大切にしてくれ中を取り戻してくれました。
子供が生まれることがなければ疎遠になっていたからすごく貴重な存在でした。
やはり赤ちゃんと言うのは人に大きな意味合いをもたらしてくれます。
父が亡くなり息子が生まれ、息子が好きだったものがすべて父と似ており生まれ変わりかなと思うような不思議なことも多々あります。
じいじが見えると言ったりやはり通じ合っているかもしれません。
生まれた息子の姿を見ることができましたが成長する姿を見ることができませんでした。
【当時】
35歳・事務 育児休暇中




【強烈な思い出】
はじめて歩いた時の感動
おしゃべりしたり、パパママと言ったときも感動したけれど、はじめて歩いた時が動画もあるが強烈に覚えている。
自宅でパパと一緒にいるとき、ニコニコしながらロンパース着て、バランスを上手く取りながらこちらに向かってゆっくり歩いてくる姿は本当に嬉しかった。
私たちも笑ってしまったけど、とても可愛らしい姿に愛しさをおぼえた。
おしゃべりをし始めたときはゆっくりしっかり話す子だったので、一度も赤ちゃん言葉を使ったことがない。
その後もどんどん言葉を覚えるのですごいなと常に感じていた。
あとは、階段から落ちたとき。
ただただ驚いた!
【当時】
36歳・休暇中




【強烈な思い出】
絵本を読むと、生後2か月ぐらいでもニコニコと本を見ながら笑うようになったことです。
文字の内容もわかってないだろうし、赤ちゃんが見やすい赤いイラストの多い絵本を選んでいるとはいえ、まだまだわからないだろうと思っていたのによく反応が返ってきて面白かったです。
夫も絵本を寝る前に読み聞かせしてくれていて、一緒に寝ながら赤ちゃんがニコニコ笑い手足をバタバタさせているのはとても可愛らしくて印象に残ってます。
月齢が上がるごとに反応する箇所が増えてきて、セリフを覚えてきて同じ個所で毎回笑うようになるのに感心しています。
【当時】
36歳・専業主婦




【強烈な思い出】
出産時に里帰り出産をし、それが正直なところ忘れられない強烈な赤ちゃん育児中の思い出となってしまったことだ。
出産した年齢が実家の近辺でもかなり遅い年代であったことが実家の親も不安だったらしく、よくありがちな高齢出産にまつわるハイリスクな話などをまともに信じていたため、その呪縛から抜け出せず、里帰りから日が経つごとにだんだん実家の親が不機嫌さがエスカレートしていき、出産が近づいてくるとさらにエスカレート。
終日不機嫌な日がとにかくあった記憶しかない。
帝王切開による出産のため、入院する際、一緒に病院に滞在するのは配偶者という病院の方針にも腹をたて不機嫌さを見せ、とにかく不貞腐れていたのが今も鮮明に残っている。
赤ちゃん育児中の授乳のタイミングのイライラなど足元にも及ばないほどにトラウマとなったことは確かだ。
もう里帰り出産はごめんだ。
【当時】
36歳・官公庁臨時職員




【強烈な思い出】
完全母乳で育てようときめたものの、赤ちゃんがどのくらいミルクをのんでいるかわからなくて、胸もはってくるしかったときに、近くの助産院に通ってたすけてもらったことが、強烈な想い出です。
一人がむしゃらに頑張っていたわたしの肩の荷を下ろすかのように、優しくよく頑張ったねといってくれた言葉に思わず涙してしまいました。
実家にお世話になっていても、ガルガル期に突入していて、自分でなんでもやろうとやっきになっていたので、そんな優しい言葉をかけられるとはおもってもいなかったからです。
胸のマッサージをすることで、母乳も軌道にのりました。
【当時】
36歳・主婦




【強烈な思い出】
強烈な思い出は、出産し退院して1週間目の日曜日に夫が前妻、子どもに会いに行ったことです。
私にも非があるのですが(私から週末の予定を聞き前の家族のもとへ行くことになったので)私の体調の事を考えそばにいてくれると思っていたのでとてもショックでした。
私の感情を察してか子どもはいつも以上に泣くことが多くご飯も食べるタイミングもなくへとへとになっている所に帰宅した夫が「前妻の骨折が治りかけてるとは言え買い物など手伝えてよかったよ」と、言われた時にはショック感がまし涙も出る事なくへとへとの私はそのママベッドに倒れ込みました。
【当時】
36歳・専業主婦




【強烈な思い出】
予定日より1カ月早く生まれ、本当に職場の人に助けてもらいました。
夫は休みをもらうことが出来ましたし、車がなかったので、病院までの送り迎えにスタッフが手伝ってくれることもありました。
話を聞いてくれる職場の先輩には本当に気持ちが楽になったのを覚えています。
突然の出産になり、でも、息子はNICUに入院。
お腹がからっぽになった状態で退院したときの悲しさ。
忘れられないのは、息子がやっと家に帰ってきた日のことです。
初めて家で沐浴に入れ、初めて家で授乳をし、初めてオムツを変え、初めて寝かしつけをする…。
生まれてから1カ月経っていたので、なんだか変な気持ちでした。
【当時】
36歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
保育士さんたちは、「私たち保育士は、皆さんのお子さんの成長の様子を毎日見ているから、日々、交換ノートを使ってできるだけこまかくお母さんお父さんに伝えたいと思います。」と話していました。
でも、交換ノートだけでは、具体的な子どもの様子はイマイチ伝わっては来ないのでした。
たしかに、仕事を持つママたちは、ふだんは赤ちゃんを保育所に預けて仕事に行くため、成長の様子をじっくり観察して一喜一憂することもできません。
でも、だからこそ、クリスマス会で息子がニコニコしながら小さな手を上げたり足をぴょんぴょんさせてさまざまな芸を披露してくれた時はとても感動しました。
同時に、保育士さんたちに感謝の念を強く持ちました。
【当時】
37歳・会社員




【強烈な思い出】
まだ産まれて間もない頃、育児に慣れていない私は寝不足と授乳の辛さで心が参っていて、たまに子供が泣いていても相手にしきれない事があった。
未熟な私が抱っこしても泣き止んでくれないことも多々あり、生後2ヶ月の我が子が泣きすぎて声を枯らしてしまうことも。
そんな時、少し寝て良いよと言ってくれた母に抱き上げられた息子。
それまで大きな声で泣いていたのにピタッと泣き止み、それを見た私はたくさん泣いた。
自分の不甲斐なさが辛くて辛くてとても泣いた。
まだ未熟な母になったばかりの私と、子供を立派に育てあげた母とでは人生経験に違いがありすぎるのは当然なのに、あの時はたぶん悔しさと悲しさで涙が止まらなかったんだと思う。
子供が少し大きくなった今でも思い出す辛い思い出。
【当時】
37歳・専業主婦




【強烈な思い出】
男の子だったので、おむつ替えの時によくおしっこをかけられました。
また、おむつを替えてまだ数分しかたっていないのにウンチをされたり
おむつ替えで一日が終わるんじゃないかと思うぐらいおむつ替えの頻度が多いことに驚きました。
そのたびに手を洗うので、手ががさがさになりました。
また息子は授乳をするとウンチがしたくなるらしく、授乳中にぶりぶりと音がでてさらにミルクをに踏ん張るので、おっぱいが痛くなるときが多かったです。
乳首から歯茎の力が強いのか、母乳を上げていると痛すぎて話すと乳首から血が出ていて息子の口からも血が出ていたことは衝撃でした。
その後吐き戻したミルクも血まみれでまるで血を吐いたみたいで衝撃でした。
【当時】
37歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
ある週末、義理の両親に子どもの数時間預けたことです。
義理の両親は良かれと考え子供と一緒に外出をしてくれました。
その後帰宅した子どもはどことなくぐったりしている様子。
使ってあるはずのおむつは交換されておらず、渡していたミルクやお茶などは手つかずの状態。
熱を測ってみると予想以上に熱を出していました。
おむつは濡れていなかったので、軽い脱水を起こしていた様子でした。
すぐに飲めるミルクなどの飲ませて様子を見ると少しずつ体調がよくなりました。
預けた義理の両親へは感謝の気持ちを伝えつつ、外出先でも小まめに飲み物やおむつを気にしてほしい、角がたたぬように伝えました。
しかし義理の両親は「大丈夫」と言い張るばかりだったので、子どもの様子を具体的に伝えて、脱水と気づかなかたら・・・と伝えるとようやく理解してくれました。
義理の両親は孫の可愛さに忘れることもあるので、以後も具体的にこうして欲しい、これは避けてほしい、と伝える努力をする機会になりました。
【当時】
38歳・専業主婦




【強烈な思い出】
いちばん強烈だったのは手足口病になった時の見た目のすごさです。
こんなに赤くぼつぼつになってしまい、跡が残ったらどうしようかと心配しましたが、嘘みたいにきれいに消え去りました。
あれは本当に怖いビジュアルで、2度とかかってほしくない病気です。
比較的丈夫な子なので、それ以来大きな病になっていませんが、まだ3歳なのでアレルギーなどの不安はあります。
今でも初めて食べさせる食材には気を使い、ドキドキしながら食べさせています。
エビカニなどの甲殻類は特に反応が怖いので、平日の病院がやっている時間以外には食べさせないようにしています。
【当時】
38歳・会社員(旅行業)




【強烈な思い出】
つかまり立ちからよちよち歩きの時期がかわいい時期でもあり、また目が離せない大変な時期でした。
部屋中の物を手当たり次第に口に入れるので、掃除や整理整頓は日常でした。
また誤って家具の角で頭をぶつけないように、コンセントに手指を入れないように、など安全対策をしているつもりでした。
そんな時期に我が子がしたのがヨチヨチ歩きながらダイニングテーブルの中を嬉しそうに歩く姿。
最初は可愛いな、と見守っていたのですが、数カ月もすると身長が伸びて毎度テーブルと頭を打つという始末。
毎度大泣きされ、おでこがポッコリ腫れ上がることもしばしば。
そのことがあり、子どもの歩き方が落ち着くまでダイニングテーブルは片付け(親族宅に保管してもらう)る羽目になりました。
ダイニングが広々くなり、子どもも思う存分動き回った時期でもありますが、目が離せない時期のイタイ経験でもあります。
【当時】
38歳・専業主婦




【強烈な思い出】
夜間授乳でNICUで授乳している時、あまりにも胸がガチガチに張って痛いのと、それなのに母乳がほとんど出ない事がつらくて泣きそうになっていた時、すっと隣に座った助産師さんに「お母さん頑張ってるね、赤ちゃんすごくかわいいね」と言われたのが本当に嬉しかった。
その後の縦抱きがよさそうだね、とかこう咥えさせてみる?というサポートも的確で心強かった。
初めてお母さんと呼ばれて自覚をした瞬間だったと思う。
少し成長して、バウンサーの嗅ぎ方を発見した子供が、すごい力んだ薫と動きで漕いでいたのをみた時は微笑ましかった。
誰にも教えてもらっていないのにすごいと思った。
【当時】
38歳・会社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
便秘気味の赤ちゃんに、綿棒浣腸してあげてたら、いきおいよく飛び出してびっくりしたことがあります。
あとは、数時間おきのミルク時に、うまく飲めていない時があり、マーライオン並みに一気に吐かれたことが何度があり、驚いたことがあります。
歩くようになってからは、よく頭をぶつけることが多くなり、一度、高いところから鋭角のところにぶつけた時は、ほんとに心配になり、病院に問い合わせたこともあります。
しばらくは頭の打ったところを何度もチェックしていました。
まだ話せない時期だったので、余計症状が分かりにくく、とにかく不安でした。
【当時】
39歳・専業主婦




【強烈な思い出】
初めての海はきれいな海に息子を連れて行きたいと夫婦で思っていたので1歳2週間前にハワイに連れて行ったのですが帰る前日の明け方、真っ暗なホテルの部屋で息子の口からピュー、ピューっと噴水のように何かが出ると思えば嘔吐でなんと帰国日の前日に息子が嘔吐、夫が下痢、嘔吐、そしてはっきりどれぐらいの時間おしっこが出なかったか覚えていませんが調べてやはり危ないと思い、お守り代わりと思いかけた保険をまさか使うことになりハワイで受診するはめになってしまいました。
恐らくノロだろうということでした。
帰国日には夫も息子も回復していましたが、看病した私が帰りの飛行機でもどしまくり散々でした。
違う意味で忘れられない旅行となりました。
【当時】
39歳・主婦




【強烈な思い出】
7ヶ月ぐらいのときに義理実家に行くことになりました。
車で9時間ほどかかるのですが、荷物もたくさんあるしミルクやオムツのタイミングも取りやすそうだと思って車にしました。
カーシートが好きではない赤ちゃんだったので早朝に寝ている間に出発したのですが、30分ほどで起きてしまいました。
そこからほぼ8時間泣きっぱなしでした。
とにかく1時間おきに車を停めて外に出して抱っこしながら散歩をして気分を変えようと思ったのですがダメでした。
昼寝をさせようと思って一回寝てくれたのですがそれも30分ほどで起きました。
ほぼ泣いてる状態で運転している夫も私も頭痛がひどくなりました。
着いたころには全員げっそりしていました。
【当時】
39歳・主婦




【強烈な思い出】
なんですかね、ガルガル期っていうんでしたっけ?わたしの赤ちゃんにさわらないで!と思うこと。
ホルモンの関係なんでしょうが、わたしにもありました。
義母や、実家に勝手に自由に出入りしていた小姑がわたしから赤ちゃんを取り上げだっこしチューをしたりやりたい放題でわたしはブチ切れました。
そもそもなんで嫁に出たやつらが、頻繁に、しかもアポ無しで実家と言えども兄夫婦←わたしたち が住んでいるのに遠慮もなしに上がり込んで赤ちゃん触って満足して帰っていくなんて、そんなのいつまでも許せるわけないですよね。
怒りの頂点に達したわたしは義母に、あいつらに赤ちゃん触らせたくないから二度と会わせたくないと言いました。
←我慢しすぎて爆発。
言いづらさからの我慢は良くないということを今更ながら学びました。
【当時】
40歳・専業主婦




【強烈な思い出】
子供をつれての買物が大変になり出した頃、子供が昼寝をし始めた時、走って30秒の所にあるスーパーに買い物に行きました。
急いで終わらせて戻ると、外にも大きな泣き声が聞こえていました。
大急ぎで中に入ると、玄関に向かって大泣きしている子供が立ち尽くしていて、おむつをしていたのに、その下はおもらししてあふれてしまったおしっこの池が出来ていました。
何でそうなったのか、私も暫く唖然としてしまいましたが、悲しそうに泣き叫ぶ子供の顔と、その池を見ながら、自分がした事を深く反省しました。
近いし、すぐだからと甘い考えをした罰は痛かったです。
【当時】
40歳・在宅ワーク




【強烈な思い出】
夫の事が本当に嫌になり
その気持ちが子供に伝わったのか
夫に抱かれるのもかなり嫌がって、毛嫌いしたり、私がお風呂に入ってる間など
夫が見ないとなのですが、ずっと泣いてて、夫が苦労しているのをみて
ざまーみろ!っと思っていました。
また、少し成長した時に、今度は夫の財布からお金を抜きポケットに忍びこませていました。
欲しいお菓子があったようで、私達にばれないようにはなみはなさず隠し持っていたのがパンツの中です。
当然、息子は尿意を感じ、お金の事なんて、記憶からなくなっていました。
その結果、便座に座りお金を中に落とし、それに気づいた時には時すでに遅しで、きれいにしなきゃとおもった子供は水を流せばきれいになると思ったのでしょう?子供がそれに気づいたときにはもうなかみはなく、残念で、それを聞いた夫も何度も流れるトイレを見にいっていました
【当時】
40歳・保育士