育児体験談一覧【強烈な思い出】兄か姉がいる男の子の赤ちゃん(23人)

育児体験談一覧【強烈な思い出】兄か姉がいる男の子の赤ちゃん(23人)


【強烈な思い出】
上の子が1歳、下の子が半年頃に、私が疲れすぎてしまって子供にイライラしてしまった事がありました。
その表情を見て下の子は泣きだしてしまったのですが、その様子を見てお兄ちゃんが下の子をよしよししたり、抱きしめたりする姿を見て私は余計に泣いてしまいました。
私はなんてひどい事をしてしまったのだろう。
この子たちが私の息子達で良かったと心から思いました。
子供は小さいなりに、ちゃんと周りの様子や雰囲気を読み取るし子供なりに考えているんだと思いました。
子供は正直だし素直なのでそのまま感情や状況を読み取ってしまうのでこれからは気を付けようと心から思いましたとても記憶に残っている出来事です。
【当時】
23歳・専業主婦




【強烈な思い出】
うんちをかえているときに追加でうんちされて上の子とともに全身にうんちを浴びたことです。
今なら笑えますがその時は衝撃的でその後どうしたのかもあまり覚えていません。
調べたらよくあることみたいで、そちらもびっくりしました。
上の子の時にはなかったことが下の子にはよくあって、同じ親から産まれてもこんなにいろいろ違うのだなと感心しました。
その夜すぐに夫に話してドン引きされてしまったのは覚えています。
その時たまたま実母がいない日で一人で後片付けをしたのだろうなと思っています。
今では本当に思い出話になりますが、初体験でびっくりしました。
【当時】
25歳・専業主婦




【強烈な思い出】
外出中に赤ちゃんと、上の子が同時にぐずって泣き出してしまった時、周りに迷惑をかけない様にと赤ちゃんを優先的に抱き上げて、上の子は泣き止む様、お話をしましたが、上の子も私とのスキンシップを求めていました。
普段、家で過ごす時は、赤ちゃんは、緊急でない限りは後回しにして、赤ちゃんを目で見ながら、上の子の赤ちゃん返りや、イヤイヤ期に付き合っていましたが、外出先だと、どうしても周りの目が気になり、上の子を後回しにしてしまったことが、とても心残りでした。
上の子が必要としているものは私だとわかっていたのでとても大変でした。
【当時】
26歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
生後二週間のときに38°の熱が出て病院に行ったらまだ生後二週間でこんな熱が出るのはおかしいとのことで二日間入院になってしまった。

突然だったので、なにか病気があるのかもしれないと寝ずに泣いていた。
1日目は次の日に上の子を見る人がいなかったので赤ちゃんは一人で入院させたので寂しい思いさせてしまっているかもと涙が止まらなかった。
二日目は一緒に入院したけど、いろいろな管を付けられて個室だったので広い部屋で広いベットで寝てるのを見ていたらまた涙が止まらなかった。
次の日検査の結果何も病気はなくて安心して退院した。
実母に来てもらったけど実母も本当に心配していた。
【当時】
28歳・専業主婦




【強烈な思い出】
ママ以外のひとが近づくと、この世の終わりかってぐらい泣き叫ぶ事です。
お姉ちゃんは泣くことはありませんでしたがそれ以外のパパやおじいちゃんおばあちゃん、近所の人も私の友人もみんなダメで、近くに私がいないのがわかると発狂しながら探しているんです。
お風呂やトイレに行くのも、ドアが開く音がするとギャン泣きしてその時手に持っているものを投げ捨てて探し出すので後片付けも大変でした。
パパがどんなに抱っこして宥めても叩いたり大暴れするのでおさえておくのが大変でした。
ただ、お姉ちゃんと2人で集中して遊んでる時は大丈夫だったりします
【当時】
29歳・会社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
外出の帰り、バスに乗ったタイミングでベビーカーに乗っていた下の子どもがお腹が空いたみたいで泣き出した。
授乳には少し早めだったのでミルクの準備はしていなかった。
10分くらいで帰れる距離だったので、バスの中で授乳するわけにもいかず、なんとかバスの中であやしながら耐えてもらっていた。
だんだんギャン泣きしだして、バスの中で泣き声だけが響いてとても気まずい状況だった。
更には上の子も眠くなってぐずりだして、二人で泣いていた。
上の子はわたしの母がなだめてくれていた。
あと少しで家の近くのバス停につくというところで、急に後部座席に座っていた乗客の一人が、「うるさ〜い!!!」と大声で怒鳴ってきて、他のバスの乗客が一気にそちらを向いて静まり返った。
子どもたちは大声にびっくりしたのか静かになった。
わたしは申し訳ない気持ちもありつつ、でも1か月の子どもは泣くときは泣くし、お腹空いてるんだから仕方ないよねとも思いながら、すごくモヤモヤした気持ちでいた。
その怒鳴った乗客は知的障害がある雰囲気だったのでうるさい子どもに我慢できなかったのだろうと、自分に言い聞かせて心を落ち着かせた。
バスを降りるときに私の母がその乗客に「うるさくしてすみませんでした。」と謝ってくれた。
私はベビーカーをおろすためにバスの運転手さんに手伝ってもらいながらバスを降りたので謝る暇はなかったが、やはりモヤモヤは残った。
それ以来その出来事がトラウマになってしまって、バスに乗るのが億劫になってしまった。
【当時】
29歳・パート休業




【強烈な思い出】
お食い初めの時にスーパーでお祝いの大きい鯛を購入し、私の両親も呼んでみんなで息子のお食い初めをしました。
お食い初めが終わったあと鯛が大好きな夫が全部鯛を平らげてしまい、周りはとても呆れました。
私の両親も夫が鯛が大好きなのを知っていたので何も言いませんでしたが少しあきれ顔…こっちからするとお祝い事の鯛なんだからふつうは周りの家族にも分けてあげるのが普通だと思います。
4年経った今もその事件についてみんな面白おかしくいじっていますが、自分の子供たちにはそんな大人にならないように日々の子育てで伝えたいと思います。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
出産時。
陣痛がきてからかなりのスピード出産で、病院に向かっている際の車で産みそうになってしまった。
なんとか無事に病院で出産できたが、車を運転していた母はヒヤヒヤして焦っており、スピード出産だったことで夫も間に合わず立ち合いが出来なかった。
また、1週間以内に2歳のお兄ちゃんが発熱しており、コロナ禍ということもあり念には念をで、私は隔離出産となってしまった。
私も風邪気味ということもあり、隔離出産後、退院時まで赤ちゃんと顔を合わすことも出来ず抱っこすら出来なかった。
入院中は看護師さんが1日1枚赤ちゃんを写真に撮ってきてくれたので、その写真を眺めるだけの寂しい入院生活となってしまった。
産まれたばかりの赤ちゃんを抱っこすることも見ることも出来ず辛い出産てあった。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
おうちでのんびり、赤ちゃんと過ごしているとき、突然のギャン泣きに驚きました。
ふと、目を離したすきに何があったんだろうととても慌てました。
ずりずり動く時期だったのですが、そばにコロコロクリーナーがあって、その部品が見当たらなく、もしかして誤飲したかもとすぐに救急車を呼びました。
うんちからその誤飲したものが出てくるまで、1日入院して様子を見ましょうということで、出産後母子ではじめての入院となりました。
お医者さんが赤ちゃんのうんちを別室で調べてくれても、なかなか出てこなく、でも体調は良好だったので、誤飲というよりも何かずりずり動いているときに、当たってしまったりと、それでギャン泣きしていた確率が大きいかもと、様子みで退院しました。
命に関わることなので本当に強烈で、心配した気持ちは忘れられません。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
忘れられない強烈な思い出は、やはり「子ども達が病気」の時です。
長男・長女が、続けさまに熱を出している中で
夫は、職場の飲み会に行ってしまいまいした。
当時は、次男もまだ授乳中だったので、夜中の授乳をしながら
しんどくて泣いている長男・長女を抱っこしたり、なだめたりしていました。
早く帰ってきてもらうように言っていたのに
なかなか帰ってこず、日がかわっても連絡のない夫にブチ切れ
「ベロベロになるまで飲む飲み会と、熱が出て苦しんでいる子ども達…どちらが大事なのか??」
「そんな付き合いの飲み会は、一切しないで欲しい」
と、泣きながら電話をしたのを覚えています。
実際は、あまりお酒は飲んでおらず
仕事のことで大事な話があったらしいのですが…
その時ばかりは、どうしても許せませんでした。

【当時】
31歳・専業主婦




【強烈な思い出】
三男が生まれて1ヶ月たった頃に高熱、咳が酷く夜間救急いったことです。
検査などをしRSウイルスという診断を受け、即入院になりました。
今まで上二人はその経験がなく三男はまだ1ヶ月なため、不安でいっぱいでした。
こんな小さい子が入院、そして点滴をしている姿は衝撃で怖かったです。
肺炎になると更に危ないので入院という事でしたが私からしたらこんな小さい子が1週間も点滴して辛くないのか、、出来るなら私が変わりたいと思いました。
この経験から、赤ちゃんは免疫が弱いし気をつけて過ごさなきゃなと感じました。
いい経験になったとも母親として思いました。
【当時】
31歳・専業主婦




【強烈な思い出】
長女の時が、自営で弁当屋をしていたのですが、
赤ちゃんの世話をしながらの仕事で、しかも火を使う仕事だったため、あの頃は私は地獄でした(笑)
寝かしつけても、電話の音、調理中の音などですぐ起きます。
抱っこしながらフライパンふりは、もう怖くてできません。
関わった人には他人さんには良くしてもらっていました、が、親戚は縁を切りましたので、、、その辺はスルーでお願いします。
この当時、おんぶ紐をもっていなかったので、なんやったらこの時期が1番おんぶ紐、欲しかったです(笑)
心境としましては、長女には本当に申し訳なかったなと思っています。
危ないし、空気も良くないだろうし…。
ごめんねと思います。
【当時】
31歳・在宅・内職




【強烈な思い出】
高熱が出たことがあるのですが、40度を超えて痙攣を起こしたことがありました。
上の子で経験が無かったのでびっくりして慌てました。
ただ、ママ友からけいれんしたことがあると情報を得ていたので驚きながらも様子をしっかり見たり取り乱さずに対応することが出来ました。
海外に行っている時の経験かつ、大人は自分1人で長男も一緒にいたので病院に行くのも苦労しました。
ある程度緊急時の勉強はしておかないとな、と痛感しました。
この経験はママ友にも伝え、他の人たちにも困らないように共有するようにしました。
熱がある程度出た時点で座薬を使えば良かったのかなと後悔しています。
【当時】
32歳・事務職(育児休業中)




【強烈な思い出】
私たち家族にとっても、私の両親にとっても、4年ぶりの赤ちゃんで、何をしていても無条件で可愛いのですが、私たち家族には愛想を振りまく次男。
父が出産後からコロナで面会出来なかったので、里帰りを心待ちにしてくれていました。
長男や甥っ子の時は、あまり抱っこしたり、しなかったのに、今では、実家に帰ると息子を抱っこして、サンルーフで日向ぼっこするのが日課になっています。
ちょこちょことハイハイしてきたかと思うと、足の間からひょっこり顔を出したり、引っ付いてきたりする次男は愛嬌の塊といった感じで、父をはじめ、家族全員がメロメロです。
睡眠時間が短く、大変なことも多いけど、笑顔を見るだけで、大変なことも忘れるくらい愛おしいと思うようになりました。
【当時】
32歳・専業主婦




【強烈な思い出】
赤ちゃんが生後1か月の時、車の接触事故があったことです。
車の運転中に後ろからぶつけられました。
幸い軽い事故だったのと里帰り中で赤ちゃんは実家に居ました。
しかし、事故が起こったことと長い時間家に帰ることが出来ず赤ちゃんに母乳をあげることが出来ない心配で、パニックを起こしていました。
私の不安が伝わったのか、結局相手の方が警察に通報し、自分の親も心配で見に来てくれ、帰りは親が運転してくれたので無事に実家に帰ることが出来ました。
帰ると、ミルクを飲んで泣き疲れている赤ちゃんを見てほっとしました。
何事もなくてよかったと心底思いました。
【当時】
32歳・専業主婦




【強烈な思い出】
お宮参りの日、写真館に記念写真を撮りに行きました。
ねんねのタイミングやごはんなど、機嫌を損ねないように万全に挑んだつもりだったのですが、なかなか撮影時間になっても案内されず、疲れてしまったのか撮影が始まってからすぐに機嫌が悪くなってしまいました。
撮影が始まる前に自分たちで撮った写真は機嫌が良いもので、いざ本番で撮影したものはほとんどが泣き顔の写真となってしまいました。
一緒にとったお兄ちゃんが満面の笑みなのに対し、赤ちゃんは号泣してる写真が残ったので今でも残念だなぁと感じている出来事ですね。
できれば取り直せばよかった。
その後のお宮参りでは天気は最高によかったももの、日中に日差しが強く、目が開けられなかったみたいで結局お宮参りでは納得できる、子供がかわいく撮れてる写真が一枚も残りませんでした。
【当時】
32歳・会社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
主人と私がくっついて話をしていた時に、「パパ!ママから離れて!」と息子が怒り出し、
主人と私を引き離した後私にぴたっとくっついたのは今でも忘れられません。
主人はしょんぼりしていました。
他にも、外出先で主人と息子の写真を撮ろうと私が離れたら、それだけで息子が大泣きするなど。
上の子(娘)は逆に「もうママ好きくない!パパ好き!」と言っていて「なんだと〜!?」とムカついた記憶があるので
小さい頃は異性親に特に甘えたくなるのかなと思いました。
今は二人とも小学生ですが、息子は主人に、娘は私に甘えてくるので小さいころとは状況が逆になりました。
【当時】
33歳〜36歳・専業主婦




【強烈な思い出】
11か月ごろに、卵のおかゆを食べた時にアナフィラキシーになり、目の前で真っ青になり倒れたことです。
意識を失っていました。
直ぐに病院に搬送し救急措置をしていただいたおかげで命は助かりました。
調べたところ、強度の卵アレルギーだと分かりました。
それから、家はもちろんですが保育園や小学校でも卵の除去食になりました。
周りの方のご協力の陰で、保育園や学校でアナフィラキシーになることもなく成長することができました。
運ばれるのが遅かったら助からなかったかもしれないと思うと、ぞっとしました。
本当に生きていてくれてありがたかったです。
【当時】
35歳・公務員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
離乳食を食べさせるたびに「おいしいね」と繰り返していたら、11ヶ月のころから、食べるたびに「おいしい」と言うようになった。
とても可愛らしくて、とても嬉しかったが、話しはじめにしては早すぎるのでは?と不安になった。
同じ月齢の子も「マンマ」くらいが言えるか言えないかで、会う人会う人に「天才じゃないの?」と言われたが、逆にとても心配していた。
結局、ほかの言葉が出るようになったのはもう少し先だったので、問題なかったが、当時は発達や体調に過敏になり過ぎていたように思う。
もっと単純に喜んであげればよかった。
【当時】
35歳・専業主婦




【強烈な思い出】
お風呂に入れている時のこと、つかまり立ちができる時期だったのですが、顔を真っ赤にして踏ん張り出したのでまさかと思ったのですが、そのままおしりからうんちが出てきたときはほんとにびっくりしました。
思わず手でキャッチしてしまいました。
手についた匂いがしばらく取れなかったです。
まだ一歳になったばかりの時、「〇〇な人ー?」という声かけをすると「はーい」と返事してくれるようになった時に、いとこや上のお兄ちゃんやお姉ちゃんが遊んでいた時に叔母が「お風呂入る人ー?」と聞いたときにみんな遊んでいるのに夢中で誰も返事しなかったのに、「はーい」と返事して手をあげたのにはみんなびっくりして大笑いだった。
【当時】
35歳・専業主婦




【強烈な思い出】
忘れられない思い出は誤嚥です。
これは本当に親の責任ですが上の子でも気を付けていたはずなのに油断してしまいはじめて起きたトラブルでした。
マグネットタイプのお絵かきボードを100均で購入したのですが適正年齢を守らず下の子に与えてしまいペン先が折れたようでそれを飲み込んでしまいました。
子供はケロッとしており元気でしたし本当に飲み込んだのかは分からなっかったのですが夫にすぐ相談をし小児科へ駆け込み2〜3ミリ程度の物なのでレントゲンにも映らないしそのうち排便されるだろうと言われました。
ただ磁石は2つ飲み込むと危険なので危ないと言われてホントに恐怖でした。
この出来事は絶対忘れないですし忘れてはいけないなと思います。
【当時】
35歳・専業主婦




【強烈な思い出】
1回うつかり小さなおもちゃを誤飲したかもしれない騒動があって、当たり前だけど飲んだかは答えてくれないので夫とめちゃくちゃ探した。
夫もめちゃくちゃあせってた。
しかも磁石みたいなおもちゃだったので病院行くか…と…でも年末年始だったのでもう少し探してからにしようと思って1時間くらい探してあった時の脱力感はすごかったけど夫とは少し絆が深まった。
ただ年越しそばは伸びきってそばには悪いことしたなと思った。
子供はおまえら何してんだ…年末の大掃除ギリにやるタイプなん?みたいな感じで一斉に掃除しだした親に驚いている様子だった。
たまに笑ってた。
おもちゃは絶対に小さいのは排除しようという強い気持ちが生まれた年末年始だった。
【当時】
38歳・専業主婦




【強烈な思い出】
歩き始めた頃、気がついたら、部屋に赤ちゃんがいない!家中探してもどこにもいない!
トイレも風呂場も探したけど見つからないと慌てていたら、少しだけ開いていた、扉から部屋を出て、一人でエレベーターボタンを押して、中に入って、エレベーターは閉まった状態だった。
もしかしてと思い、外に出て、エレベーターを呼んだから、中で一人で遊んでいる息子がいました。
本人は全くその状況に気がついていないできょとんとしていて、私だけが大パニック!適当なボタンを押して、どこかに行ってしまったりしなくてよかった!
それからは家の中でも目を離さず、ベランダの窓など外に通じる扉は寝る時でもしっかり鍵もしまっているかを確認するようにしています。
【当時】
40歳・主婦