生きていてくれるだけでいい、あなたがいたからそう思えたよ!!

【赤ちゃん育児体験談】生きていてくれるだけでいい、あなたがいたからそう思えたよ!!

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
35歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
公務員(育児休暇中)

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
36歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
公務員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
一軒家、私たち夫婦、子供3人、夫の両親、夫の祖母の8人家族。
とても田舎で、近隣の家とも付き合いがある。

【里帰り出産について】
里帰りはしていない





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
上に5歳の女の子、2歳の男の子
【赤ちゃんの性格】
おとなしくて、よく寝ていい子であったが、体が虚弱で直ぐに風邪を引いた。
10万人に1人のひどいアレルギーと医師に言われていた。




【寝かしつけの工夫】
ミルクを飲ませて、とんとんしてあげればすやすやと眠った。
夜泣きもなく、上の子供たちが騒いでも全く気にせず徳眠ったので、特別なことはしなかった。




【おむつ】
上の子のときからずっとパンパースを愛用していた。
漏れや破れがが少なく、とても良い製品だと思った。
病院でも使っていたので安心して使うことができた。




【母乳とミルク】
ほとんどミルクであった。
アレルギーがひどかったので、アレルギー対応の明治のミルクを購入して飲ませていた。




【離乳食】
3か月ころから果汁を薄めて与えた。
5か月ころから薄いおかゆやみそ汁の上澄み、半年くらいから野菜のペーストをスープでのばして与えた。
10か月暗いから、刻み職にしていった。




【大変だったこと】
・アレルギー対応が大変だった
・病弱で毎月入院していた
・上の子がいて、手をかけてあげる時間が少なかった

【具体的に言うと・・・】
一番大変だったことは、子どもが病弱だったことです。
普通の子なら風邪をひいても4〜5日で直ぐに治るのに、この子は必ず肺炎になるので毎月のように入院をしていました。
狭いベッドで赤ちゃんと一緒に寝ていました。
また、風邪薬を処方してもらってそれを飲むと下痢をするといった様子で、普通の子を同じ薬は体に合いませんでした。
ひどいときは、風邪薬を飲んでアナフィラキシーになり、血圧が30にまで下がったこともありました。
その時は死を覚悟しました。
お医者さんに伝えても、風邪薬でアナフィラキシーになる例は聞いたことがないと言い信じてもらえませんでしたが、病院に入院しているときに看護師さんの目の前で薬を飲んでそのような状態になったので、お医者さんもやっと分かってくれました。




【当時の心境】
この子は長くは生きることは無理だろうと思いました。
なので生きている間にうんとかわいがっておこうとおもい、兄のお古の服ではなく常に新品の服を着せて、ことあるごとに写真を沢山取りました。




【夫の手助けと関わり】
夫は子供のことにはあまり関心がないので、お願いすれば手伝ってくれたこともあったかもしれません。
この子が入院している間の上の子たちの面倒を見てくれていたかもしれません。
夫がやらなくても夫の母がやってくれていたと思います。




【工夫と便利グッズ】
いる入院するか分からないので、自分の仕事は早めに取り組みました。
上の子たちの保育園で必要な物や、入園、卒園などに必要な洋服も早めに準備して置き、私がいなくても大丈夫なように、常日頃から早め早めに準備をしていました。
3人の子供たちができるだけ喧嘩にならないように、おもちゃなどは必ず3人分用意して奪い合うことがないようにしました。




【強烈な思い出】
11か月ごろに、卵のおかゆを食べた時にアナフィラキシーになり、目の前で真っ青になり倒れたことです。
意識を失っていました。
直ぐに病院に搬送し救急措置をしていただいたおかげで命は助かりました。
調べたところ、強度の卵アレルギーだと分かりました。
それから、家はもちろんですが保育園や小学校でも卵の除去食になりました。
周りの方のご協力の陰で、保育園や学校でアナフィラキシーになることもなく成長することができました。
運ばれるのが遅かったら助からなかったかもしれないと思うと、ぞっとしました。
本当に生きていてくれてありがたかったです。




【後悔してること】
卵を食べさせるべきではなかったと思います。
夏バテ気味なので栄養を付けさせようと思ったのですが、とんでもありませんでした。




【嬉しかったこと】
とても賢い子だったので、病院に入院中も「ママはトイレに行ってくるから待っていてね。」と言えば、ちゃんと1人でベッドのところで座って待っていました。
夜泣きや我儘を言うこともない本当にかわいい子でした。
いつもにこにこして、この子が生きているだけで何もいらないし望まないと思いました。




【現在】
それから。
25年経ちました。
あんなにひどかった卵アレルギーもなくなり、普通に卵を食べることができるようになりました。
身長は185pを超え、たくましく成長しました。
ただ生きているだけでいいと思って育てたのに、しっかりと勉強して大学を出て就職もしました。
「東京はお金さえ出せば何でも食べらえるから、ちゃんと食べるんだよ。」と私が言うと、「食べられないものがあるよ。
母さんの手作り料理!」
などと、かわいいことを言う息子に成長しました。



【当時の自分へのアドバイス】
命があればなんでもできるから、とにかく大切に育てようね。
諦めなければ、道が開けることもあり、明るい未来が待っているかもしれないよ。
子どもは、母が思うよりも強いから、生きたいと思っているのだから、お母さんも前を向いて生きて行こうね。
その時、その瞬間の子供のかわいさをたくさん味わっておこうね。
小さくてかわいいときは振り返ってみると短いよ。