寝なくても食べなくても何とかなる!家族と助け合い乗り切り辿り着いた笑顔の日々

【赤ちゃん育児体験談】寝なくても食べなくても何とかなる!家族と助け合い乗り切り辿り着いた笑顔の日々

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
33歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
ライター(育児休暇中)

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
31歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
イラストレーター

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
今も同じく都会のマンション。
夫、私、子供の3人。
近所づきあいは挨拶程度。

【里帰り出産について】
していない





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
初めての子供
【赤ちゃんの性格】
1歳まではとにかく寝ない。
首すわりから発達が遅く、病院にかかりきりだった。
警戒心が強く慎重派なのは生まれた時から。




【寝かしつけの工夫】
立って抱っこゆらゆら長時間が基本で、慣れてくると添い乳で寝かせるのが主になった。
どうにもならない時はバウンサーを使って泣かせたこともある。




【おむつ】
メリーズ。
パンパースは足の太さ的に細めだったので横漏れしがちだった。
マミーポコパンツは明らかに紙の質が悪く、安いだけのことはある。




【母乳とミルク】
母乳100%。
乳アレルギーがあり、粉ミルクは飲めなかった。
アレルギー用ミルクもあったが、十分母乳がでていたのでそれだけでまかなった。




【離乳食】
5か月頃から始めた。
従来のセオリー通り、十倍がゆ、ニンジン、かぼちゃなどから。
量が少ない頃は自分でつぶして作っていたが、しっかり物をかめるようになってからはレトルトもたくさん使った。




【大変だったこと】
・とにかく寝ない子で、大人2人でも太刀打ちできない程眠れず辛かった
・離乳食になってから食べむらが激しく、全く食べない時は辛かった
・離乳食になってから便秘になるように。
浣腸する日常となった

【具体的に言うと・・・】
一番大変だったのは1歳前後。
それまで私にべったりだったのが急に私を見ると激しく泣き出すようになり、でも気になるのか姿が見えると追いかけてきて、授乳中も飲みたいけど泣いちゃったり何もできなかった。
しかも一番寝ない時期となり、一時間続けて寝るのがやっとという状態が24時間続き、寝かしつけや世話を夫に任せるしかなく、日に日に疲労困憊で精神を病んでいく夫を見るのも自責の念にかられたし、子に嫌われているような環境もとても辛かった。
今思えば何かの拍子に私の存在が刺激になっていたのかもしれない。
近くに住む義母に何度か助けを求め、一日預かってもらったり毎月親のリフレッシュデイを作ってくれて、そのおかげで乗り切れたと感謝している。




【当時の心境】
生後4か月まではわけもわからず進んで行く日々で、切迫早産で入院していた身体への負担もありとにかく体力的にしぬほどつらかった。
最初は発達が遅いことも気になっていたし、育児疲れで夫と喧嘩が増えたりとあまり家族にとっても良くない雰囲気が続いていたが、1歳を過ぎてからはとにかく楽になり、子もよく笑うようになって幸せを感じている




【夫の手助けと関わり】
自営業のため積極的に子育てに携わってくれた。
私が辛い時は夜中全部起きて子供の面倒を見てくれた時も多々。
家事も全部してくれて、子育てを手伝うというよりは主体的に子供の父親になってくれて授乳以外の全てをこなしてくれた。




【工夫と便利グッズ】
頼れるものは全部頼る。
まずはグッズでバウンサー。
これが寝ない時期には大活躍した。
揺れれば大体の子は寝る。
行政のサービスも使えるものは使った。
母乳マッサージついでに助産師さんに育児の相談、行政補助のあるベビーシッターなど、お金をけちらずに、どううれば家族が楽して笑っていられるかを追求して、義両親もベビーグッズもサービスも活用させてもらった。




【強烈な思い出】
乳アレルギーがあるのに誤って乳が入っているレトルト食品をあげてしまって、8か月ぐらいの時に何度も嘔吐。
緊急入院となったが当時夫が県外へ仕事に行っており、孤独な中慣れぬ病院で付き添い入院することとなり、断食を命じられた息子はお腹がすいて深夜何時間も泣き叫んだ。
どれだけ抱っこしても鳴き声は一向におさまらず、泣きながら放っておくしかなくて朝まで涙を流しながら眠れない夜を過ごした。
朝になって家に帰ってきた夫に「早く来てほしい」とすぐにメッセージを送るも、なぜかメッセージの意図を読み違えた夫は駆けつけるよりも洗濯物を干すことを優先し、イライラが抑えられない私に怒られていた。




【後悔してること】
生まれてすぐから義両親に頼れば良かった。
遠慮したというよりこれなら2人でぎりぎり生き延びれるかも無理したのは否めない。
ぎりぎりよりも余裕を持って、楽しく育児できる方が大切だった。




【嬉しかったこと】
初めて声をあげて笑っていたのを見た時。
なんて可愛いんだろうと今でも録画した動画を見て思う。
成長した今も、子供が笑顔でいてくれる日々が一番尊い。
でも結局笑顔の子だけでなく、泣いてる顔、怒ってふくれてる顔、楽しくて仕方ないと身体全体をバタバタさせてる姿、全てが可愛くて仕方ない




【現在】
今3歳で下の子はなし。
慎重派なのは変わらず療育にも通っているが、日々喜怒哀楽が豊かになり毎日全身で人生を楽しんでいる姿は可愛くて仕方ない。
それでも一人では大変さが勝り私自身の笑顔も減っていたと思うが、夫が同じ目線で子育てに真剣に向き合ってくれたからこそ、家族全員笑顔で要られる日々が続いていて日をおうごとに幸せは増している。
療育に通っているので仕事の時間が思うように取れなくなったのが悩み。



【当時の自分へのアドバイス】
泣いてたらすぐ乳あげていい。
3時間など時間あける必要ない。
お腹がすいて泣いていたと思う。
義両親に早めに頼っていい。
苦どころか皆で子育てを楽しんでくれるから。
でも何より細かなことで失敗してもよく毎日子供に向き合い、頑張ったと思う。
昔の私が苦労してくれたからこそ、今のこの日々があることを身に染みて実感している。
えらいぞ私。