赤ちゃんの病気、授乳や夜泣きの悩み。まるっと受け止め慈しむ育児奮闘記

【赤ちゃん育児体験談】赤ちゃんの病気、授乳や夜泣きの悩み。まるっと受け止め慈しむ育児奮闘記

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
28歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
専業主婦専業主婦

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
29歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
会社員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
1LDKの賃貸マンションに夫と二人暮らしでした。
双方の両親は遠方で、隣近所との付き合いはありませんでした


【里帰り出産について】
しました。
産前2ヵ月前から産後2か月半です。





【性別】
女の子
【兄弟姉妹】
初めて産んだ子
【赤ちゃんの性格】
あやすと声を出してよく笑い、私のことが大好きでよく甘えてきました。
私があやして笑わせた方法を、主人や他の人が同じようにやってもあまり笑いませんでした。




【寝かしつけの工夫】
新生児から二か月くらいは、おくるみやバスタオルで包んでから抱っこをしました。
立って抱っこでゆらゆら揺らすと10分程で寝てくれました。
寝付いてからベッドに寝かすときは、おくるみのお陰で私の腕を抜きやすかったです。
二か月以降は、お昼寝や就寝時に赤ちゃんと一緒に横になり、片手をつなぎ胸を優しくトントンたたいて寝かしつけました。
早いときは5分ほどで寝てくれました。




【おむつ】
店頭にあるものから、Amazon限定のものまで多数試しました。
本体が柔らかくて肌に良さそうと思い、約生後半年までは[パンパース 肌へのいちばん]を主に使っていました。
徐々にお腹はぽっこり、太ももは細めの体系になってきたで[グーン]に変えたところ、漏れずにぴったりとフィットしました。
残念ながら我が子に合わなかったものは、[マミーポコ]です。
安い値段が魅力的なのですが、体系が合わなかったのか、毎回おしっこが漏れてしまいました。




【母乳とミルク】
産後の入院中は母乳のあとにミルクを飲ませていました。
退院後から卒乳をした1歳まで完全母乳でした。
産後1ヵ月は胸がパンパンに張ってとても痛かったので、1日2回ほど手動の搾乳機で少し搾乳をしました。
断乳は1歳の誕生日を迎えてすぐ行いました。
就寝中に泣いたらしていた添え乳もやめたので、断乳を始めた日の夜は激しく泣く、疲れて眠るの繰り返しでした。
フォローアップミルクは、断乳を始めた日から与えました。
すんなりと飲んでくれ、おかわりを要求してきました。




【離乳食】
5ヶ月から始めました。
育児書を参考に、食べさせるものや時間に気を付けていました。
時間のある時に冷凍ストックを作り、基本的には解凍したものを食べさせていました。
お湯で戻すタイプのドライフードをたくさんストックし、味付けが単調にならないよう工夫しました。
外食時は既製品のベビーフードと果物(バナナ、ミカン)の組み合わせばかりでした。
子供は、既製品のベビーフードはあまり好きではなく、たまに残していました。
味付きのおかゆが一番好きだったようです。




【大変だったこと】
・断乳するまで毎晩あった夜泣き
・起きているときに私がいないと泣き続ける
・乳腺炎にもなった授乳

【具体的に言うと・・・】
一番の苦労は授乳です。
産後から2ヵ月くらいまでは胸がパンパンに張って、痛くて目が覚めることがありました。
特に大変だった時期は6か月頃です。
授乳姿勢が悪かったのか、右胸の左ラインに古い母乳がたまってとても痛くなりました。
歩くと振動で痛かったので、自宅へ助産師さんに来てもらいマッサージを受けました。
胸の張りは感じられず、詰まりもなさそうとのことでした。
マッサージや搾乳では改善できないため、とにかく色々な姿勢で授乳するしかないと言われました。
痛い部分を押しながら授乳をすると、不味い母乳が出るからなのか子どもが飲むのを嫌がり大泣きをしました。
なだめつつ、30分ほどかけて授乳を行いました。
授乳後は痛みが全くなくなり、それ以降の授乳時に子どもが泣くことはありませんでした。
起床時から痛みに気が付いたものの、発熱等はなかったので主人には出社してもらいました。




【当時の心境】
それ以降乳腺炎がとても怖くなり、早く授乳をやめたいと思い続けていました。
そのころ、哺乳瓶拒否があったためミルクに切り換えらえず辛かったです。




【夫の手助けと関わり】
家にいるときはよく育児をしていました。
おむつ替えや一緒に入るお風呂が好きだったようです。
月2回くらいは私にフリータイムをくれ、その間は子どもとお散歩や公園へ行ってくれたようです。
泣かれると、すぐに私へバトンタッチしてくることはありましたが、私がいないときは頑張ってあやしていたそうです。




【工夫と便利グッズ】
市販のおもちゃも買いましたが、紐通しやぽっとん落としなど手作りおもちゃも与えました。
絵本の読み聞かせもたくさんしました。
ベビービョルンの食事エプロンは洗いやすく、水分もキャッチしてくれるので重宝しました。
傘につける磁石が入った袋のおかげで、車に傘を付けることができ雨の日の車の乗り降りがとても楽になりました。




【強烈な思い出】
1ヵ月検診で心雑音を指摘され、精査の結果、中等度の心房中隔欠損と診断されました。
診断を聞いた直後は、思わず涙が出ました。
隣にいた主人がは気丈に主治医の話を聞いてくれました。
その後は、将来的に運動制限等のリスクがでるか、予後や治療法などはあるか、完治するか、など様々なことを調べましたが、目の前にいる我が子に一生懸命関わることが大事だと、気持ちを切り替えながら子育てをしました。
この病気でとてもかわいそうだった思い出は、RSウイルス予防のシナジス注射の摂取です。
流行シーズン中、月に1回太ももに太い針をさすのですが、大人でもとても痛い注射らしく娘も大泣きでした。
病気がなければ摂取しなくていいのに、と強く思った記憶があります。
3歳になってすぐの検査で完治といわれたときは本当にうれしくて涙が出ました。
主人をはじめ、両家の両親も大喜びでした。




【後悔してること】
人に頼らず、自分が主に子育てと家事をやらなければいけないと思い込んでいたことです。
寝不足と体力の限界でよくイライラしていました。
子どももよく泣いていました。
主人は多忙でしたが、たまに早退をしてくれていました。




【嬉しかったこと】
私をみて笑顔になるときがとても愛おしく感じました。
寝返り、お座り、つかまりだちなど、昨日までできなかったことが今日できるようになった成長の瞬間は今でもよく覚えています。
私の抱っこで一番ニンマリと笑うのを見るのが好きでした。




【現在】
あれからもうすぐ6年経ち、3歳の妹が増えました。
現在も専業主婦なので、毎日子育てと家事に奮闘しています。
家事の手抜きを覚え、二人とも幼稚園に通っているので日中はのんびり過ごせるようになりました。
10分に1回はする姉妹喧嘩に振り回されることもあります。
長女の一次反抗期に手を焼いています。
早く高校生くらいまでに成長しないかなと願うときもあります。
それでも、日々子育ては楽しいと思いながら過ごせています。
主人が、些細なことにも相談に乗り一緒に子育てに悩んでくれるため、精神的な支えになっています。



【当時の自分へのアドバイス】
「毎日掃除や片づけをしなくても死なないし、もっと周りに頼っていいよ!!」
赤ちゃんのためと思って、赤ちゃんのお昼寝中に掃除をしていたけれど、一日数分換気をするくらいでも大丈夫。
赤ちゃんのお昼寝中は休んだり、好きなことをして英気を養っておけばよかったです。
疲れているときや時間がないときは、遠慮せずベビーシッターを雇ったり、ご飯作りを放棄したらよかったとも思います。
自分で解決しようと頑張りすぎて、ストレスや過労に繋がるのを避けるため。
頑張る方向性を修正できていたらよかったと思います。