夜泣きだけじゃない!心身ともに削られる日々、それでも子供への愛情が上限知らずに深まっていく日々

【赤ちゃん育児体験談】夜泣きだけじゃない!心身ともに削られる日々、それでも子供への愛情が上限知らずに深まっていく日々

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
32歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
会社員(育児休暇中)

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
40歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
公務員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
メゾネットタイプのアパートに、夫、子供、犬1匹と住んでいた。
子供の多い住宅地で近くに小学校や保育園があり、夕方になると小学生たちの遊ぶ声がよく聞こえるところだった。
スーパー、ドラッグストア、飲食店も徒歩圏内にあり、住みやすかった。
近隣は転勤者が多かったようで入れ替わりも多く、小さな子供がいるご家族とは少し話をしたりする程度で、あまり深い付き合いはなかった。

【里帰り出産について】
里帰り出産はしていない。





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
初めて産んだ子供
【赤ちゃんの性格】
生後すぐからほとんど寝ない赤ちゃんで、よく泣いた。
ただ、笑うことも多かった。
人見知りが少なく、買い物に連れて行くと目が合う人みんなに笑いかけるので、よく喜ばれた。
発達は早い方ではなかったが、寝かされているのが嫌いで、お座りは早めにできるように練習した。
お座りできるようになってからは機嫌の良い時が増えた。




【寝かしつけの工夫】
授乳しても寝付かない赤ちゃんだったので、ひたすら抱っこして寝かし付けていた。
おんぶができるようになってからはおんぶにするとよく寝たので、1歳近くまで毎晩おんぶで寝かし付けしていた。
1歳近くになってからはおんぶでの寝かし付けを止めようと思い、添い寝で寝かし付けできるように練習した。
添い寝は子供がベッドの上で遊び続ける等、初めはなかなか寝付けず困ったが、私が寝入って相手にしてくれないと気付くと、そのまま自然と眠りにつくようだった。




【おむつ】
出産した産婦人科で初めに渡されたおむつがパンパースだったのでずっとそれを使っていた。
安かったのでマミーポコにしてみたこともあるが、私の手荒れがひどくなったのでパンパースに戻した。
メリーズの方が使用感が良かったが、高かったので結局パンパースに戻った。
おむつを変えてもかぶれたり等しない子供だったので、私の都合で選んでいた。
ただ、マミーポコだとよく漏れていたので、量の多い子ならパンパースやメリーズの方が良いと思う。




【母乳とミルク】
母乳のみで育てた。
生後1週間で100ccも飲む子供だったが、私もそれだけ母乳が出たのでミルクは必要なかった。
あまりにも母乳が多く出るので、子供が飲んでも胸が張ることが多く、捨てるために電動の搾乳機も使っていた。
生後11ヶ月頃には昼間の授乳が必要なくなったが、夜泣きをするので夜中は授乳していた。
1歳になって保育園に保育園に入園した時、帰宅した直後に子供が飲みたがるので、授乳していた。
保育園に慣れるとそれもなくなり、夜中の授乳のみとなった。
1歳2ヶ月の時、手足口病に罹患し、口内炎の痛みから夜中に激しく泣くことがあったが、口の中が痛いので子供本人が授乳を拒否。
4日ほどそうした日が続き、手足口病が治った後、自然と卒乳した。
フォローアップミルクは利用しなかった。




【離乳食】
6ヶ月頃から始めた。
大量に作り冷凍していた。
既製品は主に外出した際に利用していたが、3回食になった後は、家でもたまに利用していた。
初めての離乳食の時から食べることに大喜びで、完食しても足りないと泣くほどだった。
食べる量は常に離乳食の本に書かれている月齢の目安を大幅に上回っていた。
ただ、少し固くしたり大きくしたりすると途端に嫌がって食べなくなることが多く、固さや大きさは月齢の目安より少し遅めに進めるように注意した。




【大変だったこと】
・夜泣き
・授乳しても寝ずによく泣いたこと
・夫からの協力が得られなかったこと
・便秘がちで、一度に大量の排便があること

【具体的に言うと・・・】
生後すぐからほとんど寝ず、泣き続ける子供だったことが一番大変だった。
特に大変だった特定の頃は挙げられない。
3歳くらいまでずっと大変だった。
1歳前までは夜中ずっと泣いていることも多く、夫によく「近所迷惑だから早く泣き止ませろ」と言われて辛かった。
子供が1歳になった時に復職したので、夜中に2度も3度も授乳して翌日出勤するのは大変だった。
夫はほとんど協力してくれなかったので、育休中は1ヶ月に1度、1週間ほど親元へ帰っていた。
それ以外では、私の祖母が平日の昼間、よく子供を抱っこしにきてくれて、その間に家事をしたり買い物に行かせてもらったりしていた。
子供が便秘がちで、10日も排便がないことも多く、よく病院で浣腸してもらっていた。
(本人に腹痛等はないようだった)
1度に大量の排便があるため、よくおむつから漏れて服や布団を汚していた。
病院で浣腸してもらった後、おむつを替えていたら追加でジェット噴射のように便が出て、私の服が汚れたこともあった。




【当時の心境】
悩みはあまりなかったがとにかく辛かった。
何度も夫との離婚を考えた。
ただ、子供の成長が楽しみで、子供の笑顔を見られることが嬉しかった。
大きな怪我や病気をせず、すくすく育って行って欲しいと思っていた。




【夫の手助けと関わり】
子供が大きくなるにつれて少しは関われるようになったが、1歳前まではほとんど関わりもしないし、手助けはなかった。
子供が夜泣きしていても私任せで、「早く泣き止ませろ」と文句を言う以外は布団を頭からかぶって無視されていた。
私の入浴中に子供を見ているよう頼んでも、子供が泣き出すと呼び出された。
休日も自分の趣味の外出が多く、乳児の間は本当に一緒にいる時間が少なかった。




【工夫と便利グッズ】
ずっと抱っこしていないといけない子供だったので、抱っこ紐は毎日、自宅内でも使っていた。
特におんぶができる月齢になってからは、おんぶして料理もできるようになり大変便利だった。
近所で子育てサロンが週1回あり、必ず参加していた。
月齢の近い赤ちゃんや少し上の月齢の赤ちゃんもいて、他のお母さんからアドバイスや役に立つ情報を教えてもらえたり他愛もないお喋りをしたり、保健師さんに発育の相談もできて、毎週楽しみだった。




【強烈な思い出】
生後3ヶ月の頃、私の祖母が子供をだっこしてくれているのに泣いていた時、ふと私が「何泣いてるの0」と子供の顔を覗き込んだところ、私を二度見して祖母の顔と見比べ、抱っこしているのがお母さんじゃないと気付いて大泣きを始めたこと。
その頃まで、横抱きだと誰が抱っこしていてもおっぱいをもらおうと口をパクパクさせて、もらえないと分かると泣いている赤ちゃんだった。
その時も祖母が横抱きをしていて、口をパクパクさせて、おっぱいをくれないので泣いていたのだが、私の顔を祖母と見比べて見たことで、恐らく初めて、「お母さんではない人」を認識した瞬間ではないかと思う。
それまでは夫が抱っこしても腕に吸い付いたりしていた。
それから子供は私以外の人に抱っこされると泣いたりするようになった。




【後悔してること】
泣いている子供をベッドに置いて別室に逃げたり、夜泣きしている時にイライラして優しくあやすことができなかったこと。
夫の前ではしたことはない。
余計な口出しをされるだけなので。




【嬉しかったこと】
人見知りがなく、誰にでも目が合うと笑いかける赤ちゃんだったので、買い物等行って、周りの人に「可愛いね」と声を掛けてもらえることが嬉しかった。
また、泣いていることが多かった子供が、私が抱っこすると泣き止んだり笑ってくれたりするようになったことが嬉しかった。
まだお座りしていない月齢の時、私が家事を終えて子供の側へ寄った時、私を見てにっこり笑ってくれたことがたまらなく可愛くて嬉しかった。
発育は早くなかったが、少しずつできることが増える姿をずっと見ていることができて、本当に幸せだった。




【現在】
子供は今5歳、年中になった。
来年には小学生。
下の子は授かれず一人っ子。
とても優しい子に育った。
男の子らしく仮面ライダーやスーパー戦隊や恐竜、大きい生物が好きだが、一方で赤ちゃんや動物も好きで、大好きを素直に伝えられる子供になった。
ただその反面、もじもじしてはっきり自分の意見を言えなかったり、親の顔色を必要以上に伺っているような素振りもあるのが心配。
また就学に向けての準備の面でも心配がある。
夫への感謝はない。
完全な産後クライシス。
子供の成長がずっと楽しみ。
子供がもっと小さかった頃、私もとても神経質だったが、今はもう少しおおらかにかまえていられるようになった。
子供が「大人になったらお母さんとお酒を飲みたい」と言ってくれるので、その日を楽しみに待っている。



【当時の自分へのアドバイス】
うまくやろうと思わなくて良い。
あなたもお母さんとしては0歳です。
子供と一緒に親として、また人間としても育っていくんだよ。
理想と現実のギャップに悩まないで。
あなたはあなただから、あなたにできることをすれば良い。
ただ誠実に、子供に恥ずかしくないと思える道を歩んでください。
理想を持つならそこに持つ方が良い。
大丈夫、あなたは子供をちゃんと愛しているから。
それがいちばん大切です。