21歳で出産のシングルマザー。育てると思っていたけど本当は育てられていたママの話

【赤ちゃん育児体験談】21歳で出産のシングルマザー。育てると思っていたけど本当は育てられていたママの話

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
21歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
シール製造(育児休暇中)

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
未婚のためいない。
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
未婚のためいない。

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
平屋の一軒家。
ド田舎という表現がぴったりの周りには田んぼしかないような場所でよく言うと静かで空気のおいしいところ、悪く言えば本当に何もないところ。
ご近所さんも離れていて同年代の人すらいない状態。
近くに住んでいるご夫婦も60代後半という少し周りから隔離されている感覚に陥る環境。

【里帰り出産について】
もともと実家に住んでいたので里帰りという感覚ではなかった。
子供が1歳のころに家を出た。





【性別】
女の子
【兄弟姉妹】
初めての子供。
【赤ちゃんの性格】
よく寝るけど泣きだしたら何時間でも泣き続ける。
泣き出すと寝るまで泣くし、抱っこしていないと泣き止むことすらない。
少し疲れてベッドに寝かしたらもっと大きな声で泣くような子だった。
虐待していると疑われるのではないかと思うくらい泣き止まなかったので本当につらい時期が続いた。




【寝かしつけの工夫】
とにかく抱っこして歩き回る。
歌を歌う、寝かしつけたいときはあまり顔を覗き込まないようにしていた。
歌を歌うと嬉しそうにはしゃぐか、すぐウトウトして寝てくれるようになった。
(生後4か月ごろから)
あとは母乳育児で哺乳瓶拒否だったので気のすむまで母乳をあげるようにして、寝かしつけるときは私自身も寝るようにしていた。
生後半年を過ぎてようやく夜にまとまって寝てくれるようになったのでそれ以降夜泣きに悩まされることは少なくなった。




【おむつ】
新生児のころからナチュラルムーニーを使っていた。
産院で初めてもらったおむつがパンパースだったけど子供の肌に合わなかったのかすぐかぶれてしまってオーガニックという文言にひかれてナチュラルムーニーを試してみると肌荒れが嘘のように治ったのでそれ以降おむつもパンツタイプもそれにした。




【母乳とミルク】
母乳のみ。
哺乳瓶拒否だったのでミルクもお茶もまともに飲んでくれなかった。
長時間のお出かけするときに搾乳機を使ってはみたものの、哺乳瓶を使ってくれなかったので泣く泣くあきらめることに。
卒乳の時期は子供のペースに合わせることにして最終的に完全に卒乳できたのは1歳ごろ。
フォローアップミルクは使わなかった(思ったより高くついてしまうため)




【離乳食】
5か月ごろから始めた。
基本的にニンジン、タマネギ、カボチャ、じゃがいも、サツマイモなど湯でると柔らかくなるものを中心に与えていた。
しんどくなったりレパートリーが減ってきたなと思ったら迷わず既製品を使っていた。
子供は食べることがすきだったみたいで嬉しそうにもぐもぐ食べて足りないという時もあるほどだった。
作れるときは作って、余ったら冷凍して、を繰り返していた。
フルーツ系は買って作るより既製品を買ったほうが安くついていたので買っていた。
注意していたことは、月齢にあった硬さにすること、アレルギー反応が出るのが怖かったので食べた後はなるべく注視してみる時間を長めに設けていた。
外食は子供の食べられるものがあるか確認して、なければ持参、あればそれを食べさせていた。
うどんとかは細かくちぎってあげると食べたりするので、食べられる月齢になってからよく食べに連れて行っていた。




【大変だったこと】
・夜泣きの対応
・一人遊びするまでの接し方
・お出かけするとき
・泣き止まないとき

【具体的に言うと・・・】
母親の私があやして泣き止まないときに私の実母が抱っこすると瞬時に泣き止んだときは子供にも母親失格といわれているような気がしてしんどかった。
実母の旦那と私が血がつながっていなかったため子供を抱かれることに嫌悪感を感じてしまって何度も衝突した。
そのピークは生後半年ごろまで続いた。
初めての育児ということもあって何から手を付けたらいいのかわからないのに子供はどんどん成長していくし、私のことを母親と認識してくれなかったらどうしようとある意味育児ノイローゼになっていた。
実母もいいと思っていろいろと考えてくれているのはわかっていたけれど感情がきちんとついていかなくて、でも子供に当たるわけにもいかなくて悶々としながら日々を過ごしていた。
特に大変だったのは生後3か月ごろの夜泣きが本当に大変だった。
あの頃は詳しく状況を、、と言われても思い出せないくらい本当に記憶がぷつっとない期間が1か月ほどある。
それでも何とか子供を一日死なせなかった、生かすことができたと自分で自分をほめることでしか保つことができないほど参っていた。




【当時の心境】
正直、辛かった。
悩みはないものの、どうやれば世の中のママさんたちと同じようにきらきらとした生活を送れるのか、悩む時期もあった。
なんだか世間から孤立させられているような気もしていて本当に今思えば被害妄想でしかないんだけど、同年代の子にはできてなんで私はできないんだろうと思う時もあった。




【夫の手助けと関わり】
旦那はいなかったから手伝いなんてもってのほかだったし、養育費すらまともに支払われないことのほうが多かった。
父親と子供のかかわりは皆無だし、父親はどんな子に成長しているかすら聞いてこようとしなかったため本当に興味がなかったんだと思う。




【工夫と便利グッズ】
完璧を追い求めすぎていたことに気づいてからはなるべく自分で気負いすぎないようにした。
おもちゃも買いすぎるといっぱいなってまた片付けもしないの?と追われるのはわかっていたので、必要最低限にとどめるようにした。
保育園も復職しないと入れないところばかりだったので、頼れないし、、唯一子供も私も好きだったのがドライブだったのでよくドライブに連れて行ってお互い気分転換をするようにした。




【強烈な思い出】
初めて立った時は本当に感動した。
ずっと立つのも歩くのも遅くて1歳を超えてもつかまり立ちすらしようとしなかったため本当に歩けるようになるのかひやひやしていた。
保育園の先生からははいはいきちんとしていないと腰の弱い子になってケガしやすくなるから今のうちにハイハイするほうがいいのよと教えてもらってもやはり気が気ではなかった。
なので一人で立って歩きだしたのを見てこの子はやればできるのをわざとやらなかったんだという思いと本当に自分の子が歩いているという思いが混ざって本当にうれしかった。
保育園の先生もまるで自分の子供のように喜んでくださって一人じゃないんだなということを改めて教えてもらった。




【後悔してること】
もっと母親を頼ってもよかったなと思う。
自分じゃないとできないことって本当に限られているためもっと周りを頼ってみんなで子育てしていけばもっと優しくかわいがることもできたのかなと思う。
祖母も健在なためもっと遊んでもらったらいろんな知恵を分けてもらえたかもしれないなと今では思う。




【嬉しかったこと】
ペットボトルが大好きでこんこん鳴らすととてもケタケタ笑っていたこと。
今でもスマホに動画が残っているけれど今見返してもとてもかわいいなと思う。
あとはご飯が足りなくてもっと欲しいと泣いているところ。
笑顔だけでなく泣き顔も納めていてよかったと思う。




【現在】
今その子供はもうすぐ3歳になる。
おなかの中にはもう一人いて7月に生まれる予定。
まだ育児には奮闘しているし、大変なことも多いけれど気負いすぎないことをいつも念頭に置いて叱りすぎず放置しすぎずしている。
今絶賛いやいや期なのでもっと大変になるんだろうなと思いながらもまねっこしたりすることでなんとか乗り越えている。



【当時の自分へのアドバイス】
とにかく気負いすぎないこと、完璧を求めないこと、子供は少し手を抜いても育つ、今大変でも将来とても幸せになるし、いい旦那さんにも巡り合えるから今の状況に悲観しすぎないでということは伝えたい。
大変な時に大丈夫、何とかなるよと言われるだけで本当に気が楽になったから今度は自分が伝えたいと思う。
本当に何とかなるだけでも次の子に接するときに参考にしたい。