デキにくい体と主治医に言われていた中、授かった待望の娘。可愛くて可愛くて目に入れても痛くない大好きな娘との最高の毎日

【赤ちゃん育児体験談】デキにくい体と主治医に言われていた中、授かった待望の娘。可愛くて可愛くて目に入れても痛くない大好きな娘との最高の毎日

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
28歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
主婦

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
24歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
会社員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
夫の会社の社宅に住んでおり、立地もよく周りに色々な施設があって住み心地の良いところでした。
私の実家が車で5分ほどの場所にあり、たびたび助けてもらっていた。
マンションの隣室の方々にはとても良くして頂いていました。

【里帰り出産について】
自宅に親がたまに来てくれていた





【性別】
女の子
【兄弟姉妹】
初めての子供
【赤ちゃんの性格】
明るくてよく笑うとても可愛い赤ちゃんでした。
私が元保育士ということもあり、赤ちゃんと関わることに慣れていたので特別手がかかると感じたことはありませんでした。




【寝かしつけの工夫】
とにかくくっついてないと寝てくれない子で、柔らかい素材の抱っこ紐で永遠と一緒にいた最後2ヶ月間。
夜は目がギンギンで一緒に深夜テレビパトロールをしました。
懐かしい思い出です。
徐々に離れられるようになり、やっと布団で寝るようになってくれた生後3?8ヶ月。
でも腕枕じゃないと寝てくれませんでした。

8ヶ月頃からは添い乳で寝付けば完全に離れて寝てくれていました。




【おむつ】
保育士時代からパンパースとマミーポコが臭いなあと思っていたので避けました。
何を使っても漏れることはない子ですが、メリーズを愛用しています。
臭わないし、素材もサラッとしていて本当に素晴らしいおむつです。




【母乳とミルク】
NICUにいた時期もあり、母乳を激しく嫌がられたので、哺乳瓶に母乳を移し替えてあげていました。

ミルクは森永のほほえみをあげていました。
しかし、生後1ヶ月から突然母乳にハマりおっぱいから離れない子に。
ミルクも飲んでくれていましたが、量をあまり飲まないのでどっちが良いのかよくわかりませんでした。
一歳頃から私の夜の母乳の出が悪くなったので、夜間断乳を決行したらアッサリ卒乳してしまい寂しさのあまり泣きました。




【離乳食】
5ヶ月ちょうどから始めました。
ほぼ手作りのものをあげていました。
健診の際お医者さんに、アレルギーになりやすいものからあげなさいと指示され、生後半年で全卵やらピーナッツやら肉魚、、ぜんぶすりつぶしてドキドキしながらあげていました。
形状を変えるたび食事を嫌がりましたが、慣れていくにつれもりもり食べてくれるとても良い子でした。
外食時は、外であげるのはかわいそうなので出かける前に離乳食をあげていました。




【大変だったこと】
・離れてくれなかったので体にガタがきやすかった
・チャイルドシートを激しく嫌がるので、夫の離れている実家に帰るのが本当に苦痛だった
・可愛すぎて取り合いになるのが嫌だった、わたしの赤ちゃんなのに。


【具体的に言うと・・・】
子どもに苦労したことより家族との付き合いが本当に大変だった。
私の母親がすぐにまわりの赤ちゃんやわたしの幼少期の姿と比べてきたりすることが本当に苦しかった。
夫も仕事が大変で帰る時間が遅かったりするためすごく気を使っていた。
家事と育児の両立は赤ちゃんが一歳になるまでは大変だった。
部屋が汚いと母親に口を出されるので家に来てほしくなかったが、夫がいないと頼るしかない環境が辛かった。
教育方針を押し付けてくる母の存在が本当に嫌で、私は子どもがのびのび自分らしく大きくなってくれればそれでいいと母に伝えると、「みんながみんなアンタみたいに余裕を持って子育てしていない。
そんなんじゃ友だちなんかできないし、いたとしても離れていく。
育児をナメるな。」
と怒鳴られ、産後メンタルでボロボロに泣いた。
赤ちゃんで悩んだことは正直ない。




【当時の心境】
誰に何を言われようが、この子は私の子であるから、赤ちゃんの健やかな成長が唯一の望みでした。
育児自体は毎日心の底から楽しんでしていました。
泣いた顔も最高に可愛かったので大好きでした。




【夫の手助けと関わり】
最初は家事を全てやってくれていたり、ミルクをあげてくれたりと彼なりに一生懸命やってくれていてとても嬉しかったです。
しかし、月齢があがるにつれて関わり方がわからず苦戦していたようです。
遊び方がわからないと何度も嘆いていたのでアドバイスしていたのですが「うるさい」と言われかなり腹が立ちました。
自分で調べろ




【工夫と便利グッズ】
とにかく抱っこ紐とおんぶひもを駆使して生活していました。
体は大変でしたが本人も満足そうにしているし、きっと今しかこんなに抱っこさせてくれないと毎日自分に鞭を叩いていました。
本当に体が辛い時は、トッターに乗せてテレビをつけていました。
お昼のワイドショーなど好んで見ていました。
主婦だったのでサービスなどは利用したことがありません。




【強烈な思い出】
私の持病の影響で、産まれてすぐNICUに連れて行かれてしまったのが衝撃でした。
コロナの影響で夫の立ち会いはできませんでしたが、産まれて面会ができたので来てくれましたがその時にはもう我が子はおらず、夫と二人で静かな時間(30分ほど)を過ごしました。
謎でした。
その後も、私の持病のせいで退院が伸びそのことを申告された時はナースステーションで号泣でした。
誰よりも明るいママで通っていたので、かなり色々なひとに慰められました。
その後、順調に退院ができたのに一ヶ月健診でまたも私の持病の影響が出ているとのことで再度入院。
我が子に申し訳なく朝まで泣きました。
自分は平気なのに我が子が管まみれにされている姿が本当に心を抉られ辛かったことが今でも忘れられません。
夫はいい意味でも悪い意味でも穏やかで鈍感なので、恐らく状況を理解していなかったのかお医者さんの前では常にぽやーっとしていました。




【後悔してること】
離乳食を全部口から出して嫌な顔をされ悲しくなり、じゃあもう食べなくて良いよ!とお皿を取り上げてしまい、、すごく悲しい顔をしてうわーんと泣かれました。

あの時の顔が忘れられません。
2度としないと誓いました。




【嬉しかったこと】
初めての笑顔、寝返り、ずりばい、つかまり立ち、伝い歩き、歩行、、全ての初めてと対面できたことは私の誇りです。
預けなくて本当によかった!あとは、笑いかけてくれると嬉しくて嬉しくてたまりません。
いつも泣きそうになります。
絵本を読んでいた時にニッコリしてくれた事や、ダンスを一緒にしていたら抱きついてきてくれたこと、、とにかく可愛いです。




【現在】
今我が子は1歳2ヶ月になりました。
食事も我々と同じになったり、特別何かしないといけない事がなくなったので家事もゆっくり手をかけてできるようになり本当に毎日が幸せです。
夫の仕事の関係で引越しをしたので、親とも良い距離を保てるようになりました。
ストレスが全くない日々、ゆったりと大好きな我が子と過ごせて幸せの一言しかありません。
夫よ、毎日遅くまでお仕事してくれてありがとう。



【当時の自分へのアドバイス】
あなたがゆったりと我が子と過ごしてくれているおかげで、今の私は全く後悔がありません。
ありがとう。
我が子は本当に可愛くて毎日幸せだね。
家事も頑張らなくていいやってゆるく生きているようだけど、それでいいよ、夫も優しいから何も言わないでくれるからね。
ごはんは一生懸命毎日作っていたけど、そんなに無理する事ないよ、インスタントだしても夫は怒らないよ、優しいから!