子育て楽しいよと笑顔で言っていた先輩ママ達は仙人なのか?そして私は心が汚すぎるのか?と、計画通りに進まないかつ達成感を味わいにくい育児に愕然としいた日々

【赤ちゃん育児体験談】子育て楽しいよと笑顔で言っていた先輩ママ達は仙人なのか?そして私は心が汚すぎるのか?と、計画通りに進まないかつ達成感を味わいにくい育児に愕然としいた日々

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
30歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
専業主婦

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
37歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
会社員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
主人と二人暮らしで、都心のタワーマンションに賃貸契約で住んでいた。

【里帰り出産について】
実家の都道府県のほうがコロナの感染状況がひどく、しなかった





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
初めて産んだ子供
【赤ちゃんの性格】
とにかく抱っこじゃないと寝ない子だった。
また性格はビビリさんで初めての場所では母のそばから離れなかったり、慣れるまで泣いたりしていた。
1歳前後になると絵本や壁に書いてある絵が大好きな子だった。




【寝かしつけの工夫】
夜は添い寝で自然と寝てくれたがお昼寝はセルフで寝てくれることは全くなく本当に大変だった。
生後半年ごろまではとにかく抱っこ、それ以降は抱っこ紐かベビーカーだと寝るのでよくお散歩を1時間程度して寝かしていた。




【おむつ】
産院で使っていたパンパースをずっと使っていた。
使っている間に不都合がなかったのでその後もずっと変えなかった。
サンプルでメリーズを貰ったりし試したこともあったが慣れているパンパースを使い続けた。




【母乳とミルク】
混合で進めていき、4ヶ月を過ぎた頃から徐々に母乳の割合が増えていった。
哺乳瓶を洗うのが面倒で、完全母乳の方が楽だと思ったものの母乳量が足りず搾乳もしながら増やしていった。
一時期母乳を嫌がる時期やオッパイの痛さから完ミにするかも悩んだ時期もあり、でも夜間のミルク作成は大変で、本当に完母にするか完ミにするか毎日心が揺れて悩んでいた記憶。
ミルクは産院同様に明治のほほえみをずっと使用。




【離乳食】
生後5ヶ月半に開始。
最初は一生懸命作ったが、初期はレトルトの方が食べてくれたので割り切ってキューピーの瓶を多用していた。
月齢が進むにつれて手料理も食べてくれるようになり、後期には冷凍ストックも多用。
完了期には大人と同じ材料で味を薄くするなどができてきた。
ただお肉の固形は苦手でハンバーグ等は食べなかった。
また一時期フルーツ以外食べない時期もあり栄養を心配したが、ネットでバナナが主食の国もあるという別のお母さんの投稿をみて励まされた。
外食時は和光堂のお弁当を活用していたが、使い過ぎて飽きたようで後半はおうどんや和食定食を頼み、ご飯とお味噌汁とお魚を分け与えていた。




【大変だったこと】
?お昼寝の寝かしつけ
?夜泣きが1,2時間おきの期間があったこと
?フルーツ以外のご飯を食べない時期があったこと
?まだ歩けないかつ喋れない子との2人きりの日中時間

【具体的に言うと・・・】
主人の転勤で親戚や知り合いがいない土地での出産,育児だったので、日中の赤ちゃんと2人きりの時間が永遠に思えて辛かった。
特にまだ公園や支援センターにいけるレベルに満たない動けないかつ反応があまり帰ってこない生後半年までは特に辛いと感じた。
主人が夜9時ごろ帰宅して、初めて大人の人と会話できる時間だが、夜中の授乳対応や初めての子育てに疲れて10時には就寝していたので、達成感もなければ面白味もまだ分からない子育て中心になってしまった私の人生ってこれでよかったのかなと勝手に暗く考えてしまうこともあった。
また生後8ヶ月ごろから10ヶ月ごろまで続いた夜泣きも大変だった。
下手すると1時間おきに起き、その都度授乳をして寝かしていたため、寝不足かつオッパイが痛くてしょうがなかった。
また本人も寝不足なのか7時に起床後、9時ごろからまた眠くなり2-3時間寝てしまうこともあり、午前中がほぼ朝寝で終わってしまい生活リズムが整わないことも悩んでいた。




【当時の心境】
とにかく辛かった。
無い物ねだりかつ、隣の芝が青いだけなのはよく理解していたが、マッサージに行ったりする1人時間や友人と夜飲みに行くような日々が欲しくてたまらなかった。
朝も好きな時間まで寝たくてたまらなかった。
子供は可愛いかったが、とにかく出来ないことや欲望を頭の中に羅列しては悲観してしまっていた。




【夫の手助けと関わり】
平日は寝てる時間にしか帰ってこなかったので、土日のみ子供の相手をしてくれた。
今思うと頑張っていたと思うが、つかまり立ちできるまではお風呂に入れてくれたことがなく不満に思っていたのを覚えている。
また私が家事をしている間に子供を見ているだけなので結局私は休み時間がないなと感じていた。
どこかで仕事しているから育児は私と思っているのではないか?と私が疑心暗鬼になっていたと思う。
また女性と男性の脳の作りが違うため、子供を見といてというと携帯をいじりながら子供に危険が迫ってないかのみ見ているスタンスにもやもやしていた。
私は子供といるときは基本的に楽しませようと一緒に遊んでいたので。
私と子供と一緒に出かけて遊ぶなどは積極的にしてくれていた。




【工夫と便利グッズ】
生後1ヶ月の時に利用した産院のデイケアのような仕組みは、近所に親戚や知り合いがいなかった私にとって本当に役立った。
デイケアとは、看護師さんたちが赤ちゃんを新生児室で預かってくれ、大人は日中9-17時で個室で仮眠をとることができ、希望に応じてマッサージをうけたりお昼を出してもらったりもした。
私の産院では生後2ヶ月まで利用できる制度だったので駆け込みで一度利用したが、もっと利用すればよかったと今思い返すと後悔する。
また生後半年から通ったベビースイミングはよくお昼寝をしてくれて役立ったのでオススメ。




【強烈な思い出】
噂では聞いていたが本当に街中を歩いていると知らないおばさんに、母乳で育てているのか?と質問を何回か受けたことが強烈だった。
ミルクでも母乳でも子供が元気に育つのは分かりきったことだが、世の中には母乳信者がまだ多いのだなと改めて実感した。
最初はお子さん可愛いわねと他愛もない会話で話しかけてきたのち、ところで母乳で育ててるわよね?絶対母乳の方が子供にいいのよと思想を押し付けられたのをよく覚えている。
初めての育児だったので母乳の重要性等は気にしてしまう。
もう一つ強烈な思い出として母乳育児を推奨する教室がある。
生後すぐに家の近くに母乳相談室があったので母乳量を増やしたい気持ちで気軽に訪れたら、豆類や海藻を中心としたストイックな食生活や夜中も含めた3時間おきの授乳(量が出てない私は赤ちゃんが泣く間は3時間等は関係なくずっと乳を咥えさせておかねばならない)という指導に、今まであげていたお乳はそんなにまずかったのか等々考えさせられかえって精神的にきてしまい泣きながら帰宅したのを覚えている。




【後悔してること】
出来ないことばかり羅列してはネガティブな発想で旦那に小言を言っていたのでホルモンのせいとはいえ、反省。
また子供にも、邪魔だったり煩いだったり悲しい言葉を言ってしまう日もあり、寝顔を見ては誤っていたので反省。




【嬉しかったこと】
やはり初めて笑った日、お座りできた日、ハイハイできた日、バイバイできた日、立てた日、などは嬉しいし可愛くてたまらなかった。
また、一度街中でエレベーターのドアをおばさんに押さえていてもらった際、口癖ですいませんと言ったら 謝ることは何もない、むしろ日本の未来のために子供を産んで育ててくれてありがとう、あなたは今とても大事なお仕事を頑張っているのよと声をかけてもらったことがあり、本当に涙が出るほど嬉しかった。




【現在】
現在子供は1歳2ヶ月。
まだまだ日々新しい悩みが出てきて育児に奮闘しています。
具体的には、夜は寝てくれ、よく食べてくれるようになったが、歯磨きを嫌がってしっかり磨けないので虫歯にならないか心配であったり、歩き始めたのでよく転んで頭を打つので心配であったり、お昼寝が一回になってきたがお昼を食べさせてから寝るスケジューリングができるように午前中いっぱいあそばせて家に帰る道中のベビーカーで寝ないように急いで外でご飯たべさせなきゃだったりと悩みは尽きない。
ただ、子供がたとえば絵本を読んで笑ったりもう一回読んでほしいと動作で教えてきたり反応してくれるようになったので、2人時間が辛くなくなってきて、育児の楽しさがわかってきた。



【当時の自分へのアドバイス】
充分に頑張ってるからお昼は毎日お弁当買う、お昼寝してくれたらスタバでお茶するなど自分を存分に甘やかしてあげてと伝えたい。
自分の機嫌は自分でしっかりとって必要以上に旦那に不満をぶつけたりしないこと。
何も解決にならないので、自分で期限を維持して笑顔を大切にしてほしい。
また子供は勝手に育つので小さな事で悩み過ぎないで大丈夫。
食べないと悩んでも絶食してる中学生なんていないし、お昼寝しないと悩んでもお昼寝してる中学生なんていないし大丈夫。