乳腺炎地獄!でも、とても優しくてかわいい息子にただ感謝。

【赤ちゃん育児体験談】乳腺炎地獄!でも、とても優しくてかわいい息子にただ感謝。

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
37歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
専業主婦

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
32歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
会社員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
マンション住まい。
3人家族。
旦那の転勤で知り合いもおらず心細い毎日。

【里帰り出産について】
2ヶ月の里帰り出産





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
初めての子
【赤ちゃんの性格】
とにかく寝ない子で抱っこにつぐ抱っこ。
いつも抱っこしてて、自分のお昼寝も抱っこしたまま。
寝る時は腕枕。
3時間おきの授乳は確実に必要とするタイプで、初めの頃はミルクもあげていたため、授乳1時間、ミルク作り片付け30分。
寝かしつけ30分と自分の寝る時間は本当に無かった。




【寝かしつけの工夫】
昼間は常に抱っこしてないと寝ない子で夜は腕枕をして寝かしつけ。
一緒に寝る以外方法は無く、ほとんど眠る時間がないため、少しの時間でも寝ないと死んでしまいそうだった。
1歳を超える頃ようやく1人で寝てくれるようになった。




【おむつ】
産院で使用していたパンパースをしばらく使っていたが、柔らかいメリーズの方がお尻に優しそうだったので変更してみたりした。
少し大きくなると、絵が気に食わないと子供が好みを言うようになった。
漏れが不安な人はパンパースは間違いないと思う。
メリーズは柔らかくて肌触りが良いが高いのがネック。




【母乳とミルク】
最初の2ヶ月は母乳とミルク混合。
自覚は無かったが母乳がよく出るタイプだったようで、しょっちゅう乳腺炎になり気力も体力も奪われた。
ミルクはあげなくなったらすぐ哺乳瓶を嫌がるようになったので、仕事でもしていたら無理だったろうなと今になっては思う。
離乳食をよく食べる子だったので、フォローアップミルクは主に離乳食にアレンジして使うのみで、飲ませてはいなかった。




【離乳食】
6ヶ月頃から始める。
基本は自分で作り冷凍していた。
日曜日子供を見てもらっている間に必死で作り、平日少しずつ消費する毎日。
外に出掛ける時は、既製品を持ち歩きあげていた。
家でも辛くて仕方ない時は既製品。
どっちらも嫌がらずに食べる子ではあったが、嫌な味もいくつかはあったようび思う。
1歳頃になると普通食を食べるようになり、味の薄い既製品を嫌がる頻度が増える(作っているものも薄味ではあったが)




【大変だったこと】
○とにかく寝ないので寝不足に悩まされた。
○月に1度は乳腺炎になっていたので、体調不良と子供の世話で瀕死状態だった。
病院に行かないといけないのでお金も凄いかかった。
○見知らぬ土地で子育てしていたため、助けてくれる人がおらずとにかく不安だった。
実家が近い人が凄く羨ましかった。

【具体的に言うと・・・】
産まれて2ヶ月は実家にて不安ながらも助けてくれる母がいて泣きながらもなんとか乗り切ることが出来ていたが、自分の家に戻ったら平日昼間は助けてくれる人もいない中、乳腺炎になっては熱を出して動かない体を必死で動かして病院へ行き、そんな状態だから好きなものも食べられず息抜きも出来なかった。
とにかく寝ない子だったので、常に抱っこをしていて自分の時間は一切無かった。
背中スイッチが敏感過ぎて、夜寝てくれないので何度も泣きながら、なんで寝てくれないの!と言っていた。
授乳中は乳腺炎が敵で好きなものもが食べられず栄養ばかり持っていかれてガリガリに痩せこけ、その頃の写真を見ると自分でもびっくりする。
旦那は早く帰るようにしてくれてたし、沐浴もしてくれたし育児に積極的だったけど、あの頃は本当に精神的に辛かった。




【当時の心境】
毎日がとても辛くて泣いてばかりいたけど、子育て広場などに行ってお友達が出来てからは少し息抜きが出来るようになった。
子供の月齢が近いママとしょっちゅう会ってはお茶をするのだけが楽しみで、今考えてもお友達がいなければ、ノイローゼになっていたと思う。




【夫の手助けと関わり】
毎日定時に帰ってきてくれては、子供をお風呂に入れ離乳食が始まってからは率先してご飯もあげてくれる頼もしい旦那だった。
自分に瓜二つの息子が本当に可愛かったんだと思う。
赤ちゃんの頃が1番かわいがっていた気がする。
今となっては。




【工夫と便利グッズ】
役にたったものはバウンサー。
抱っこじゃなきゃダメな子供だったけど、ごく稀にバウンサーに座ってご機嫌にしてくれることがあった。
もう一つは自動の鼻吸い機。
子供は本当にしょっちゅう鼻が出る!鼻をかめるようになるまで大活躍した。
初めから買っておけば良かったと思ったのは、ハンドブレンダー。
離乳食初期に持っていなかったので、マッシュするのが本当に大変だった。




【強烈な思い出】
まだ産まれて間もない頃、育児に慣れていない私は寝不足と授乳の辛さで心が参っていて、たまに子供が泣いていても相手にしきれない事があった。
未熟な私が抱っこしても泣き止んでくれないことも多々あり、生後2ヶ月の我が子が泣きすぎて声を枯らしてしまうことも。
そんな時、少し寝て良いよと言ってくれた母に抱き上げられた息子。
それまで大きな声で泣いていたのにピタッと泣き止み、それを見た私はたくさん泣いた。
自分の不甲斐なさが辛くて辛くてとても泣いた。
まだ未熟な母になったばかりの私と、子供を立派に育てあげた母とでは人生経験に違いがありすぎるのは当然なのに、あの時はたぶん悔しさと悲しさで涙が止まらなかったんだと思う。
子供が少し大きくなった今でも思い出す辛い思い出。




【後悔してること】
後悔していることは特に無い。
あの頃はあの頃で一生懸命だったし、辛いことも悲しいこともたくさんあったけど、今となっては全て良い思い出。




【嬉しかったこと】
いつもたまらなくかわいいけれども、やはり初めて何かをしてくれた時はかわいさもひとしおで、初めて笑った。
初めて喋った。
初めて立った。
走ったと言うのは感動した。
1番かわいいのは、言い間違えかなと思う。
たくさんの言い間違え、今はほとんど無くなってしまったけど残っているいくつかはまだもう少し直さないでいたいなと思ってしまう。
(落っことす→おっとこすなど)




【現在】
現在4歳。
今後もひとりっ子の息子。
幼稚園に行くようになって、凄く生意気になったけど、かわいい息子。
男の子らしく見えない敵と戦い、マイワールドが凄いけど、もうただただかわいい。
怒ってばかりいるけれど。
口や頭が達者になった分、反抗が凄く第一次反抗期が来たとゲンナリすることもたくさんあるけれど、元気いっぱい育ってくれていることの本当に感謝している。
今はとにかく元気でいてくれたら良いと考えるけど、これから先どんどん母の欲望は増えていくんだろうなと推測。
あまり口煩くない親になりたいなとは思うけれども。



【当時の自分へのアドバイス】
女は喋らないと死ぬ。
子供を産んで1番身に沁みて感じていること。
だから、とにかく子育て中のお友達を早く。
出来るだけ早く作るようにと言うのが1番言いたい。
赤ちゃんは1人では育てられないから、仲間を作ると幸せになれるよと。
授乳中は本当に辛かったけど、いつか終わる。
食べるようになれば、授乳はいつかちゃんと終わるから。
明けない朝は無いよと励ましたい。