一生懸命になりすぎて余裕がない時が多かったなぁ。もっと余裕を持って育児を楽しめば良かった。

【赤ちゃん育児体験談】一生懸命になりすぎて余裕がない時が多かったなぁ。もっと余裕を持って育児を楽しめば良かった。

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
28歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
主婦

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
26歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
サラリーマン

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
ハイツ、旦那と2人、周囲の環境は駅からも近く、コンビニ、公民館、学校なども近くいい場所でした。
ご近所さんたちとも仲良くしてもらい、子供が多い集合住宅地だったので、色々助けていただきました。

【里帰り出産について】
しませんでした。





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
初めての子供
【赤ちゃんの性格】
おっとりめで、あまり泣かず、よくニコニコと愛想がいい子でした。
旦那が白人なのでハーフということもあり、知らない人から可愛いと写真を撮られたり、物をよくもらったりする子でした。




【寝かしつけの工夫】
抱っこをして寝かせて布団に入れると起きる状態でしたが、カーシートに入れて揺らすと眠ってくれるので、カーシートの中で寝かせて眠りが深くなってから布団へ。
月齢の共に普通に動くことが多くなって疲れてコテと寝てくれるようになりました。




【おむつ】
生まれてすぐには布おむつを試しました。
でも日本では乾燥機がなかったので梅雨時期には布おむつだと乾かず大変に。
なのでえ使い捨てに変えるとそっちが楽なので、もう布おむつに戻れませんでした。




【母乳とミルク】
母乳のみでした。
母乳がよく出るように助産婦さんにマッサージをしてもらいました。
はじめは腫れて痛くて大変でしたが、量も十分に出たので、フォローアップミルクなども与えませんでした。




【離乳食】
離乳食は5ヶ月ごろから基本は手作りで始めました。
冷凍はしませんでした。
たまにフリーズドライのベビーフードや瓶に入った物を買ったこともあります。
外食の時は市販ベビーフードを食べさせていました。
注意したことは色々な食材を食べさせること。
後、言葉を覚え出したころ、なんでもジュース。
と言えば食べてくれたので、全てジュース!と言って食べさせてました。




【大変だったこと】
夜中3時間おきに起きること
痛みに強くて泣かなかったこと
注目をあびすぎること

【具体的に言うと・・・】
大変だったことは2歳まで夜中に何度か起きること。
泣いて起きることも多く理由は分からず。
それもほぼ毎晩。
旦那も協力をしてくれて水を飲ませたりあやしてくれたり、一緒の頑張ってきましたが、寝不足はやっぱり辛いです。
息子はこけても頭をぶつけても泣かない子だったので、不安でした。
もしかして痛みを感じない病気?とか。
でも一度後ろにひっくり返って頭を床に思い切りぶつけたことがあって、その時に大泣きをして、あ!痛みを感じるんだ!と変ですがちょっと安心をしました。
後、日本語と英語が混ざる中で言葉が遅くなったり英語発音がおっかしかったりしたので、その点が心配したりました。
アメリカで小学校で発音の専門家がついてくれて直してくれたので、良かったです。




【当時の心境】
当時の心境は、とにかく元気に育ってほしい。
育児は楽しんだ方だとは思います。
ただ今見ると、もっと一緒に遊んであげればよかったのに。
とかは思います。




【夫の手助けと関わり】
旦那はよく助けてくれました。
母乳だったので、それ以外はなんでもしてくれました。
おっぱい絶ちをした後夜中に何度か起きていた時も旦那がオシメを変えてくれたり、お風呂も入れてくれたり、お出かけも抱っこもしてくれて、本当に助かりました。
旦那と子供の関わりは母親の私とほぼ同じ(母乳以外)と思います。




【工夫と便利グッズ】
家がぐちゃぐちゃでも気にしないこと。
赤ちゃんがいるので、赤ちゃんが優先。
私も疲れているので寝れる時には寝る。
アメリカへ戻った時にはベビーシッターお願いすることもありました。
子供達が増えてきて、お絵描きができる年齢になると夏などは風呂場でオシメだけ、下着だけにさせて、子供用の安全な絵の具と紙を与えてお風呂場で好きなように絵を描かせてました。
お風呂場なのでそのまま子供達は体につい絵の具を洗えるし、お風呂場も洗えるので子供達はよくお絵描きしていました。




【強烈な思い出】
息子は日本に住んでいる時に出産。
旦那が白人なので、ハーフ。
息子は白人に近い顔立ちで生まれてきたっこともあって、日本にいる間中、「外人の子!かわいい」「ハーフ」と言われ続けました。
嫌がらせとかではなく、純粋に可愛い!と言ってくれているのですが、公園に連れて行けば「ハーフだから友達になりたい」と言われたり、普通に歩いているだけで、写真を撮らせてください。
とか、年配の方々からお金をもらったり、お菓子、食べ物をいただくことも頻繁に。
その度に、この子は日本では外人であって、普通の子供扱いはされないんだ。
ということもあり、旦那の日本での仕事も更新をせずにアメリカに戻ってきました。
私としては特別扱いをしてもらいたくなかったのですが、見た目が白人っぽいので仕方ないこっとなんでしょうね。
でもアメリカに戻ってからはそういうことはなくなったので、普通に生活ができて良かったと思っています。




【後悔してること】
もっと、積極的に子供たちの友達を家に呼んであげれれば良かった。
育児中大変で散らかりっぱなしだったので、人を家に呼ぶのが嫌だった。




【嬉しかったこと】
なんでも嬉しかったです。
ストローでの飲み物が飲めるようになった時、ご飯を食べながら顔中に米粒をつけてそのまま寝てしまた時、ハイハイが腕だけで突き進んむ時、歩けるようになった時。
全ての瞬間が嬉しくて、たまらなく可愛い時でした。




【現在】
あれから24年。
長子は24歳です。
その後妹が2人。
一番下の子18歳で大学生。
それぞれきちんと自分のやりたいこともみつけその道に向かって努力しています。
子供の成長によって苦労はあります。
思春期。
学校、恋愛。
泣いて喧嘩したことも。
でも3人ともいい子たちに育ってくれて嬉しいです。
旦那にはもちろん感謝しています。
積極的に行く時に関わってくれ、家族もきちんと養ってくれて。
家族で一緒にゲームをしたり、昔の子供の頃のビデオを見たり、一緒に旅行にいったり仲良し家族です。



【当時の自分へのアドバイス】
他の子と比べるとかしなくても全然大丈夫。
ちょっとくらい言葉が遅くても家の中で2カ国が飛び交っていたんだから仕方ないよ。
もっと余裕をもっていっぱい子供達と馬鹿なことをして楽しんで子育てそればいいよ。
してはいけないことなんてないよ。
当時は当時なりによく頑張ったよ。
もうすでに両親が他界してたから頼れる人もいない中よく頑張ったよね!