「育児とは自分育てでもある」たしかにそうかも。深くうなづく私

【赤ちゃん育児体験談】「育児とは自分育てでもある」たしかにそうかも。深くうなづく私

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
37歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
会社員

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
31歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
会社員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
賃貸マンションに親子3人暮らし。
妊娠が判明した時点で都心から公園の多い郊外に引っ越しました。
マンションではお子さんのいる家庭が多かったですが、隣近所の付き合いというより保育所の父母との付き合いの方が濃かったです。

【里帰り出産について】
都内の病院で出産しましたしました。





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
初めての子
【赤ちゃんの性格】
いつも穏やか、にこにこしてちょっぴり恥ずかしがり屋な赤ちゃんでした。
指しゃぶりや、ものを強くつかむといった赤ちゃん特有の動作は普通にありました。




【寝かしつけの工夫】
寝かしつけの際は、よく読み聞かせをしていました。
意味が分からなくても、赤ちゃんはよく寝てくれました。
月齢が変わるとやや眠りにつきにくくなりましたが、日中の保育所の刺激でくたびれるのか、専業主婦のお子さんのように夜おそくまで寝てくれない、という悩みはありませんでした。




【おむつ】
おむつは自宅では紙おむつ(パンパース)を使っていましたが、赤ちゃんを預けていた保育所は「布おむつ」派でした。
園に保管していたわが家の分の紙おむつが不足した場合、布おむつを付けた息子と帰宅しなくてはならなかったのはきつかったです。
帰宅後はまずは布おむつの洗濯から始まりましたから、マンションのトイレや洗面所を使っての洗濯で腰痛が起きたことがありました。




【母乳とミルク】
はじめは母乳で、搾乳したものを冷蔵庫に保管し、レンジで温めて赤ちゃんに与えるなどしていましたが、仕事が忙しくなるにつれて母乳の出が悪くなったため、市販の粉ミルクを使うことが増えました。




【離乳食】
生後半年からミルクを飲まなくなり、大人の食事に興味を示し始めたこともあって、じょじょに離乳食に代えていきました。
外出時などは、お湯で溶けるタイプのインスタントの離乳食を使うこともありました。




【大変だったこと】
出産後、産院から自宅に帰り、3時間おきに授乳(かおむつ替え)しなくてはならなかったのが一番きつかったです。
毎日、目の下にクマができて慢性的に疲労し、当時30代後半だった私は、もっと早く赤ちゃんを産めばよかった、と後悔したほどでした。

【具体的に言うと・・・】
生後3カ月くらいからしばらく、赤ちゃんが「3カ月コリック」「黄昏泣き」ともいわれています)の状態になった時でした。
保育所へはマイカーで送迎していたのですが、お迎えに行って車のチャイルドシートに乗せ、運転していると、ギャーギャーと背中を反り返らせ、異様な声をたてて大泣きするのです。
保育園の刺激がいけなかったのか?私が働いているため赤ちゃんの傍に居ることができないのがいけないのか?不安にさいなまれ、クルマを道路わきにとめて赤ちゃんと一緒に泣いたこともありました。
買い置いていた何冊もの育児書を読み、「3カ月コリック」の状態に似ていると感じたのですが、何か健康上に問題があるのかと産院を受診。
診断ではやはり「3カ月コリック」でした。
受診から2週間ほど経つと大泣きは止みました。




【当時の心境】
赤ちゃんとともに産院から戻ってきた時は、命を預かる厳粛さに身震いした記憶があります。
その緊張感からか、初めの数カ月は苦行の感覚がありました。
「3カ月コリック」の現象が薄らいできたのと赤ちゃんがふっくら太って愛らしくなってきたのはほとんど同時期で、その頃から育児を楽しむ感覚が芽生え始めたと記憶しています。




【夫の手助けと関わり】
夫は私より若かったためか、体力もあり、妊娠・出産・育児でで消耗していた私をよく手伝ってくれました。
現在、お父さんが赤ちゃんの世話をするのは珍しくないですが、30数年前は夫がバギーを押したり子どもを抱っこして歩くだけで珍しそうに見つめる人が多かったです。




【工夫と便利グッズ】
便利だったものは、当時は先進的として高価でしたが、「食洗器」「洗濯乾燥機」で、家事の軽減に貢献してくれました。
育児については、赤ちゃんを預かってもらった保育所で先輩ママたちにさまざまな知恵を授けてもらい、とても助けられましたし、交流は今でも続いています。
現在は何でもインターネットで調べることができますが、当時は育児書のきめこまかな情報もたいへん役に立ちました。




【強烈な思い出】
保育士さんたちは、「私たち保育士は、皆さんのお子さんの成長の様子を毎日見ているから、日々、交換ノートを使ってできるだけこまかくお母さんお父さんに伝えたいと思います。」と話していました。
でも、交換ノートだけでは、具体的な子どもの様子はイマイチ伝わっては来ないのでした。
たしかに、仕事を持つママたちは、ふだんは赤ちゃんを保育所に預けて仕事に行くため、成長の様子をじっくり観察して一喜一憂することもできません。
でも、だからこそ、クリスマス会で息子がニコニコしながら小さな手を上げたり足をぴょんぴょんさせてさまざまな芸を披露してくれた時はとても感動しました。
同時に、保育士さんたちに感謝の念を強く持ちました。




【後悔してること】
仕事を持つ女性に多いかもしれませんが、もっと仕事をセーブしてこの子と一緒にいる時間が欲しかった…と何度思ったことか。
当時は今のように整った育児休暇のシステムはほぼありませんでした。




【嬉しかったこと】
やはり、わたしたち父母に向かって笑いかけてくれた時は狂喜したおぼえがあります。
顔の神経の単なる反射、とも聞きましたが、そのひきつったような表情が本当の笑いかけになった時は、この子とようやく泣くだけでなく「ご機嫌のいい時」のコミュニケーションがとれるようになったとうれしかったです。




【現在】
一人っ子だった息子も今や31歳。
大学を卒業して仕事に就き、独立しています。
ひと月に1度ほど、泊りがけて来ることがありますが、得意料理を披露してくれたり、“高所作業者”として親に代わって家の大工仕事を手伝ってくれるなど、時に親子の関係が逆転!?というようなこともありますが…。
来るたびに息子の成長を感じながら、自分たち夫婦が老境に入ってきたことを実感しています。



【当時の自分へのアドバイス】
はじめてだから、慣れないから、マタニティブルーだから…と肩ひじはって赤ちゃんと向き合っていた30代後半の自分がいとおしくも哀れにも思えました。
夫はよく手伝ってくれたし、息子は赤ちゃんの頃なんて何もおぼえていないというけれど、「ほんのちょっとのガマンで余裕がもてるよ」
あの頃の体当たりだった自分に対してのアドバイスです。