夜泣き、偏食と闘いながら、母子ともに成長した育児奮闘記

【赤ちゃん育児体験談】夜泣き、偏食と闘いながら、母子ともに成長した育児奮闘記

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
29歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
公務員(育児休業中)

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
30歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
公務員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
一戸建ての家に、夫の両親、夫の祖母、夫、自分、娘の6人で住んでいた。
隣の家とは2m位しか離れていなくて隣接していました。
普通に近所付き合いをしていました。

【里帰り出産について】
里帰りはしませんでした。





【性別】
女の子
【兄弟姉妹】
初めての子供
【赤ちゃんの性格】
にかく夜泣きがすごい赤ちゃんでした。
生まれて、病院から帰って来てから、毎晩泣き続けました。
その度に車でドライブに連れて行ったり、おんぶしたりして過ごしました。
車に乗せたり、おんぶしたりすると泣き止んで寝てくれるからです。
昼間も布団に寝せると泣きだすので、ずっと抱っこしていたら、私は手首が腱鞘炎になりました。
私が抱っこできない時は、他の家族が抱っこしていました。
夜泣きは、1歳半まで続きました。




【寝かしつけの工夫】
抱っこして眠ったら、そうっと布団に寝かせていました。
ちょっとでも動くと直ぐに気付いて泣くので、息をのんで静かに優しくやっていました。
1歳半のときに風を引いたので病院で風邪薬を処方してもらいました。
それを飲ませたら、生まれて初めて朝まで寝てくれました。
それからは、しばしば長時間眠るようになりました。




【おむつ】
最初の1か月は、さらしの手縫いの布おむつを使っていました。
あまりに眠らないので、紙おむつに変えてみました。
おもに、パンパースを使いました。
保水力が高く漏れがスクな方です。
安い物は薄くてはかせるときに切れやすかったです。




【母乳とミルク】
母乳にしたかったのですが、3か月くらいでだんだんでなくなってきたのでミルクと混合にしました。
5か月くらいでミルクのみになりました。
おもに明治のミルクを使っていました。
原材料を見ると栄養面で充実していたからです。
初めはミルクを嫌がって飲まなかったのですが、一匙ずつあげて味に慣れさせ、それからミルクを飲むようになりました。




【離乳食】
半年過ぎから、風呂上りに果汁を与えました。
8か月ころから柔らかめのおかゆ、薄い味の野菜スープをあげました。
10か月ころには、野菜のすりつぶしなどもあげました。
外食時は、市販の離乳食を利用しました。
ハチミツをあげないようにと言われていたので気を付けました。
濃い味付けになれてしまうとよくないので、薄味に心掛けて与えました。
1歳半ころからは噛み応えのあるもの(stick野菜)なども、手に持たせて噛む練習をしました。




【大変だったこと】
・毎日の夜泣きが大変でした
・野菜嫌いで食べさせるのに工夫した
・神経質でちょっとした音にも目を覚ます子でした

【具体的に言うと・・・】
子どもが10か月くらいのときに、自分は育児休業を終え仕事を再開しました。
仕事に出るときには、義理の母に子供をお願いして出勤するのですが、毎朝子供が別れを嫌がって泣くので困りました。
また、仕事から帰ってきて私に甘えたがるのですが、私は夕ご飯の支度をしなければならないので子供を構ってあげていることができず、その際にもぐずられて困りました。
おんぶしながらご飯を作ることもありましたが、おんぶ紐が肩に食い込んで肩が凝りました。
台所であちこちに動くのにおんぶしていると動きにくくて大変でした。
2歳くらいになるとテレビを見たり、キッチンの床におもちゃを置いておけば側で遊んでくれるようになったのでずいぶん楽になりました。




【当時の心境】
子どもにいっぱい関わってあげたいのに、日中は仕事に行っているし、朝晩はやらなければならない家事がたくさんあり、子ども向けてあげる時間が少なかったと思います。
夫は全く協力的でなかったので、義母が子どもを育ててくれたと思います。




【夫の手助けと関わり】
夫は、夜泣きがひどいときのドライブの運転手にはなってくれました。
それ以外は全く何もしませんでした。
しかし、夜泣きがうるさくても「うるさい!何とかしろ!」といった言動をとらなかったので助かりました。
これを言われたら、私はブチぎれていたと思います。




【工夫と便利グッズ】
育児休業中は昼間赤ちゃんが寝ているときに、できる限り自分も寝るようにしました。
夜は、赤ちゃんを寝かしつけるときに早めに一緒に寝て、そのあと、早朝に起きて持ち帰りの仕事をするようにしました。
時間も限られているし静かなので集中して仕事がはかどりました。
家に早く帰りたいので、職場に残って仕事をすることができなかったからです。




【強烈な思い出】
生まれてから何歳かまでは、小さい頃の記憶が残っていると聞いたことがあります。
出産の直後、子どもと初めて対面した際に娘がにっこりとほほ笑んでいました。
それで、大きくなった3歳くらいのときに、娘に「どうして○○は、生まれてくるときににっこりと笑って生まれてきたの?」と聞いてみたところ、娘が「ママにあえてうれしかったから。」と答えたのにはまいりました。
子どもってどうしてこんなにかわいいのかしらと思いました。
kの言葉が本当だったにしても、考えたうえでの言葉だったにしてもママの心はズキュンとやられてしまいました。




【後悔してること】
自分自身が神経質になりすぎた。
いいお母さんになろうとしたり、いい妻になろうとしたりして自分が無理しすぎていた。
子どもに期待しすぎて、無理をさせていた。
子どももイライラしていた。




【嬉しかったこと】
私が仕事から帰ると、車の音を聞きつけて玄関のところで待っていてくれ、私が玄関の戸を開けると、嬉しさのあまりダンスを踊って喜んでいる姿を見た時、たまらなくかわいいと思いました。
それを、トチトチダンス≠ニ名付けて、毎日見るのを楽しみに家に帰っていました。




【現在】
あれから30年経ちました。
娘の後に、弟が2人生まれました。
3人とも仲良しの姉弟です。
娘は小さい頃神経質だったので、大人になってからもそれは変わらず繊細で、傷つきやすいです。
あの頃から、その兆候が見られていたのです。
早く気付いて、無理をさせないようにしてあげればよかったです。
考えすぎてしまうのは母である私が神経質にイライラしながら子育てをしていたせいではないかと思います。
今も、大変です。



【当時の自分へのアドバイス】
体重があまり増えないからって、哺乳瓶が清潔でないからって、神経質にならなくてもいいよ。
子どもは育つから。
好き嫌いはそのうちに変わるからね。
キュウリが食べられなくても、キャベツなら食べているのだから大丈夫。
体重だって太りすぎよりも安心だよ。
神経質にならないで子育てを楽しもうよ。
子供の目線になって遊んでいいんだよ。
頑張らなくてもいいんだよ。