この子じゃなきゃ今の平穏な幸せはなかった。手はかからないけど、体が離れない人見知りっ子と人見知り両親の日々。

【赤ちゃん育児体験談】この子じゃなきゃ今の平穏な幸せはなかった。手はかからないけど、体が離れない人見知りっ子と人見知り両親の日々。

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
29歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
専業主婦

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
35歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
飲食店社員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
ファミリー向けのアパートに夫と二人暮らし。
同じアパートの住人とは顔を合わせれば挨拶する程度。

【里帰り出産について】
していない





【性別】
女の子
【兄弟姉妹】
初めての子供
【赤ちゃんの性格】
母乳をよく飲み、満足したらプイッと顔を逸らして授乳を終了する分かりやすいタイプ。
新生児期は、1日中母乳を欲しがり、抱っこなどでは誤魔化されず、授乳されるまで泣いていた。
授乳後のゲップをさせてあげるのがうまくいかず、空気がたまっていて、よく大声で唸っていた。
抱っこじゃないと寝ない、ということはあまりなく、授乳後満足して寝るか、転がしておくと自然に眠りにつくので、寝かしつけはあまり大変じゃなかった。
また、よく昼寝もしたので、自分の睡眠時間や、テレビを見る時間も取れたので、ストレスが爆発しなくて助かった。
生後3か月に入ると、途端に激しい人見知りを発動し、親以外の人の抱っこは激しく泣いて拒否をするようになり、顔を覗き込まれたり、話しかけられるだけでも大泣きするため、他の人との関わりに苦労した。




【寝かしつけの工夫】
もともと、一人で寝つけるタイプだったこともあり、抱っこじゃないと眠れないことにはならないように、できる限り布団の上に寝かせて寝かしつけるようにした。
手をつないだり、とんとんしたり、顔を見ていると気になるのか、なかなか寝付かないため、あえて背中向けて寝ていると、大人しく寝付いていくことが多かった。
なかなか寝付けないときは、逆に眉間を優しくなでたり、足をモミモミしたり、腰の辺りを子供の心拍に合わせて強めにとんとんして振動させたりして寝かしつけることもあった。
1歳になってからは、リビングと寝室がふすま隔てて隣だったこともあり、夜は一人で寝付くようになった。
風呂上りにそのまま布団に寝かせて、「バイバイ」と言って部屋を出れば、そのまま大人しく寝付いた。
2歳になると、寝付くまで一緒にいてほしいと泣くようになったため、再び添い寝をしていたが、3歳頃には再び一人で寝付くことを受け入れてくれて、現在に至る。




【おむつ】
グーンを使っていた。
肉付きが良かったため、作りが小さ目だったのか、メリーズやパンパースはすぐに小さくなってしまった。
比較的作りが大きく、肌荒れもせず、定期的に安売りもするグーンに落ち着いた。




【母乳とミルク】
完母だった。
入院時は、固形のミルクを何回か飲んだことがあったが、母乳の出がとても良かったため、退院後にミルクをあげる機会がなく、お宮参りなど外出時に備えてミルクの練習をしようとしたら、拒否されてしまった。
哺乳瓶の乳首を変えたり、哺乳瓶自体を変えたり、搾乳して飲ませてみても断固拒否だったため、ミルクは諦めた。
のちのち、離乳食が始まって、ミルク粥を食べさせたところ、口周りや顎、首に蕁麻疹が広がり、小児科を受診して、牛乳アレルギーということが判明した。
ミルクを本能的に拒否していたのか、(しかし入院中は飲んでいた)哺乳瓶で飲むことが嫌いだったのか、いまだに不明。
1歳になるころに、卒乳を意識して、少しずつ授乳を減らしていたが、夜寝る前の授乳だけがなかなかやめられなかった。
しかし、私自身が授乳することが苦痛になってきていたこともあり、また、これ以上長引かせると知恵がますますついて卒乳が遠のくと思い、日にちを決めて、あと何回でおしまいだよ、今日でおしまいだよ、と声をかけてきた。
いよいよ、今日は授乳なしで、という日も、本人はいつも通り授乳クッションを引っ張ってきて、私に押し付けて授乳を迫ったが、もうないよ、おしまいだよ、と言い続けたら、布団に突っ伏して号泣して、ひとしきり泣いた後に寝付き、次の日から授乳を迫ることはしなくなった。




【離乳食】
歯が生えてくるのも早くはなく、また、大人の食事を欲しがるそぶりもなく、5か月ごろから離乳食を始めたという周りをよそになかなか始められずにいた。
結局、生後6か月になっても歯は生えてこず、食事を欲しがるそぶりも見せず、ある日、たまたま大人が食べているところを見つめながら、少しだけ涎を垂らしたので、もう始めよう、と開始した。
あげてみると、食べたがらないかと覚悟したが、ぺろりと10倍粥を食べ切り、ご機嫌でいたので、そのまま順調に進めた。
食べる量が増えると毎日作るのも大変なので、1食分ずつ小分けにして冷凍したものをたくさん作った。
その頃から嫌いなものは一貫していて、パサつく食べ物(主に魚)、繊維質な葉物、ふにゃふにゃとした食べ物(○○倍粥を除く、お粥やお茶漬け、お麩、ふやかしたパンやコーンフレーク)は今も好まない。
基本的に野菜もモリモリ食べてくれるので助かった。
2歳くらいまではわんこそばや早食い競争でもしているかのようにどんどん食べるので、つまらないように必ず付き添って見守っていた。
在宅時は既製品はせいぜいパンくらいで、外出時に既製品の離乳食を購入していたが、あまり好きではなかったように思う。




【大変だったこと】
・頻回授乳
・極度の人見知り
・頻回おむつ交換
・夜間授乳&おむつ交換

【具体的に言うと・・・】
生後3週間、3か月、その後の3か月単位で季節や生活リズムが変わるのか、そのたびに機嫌が悪い日が続いたりした。
たまに何をしても寝付かず、何をしても泣き止まないときがあり、そういう時に限って、夫が不在なため、こちらの精神が参ってしまい、一歩間違えたら虐待していたかもしれないと今でも思う。
夫が深夜にしか帰宅しないため、まさにワンオペだったが、それでも深夜の授乳のときのおむつ交換や、そのあとなかなか寝付かないときには寝付くまで抱っこして寝かしつけてくれた。
とにかく人見知りが酷かったため、両親以外がいる環境で少しでも離れるそぶりを見せたり、視界から消えようもんなら、号泣するため、ずっとべったりしていたのがしんどかった。




【当時の心境】
人見知りが激しいという悩みはあったが、よく飲み、よく眠ってくれたおかげで、思いつめることがなかったのはよかった。
元々、私自身も人見知りで、子供嫌いだったため、なかなか我が子と二人きりの時に名前を読んだり、話しかけることが気恥ずかしく、ちゃんと愛せるのか不安はあった。
母性というよりは責任感で育てていたと思う。




【夫の手助けと関わり】
人よりは遅いが午前中に出勤して、深夜に帰宅する生活スタイルだったので、端から夫の手助けには期待はしていなかったが、できることは手助けしてくれていたと思う。
大便の時でもおむつ交換をしてくれていたし、夜中の寝かしつけやおむつ交換もタイミングが合えばやってくれた。
休日には思いっきり遊んであげていたし、仕事の日の朝も、子供に「あそぼ」と起こされれば、何とか起きて遊んでやっていた。
また、スーパーへ買い物に行ったタイミングで授乳が必要になったときは、車内で授乳している隙に代わりに買い出しもしてくれた。
(買うものが大体決まっているため、細かく伝えなくても買い物してきてもらえた)
休日には、夕方抱っこ状態で子供が私の上で寝ていたり、授乳をしていたり、特別子供に手をかけていないときでも、夕食を作ってくれた。




【工夫と便利グッズ】
グッズというほどではないが、授乳するときに服を捲らないといけないが、それが落ちてきたり邪魔になるときに役に立ったのが、長い紐。
常に首にかけて、服の下に通しておいて、授乳するときに、垂れ下がった紐を服を捲るように持ち上げて首にかけると、トップスが邪魔にならず授乳しやすかった。
あまりにも人見知りが激しいので、人に慣れるために、地域で行われている赤ちゃん広場という交流会にも顔を出すようにした。
そこで知り合った人からの紹介で、子育て支援施設や、保育園や幼稚園の園庭解放にも参加するようになり、私も子供も少しずつ友達が増えていった。
人見知りは治っていないが、毎日のように同じ年頃の子供たちと親がいる場所に行くことで、少しずつ親から離れて友達と遊べるようになった。




【強烈な思い出】
生後3か月まであと1週間という9月入ってすぐの時に、私の祖父母の自宅へ赤ちゃんを見せに母親と夫と訪ねた。
当然祖父母は抱っこをしたがるのだが、赤ちゃんが猛烈に泣き出した。
結局、在宅中は私か夫の腕の中で不機嫌そうに抱かれていて、祖父母には「これは癇の強い子だわ」と嫌みったらしく言われた。
祖父母はあまり繊細な気遣いのできる性格ではないため、もしも在宅中に授乳が必要になっても別室は用意してもらえないだろうと思っていたので、その前になんとかお暇したかったのだが、母と祖母の話が盛り上がりなかなか帰れなかった。
結局、我慢の限界になった赤ちゃんが泣きだして、みんながいる部屋で「授乳しな」と言われた。
母や祖母だけならともかく、異性である祖父もいるので、授乳ケープを使用して、地べたに座って仕方なく授乳していたら、「そんなところに座ってないで、椅子を使いな」と祖母が普段使っている微妙な高さの椅子を勧められてしまった。
普段から地べたで授乳していたため、逆に中途半端な椅子だと姿勢が取りづらく、いつもと違う環境に敏感で元々機嫌の悪かった赤ちゃんは上手く授乳できず不機嫌に泣き叫び、そんな暑いもんかぶせてるからだと、授乳ケープを取られてしまった。
そんな状況で私も落ち着いて授乳できないので、それを感じ取った赤ちゃんももちろん落ち着かず、結局まともに飲めないまま、とにかく帰ることにして、帰りの車内でようやく落ち着いて授乳ができた。
私も泣きたい気分だった。
あとから思えば、その日が赤ちゃんの人見知りの始まりだったが、まさか生後3か月で人見知りするなんて思わなかったため、とにかく機嫌が悪い日、または、私の気持ちが移って落ち着かない日だったのかと思っていた。




【後悔してること】
もっと日常の動画を撮っておけばよかった。
あの頃の我が子はどんな声をしていて、どんな表情をしていて、どんな動きをしていたのか、年々思い出せない。
そう思うのに、やっぱり特別な時しか動画を撮らないので、1歳の時、2歳の時・・・あの頃はどうだったのか、やっぱり思い出せない。




【嬉しかったこと】
私の顔を見て、にこーと笑顔になったり、なんでもないタイミングで抱きついて来たり、無条件に必要とされている、愛されていると感じるときが、たまらなく可愛いし、幸せだと思った。
きゃっきゃとした笑い声をあげさせられると、こんなにも喜ばせたぞ、とうれしい気持ちになった。




【現在】
現在、5歳。
一人っ子。
甘えん坊で、不安感が強いが、手がかからず、明るくて優しい子に育った我が子が愛おしくて堪らない日々。
もちろん、鬱陶しく感じたり、イライラすることも多いが、この子でなければ、もっとイライラしていたし、かわいいと思えてなかったと思うほど、この子でよかったと思う。
この先、親の目が届かない世界に進んでいくのかと思うと心配でたまらないが、どうか幸せであってほしい。



【当時の自分へのアドバイス】
特別じゃない日常の写真も動画もたくさん残すこと。
そして、恥ずかしがらずにたくさんの愛情を注ぐこと。
そうすれば、大きくなってきた頃に、たくさんの愛情が返ってくる。
赤ちゃんはちょっとした隙に命にかかわることが起こるが、ちょっと家事をさぼっても死なないので、子供と過ごす時間を大切に。
できれば、もっと絵本を読んであげて。