寝なくても食べなくても、それがこの子の過ごし方。振り返ってから気づくことの多い育児生活。

【赤ちゃん育児体験談】寝なくても食べなくても、それがこの子の過ごし方。振り返ってから気づくことの多い育児生活。

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
29歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
無職

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
42歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
研究員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
賃貸マンションの4階に夫婦と赤ちゃんの3人で住んでいました。
1階に1室のみで、上の階にはオーナーが住まれており、下の階には会社が入っていました。
近隣は会社や病院が多く、近所付き合いをするような環境ではありませんでした。

【里帰り出産について】
妊娠34週から生後1ヶ月半まで里帰りしていました。





【性別】
女の子
【兄弟姉妹】
初めて産んだ子
【赤ちゃんの性格】
今にして思えば、おとなしい子でした。
警戒心は強めで、新しいオモチャなどにもあまり食い付かず、慣れてきてようやく少しずつ手を出すという感じでした。




【寝かしつけの工夫】
入眠は上手な方でした。
授乳後にそのまま眠りましたが、月齢が上がってもほぼ3?4時間で覚醒して泣く子でした。
オルゴールの音楽を流すとうとうとすることが多かったです。
薄明かりよりも真っ暗の方が寝つきは良かったので、薄暗い照明を探して授乳時に使用しました。




【おむつ】
当初はパンパースを使っていましたが、おしっこ漏れが多く、試供品でもらったメリーズに変えるとおしっこ漏れがピタリとなくなりました。
それ以降は卒業するまでメリーズを使いました。




【母乳とミルク】
昔から母乳育児への憧れがあり、産後すぐから「母乳で!」と意気込んでいました。
ですが、初産で女の子、赤ちゃんの体重も少なめということもあり、母乳の出は悪く、桶谷式マッサージのお世話になって母乳育児を軌道に乗せてもらいました。
卒乳は1歳のお誕生日を迎えてすぐでした。
嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちになりました。




【離乳食】
6ヶ月から始めましたが、スプーンへの拒否反応が強すぎて全く進められず、区の栄養士さんに泣きながら相談したことがあります。
手作りも市販品もどちらもダメで、子ども自身が自分の指と乳首以外のものを口に含むことができませんでした(オモチャも舐めない子でした)。
ちゃんと始められたのは8ヶ月に入ってからです。
その後はスムーズに進み、1週間分ほど作り置きをして冷凍して、解凍して与えていました。
出来るだけ有機野菜を使用したり、調味料なども添加物のないものを使用しました。
薄味心がけていましたが、食いつきが悪くなると味を変えたり少し濃くしたりしました。
外食時は持参しました(持ち込み可の飲食店のみ利用しました)。




【大変だったこと】
知らない土地で1人で育児
壮絶な夜間授乳
全く食べない離乳食

【具体的に言うと・・・】
里帰り出産中に引っ越し、私は里帰りから知らない家に帰宅するという状態でした。
知り合いのいない土地で、はじめての育児をすることになりました。
夫は激務で、2、3日帰ってこないことがザラでした(職場までは徒歩10分ほどです)。
帰ってくる時も明け方に帰宅してお昼前まで眠り、たまにお昼ご飯を食べて出勤という、顔を合わせている時間も少ない生活でした。
子どもが離乳食をなかなか食べなかった6ヶ月?8ヶ月の間が一番辛かったです。
産後の疲れなども一気に押し寄せてきたのか体調を崩しがちになり、気持ちも不安定になりました。
夜間授乳が多くてまとまった睡眠時間もなかなか取れず、区の保健師さんに育児相談をお願いして、カウンセラーさんにつないでいただいたこともありました。




【当時の心境】
子どもは可愛い、なのに心から可愛がれない。
こうした相反する気持ちを持つことに罪悪感があり、辛い気持ちの方が大きかったです。
子どもが成長して笑うようになると可愛くてたまらないのに、同時に泣き声も大きくなり、泣かれると心がザワザワしました。




【夫の手助けと関わり】
当時、夫は激務でした。
子どもと関わる時間も少なく、一時期は夫が帰宅すると子どもが大泣きしたほどです。
ですが、休みの日にはお風呂に入れてくれたり、おもちゃで遊んでくれたり、夫なりに手助けをしようと思ってくれていることは伝わってきました。




【工夫と便利グッズ】
支援センターを利用しました。
家で1人で子どもと過ごすより、他のお母様とおしゃべりしたり、保健師さんに相談したり、有意義でした。
子どもはキャラクターのぬいぐるみが大好きで、どこへ行くにも一緒でした。
少しずつ意思疎通ができるようになってきた頃、このぬいぐるみに「ご飯を食べよう」「お着替えをしよう」などと言わせると、子どもも素直に従ってくれました。




【強烈な思い出】
産後間もない夜間のことです。
当時、子どもは1時間おきに泣いて起きていました。
最初は「どうしたの?」と問えていたのが、だんだんと「何で泣くの?」「ママが何をしたの?」「わからないよ」と追い詰められていったことを覚えています。
泣き叫ぶ我が子のことが全く理解できず、大声で「泣かないでよ!」と言ったことがありました。
子どもはぴたりと泣き止み、私の顔をじっと見ました。
私の声に飛び起きた母が「少し休めば?」と子どもを抱っこしてくれました。
ですが、子どもはまた泣き出し、それもとびきり悲しそうに泣くのです。
その声を聞くと、とても休むことなどできず、母から赤ちゃんを奪い取るように抱っこしました。
すると、先ほどまで泣いていた我が子が泣き止んだのです。
私の顔をじっと見て、瞬きをして、あくびをしました。
母から「やっぱりママがいいよね」と言われ、そこでなぜか初めて「そうだ、私がママなんだ」と思いました。
怒鳴り声をあげたことを激しく後悔して、その日は一晩抱っこをして過ごしました。




【後悔してること】
育児書通りでないことに焦り、他の子と比べるような発言をしてしまったことです。
ハイハイがなかなかできず、支援センターのお友達はもうできているのに…という気持ちから「あの子はもうハイハイができるんだよ」と。
キョトンたしていたので、意味はわかっていなかったでしょう。
ですが、他人と比べるということは、親が絶対にしてはいけないことだと心に刻んでいます。




【嬉しかったこと】
ママが1番!という仕草をしてくれることが堪らなく嬉しく、愛しかったです。
私と夫が同時に「おいで」と声をかければ必ず私の方へきましたし、夫が抱っこしてもしばらくすると私の方へ手を伸ばしてきました。
一緒にいる時間が長い分、イライラしてしまうことも多かったですが、子どもからの愛情を一番身近に感じられることが何より嬉しかったです。




【現在】
あの頃から4年、子どもは今年で5歳になります。
2歳の頃に弟ができる予定でしたが、残念ながらお空へ帰ってしまいました。
その後、3歳の頃にもう一度弟ができる機会がやってきて、今は喧嘩もしつつ仲良く2人で遊んでいます。
今は幼稚園でお友達関係を築いているところで、喧嘩をしたり思いが通じなかったり…子ども社会にも色々とあるのだな、と感じています。
今は、このコロナ禍を家族みんが健康で楽しく過ごせることが一番の願いです。



【当時の自分へのアドバイス】
育児書通りでなくてもいいんだよ。
必ず寝るようになるし、食べるようになる。
ハイハイだってするようになるよ。
とっても優しい、良い子に育っています。
何も心配しなくて大丈夫。
抱っこと手繋ぎが大好きな子だから、心配するよりもたくさんスキンシップをとってあげてください。
毎日「大好き」と伝え合っているから、我が子はお友達にも「大好きだよ!」と自分の気持ちを伝えられる子に成長していますよ。
自分の育児に自信を持って!