授乳、寝かしつけ、育児の常識にとらわれてしまった育児奮闘記

【赤ちゃん育児体験談】授乳、寝かしつけ、育児の常識にとらわれてしまった育児奮闘記

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
36歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
官公庁臨時職員

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
41歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
国家公務員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
社宅で夫と二人で居住していた。
社宅だったので、周囲は小学生の子供がいる世帯や小学生と高校生の子供がいるような世帯がかなりいて、隣近所とは階段などであった際は頻繁に挨拶をし、子育ての経験談も聞いたりした。
周囲の環境には恵まれていた。

【里帰り出産について】
里帰り出産2ヶ月





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
初めての子供
【赤ちゃんの性格】
生まれた際は本当におとなしく世話は比較的しやすかった。
特に動きが激しくて目が離せないということもなく、誰かに相談が必要だと感じることもなかった。




【寝かしつけの工夫】
寝ないのであれば絶対に寝かせなければならない、絶対に泣き止ませなければならないという観念に囚われ過ぎていたこともたまにあった。
しばらく眠ってしまうまでずっと抱っこをしていた。
子供はベッドに寝かされているより抱っこされている方が安心感があったと思う。
月齢と共に一度寝かせたら朝まで眠っている状態だった。
たまに夜中起きることがあったくらい。




【おむつ】
パンパースやムーニー。
パンパースが一番使いやすかった。
おしっこをしたのならちゃんと目につきやすかった。
これは良くなかったというのは特にはないが、割高な価格だったりするものもあるので一概的にどれがいうのは言えない。




【母乳とミルク】
母乳のみだった。
出産から数日して母乳が出るようになるとずっと母乳だったので、いざ混合にしようと哺乳瓶とミルクを用意したが子供が哺乳瓶の口を好まず、結局母乳だけで終わってしまった。
出産から一年経って生理が戻ると、母乳が出ていても子供が徐々に飲まなくなっていったので、卒乳のタイミングは本当に無意識に進んで気づけば終わっていたという感じ。




【離乳食】
離乳食は大体6ヶ月くらいから。
野菜などを茹でたやつをマルチブレンダーで刻んでスープ状にしてフードコンテナに入れて冷蔵庫で保存していた。
大人用の煮物の調味料を入れる前のじゃがいもなどを一部取って潰したりしていた。
子供に食べさせるものなので食品添加物なんかには気をつけていた。
特に既製品の離乳食を買ったりしていたということはなかった。




【大変だったこと】
・里帰り出産で親がうるさく不機嫌に当たってきたりした
・里帰り出産で自分の周囲で常に不機嫌な者がいたりして、子供まで何がしかのものを感じ取って気を使うかのように大人しく眠るようになってしまった。
・母乳が過剰に出過ぎてはってしまい、乳房が硬くなってしまった。

【具体的に言うと・・・】
出産に備えて里帰りをしたが、それが後々大変だった。
実家の親が必要以上に不機嫌になり八つ当たりをしてきたりして、生まれたばかりの子供の世話をするというより、親の機嫌を伺ってる方がはるかにしんどかった記憶しかないというのが一番に上がってくる。
出産から1ヶ月がたち、本格的に育児が始まってから以降は授乳のタイミングが一番苦労したかもしれない。
外出先では授乳する場所を事前に調べておき、授乳の時間になったらその場所へ行って授乳。
授乳をしている時期は服装も考えなければならなかったし、当然ながらそれまでとは状況が一変するのだからイライラがあったことも事実だ。
完全母乳はミルクや哺乳瓶がいらないという点では身軽だいう利点もあるが、その反面、常に子供の授乳のタイミングに拘束されてしまうのでそれはそれでしんどさがあった。




【当時の心境】
出産時は実家の親が常に不機嫌で常に早く自宅に帰りたい心境だった点は辛かった。
あとは完全母乳だったため、そのタイミングに拘束されてヘトヘトになったこともあった。
それでも子供は可愛いと思えたこと。




【夫の手助けと関わり】
お風呂に入れること。
それ以外はなかったが、それだけでも随分助かると思うことが多々あった。
自分が近くのスーパーへ食料品の買い出しに行ったりする間、子供の面倒を見るように頼んだりしていたのと、日々のお風呂入れを頼んでいたこと。




【工夫と便利グッズ】
子供が好みそうなアイテムを発見し、それが気に入っていることがわかって以降は、泣き止まない時にそれをずっと手に持たせていた点。
お気に入りのアイテムを手にさせておくと安心感が出てくるのか、次第に大人しくなっていったと記憶している。
あと、離乳食も始まり、時期が進んでいくと、外食先で麺類なども食べるようになった際は麺切りカッターが本当に役に立ったと思う。
麺きりカッターと言っても小型の無印良品の文具であるハサミだが。




【強烈な思い出】
出産時に里帰り出産をし、それが正直なところ忘れられない強烈な赤ちゃん育児中の思い出となってしまったことだ。
出産した年齢が実家の近辺でもかなり遅い年代であったことが実家の親も不安だったらしく、よくありがちな高齢出産にまつわるハイリスクな話などをまともに信じていたため、その呪縛から抜け出せず、里帰りから日が経つごとにだんだん実家の親が不機嫌さがエスカレートしていき、出産が近づいてくるとさらにエスカレート。
終日不機嫌な日がとにかくあった記憶しかない。
帝王切開による出産のため、入院する際、一緒に病院に滞在するのは配偶者という病院の方針にも腹をたて不機嫌さを見せ、とにかく不貞腐れていたのが今も鮮明に残っている。
赤ちゃん育児中の授乳のタイミングのイライラなど足元にも及ばないほどにトラウマとなったことは確かだ。
もう里帰り出産はごめんだ。




【後悔してること】
里帰り出産を即効で取りやめるべきだったこと。
里帰り出産さえしていなければもっと穏便に穏やかに過ごせていたかもしれない。




【嬉しかったこと】
日々、子供の顔が変わっていき、日々、首がすわり、寝返りをするようになり、ハイハイをするようになり、日々その成長をうかがえたということ。
子供が靴を履いて歩くようになった時は本当に嬉しかったのと初めて声を出して喜んだり笑ったりした時が本当に楽しかった。




【現在】
出産から10年が経過し、現在は小4。
出産時の影響もあったのか何をやるにも慎重になり過ぎてしまい、ジャングルジム登るのさえ躊躇うことがしばしば。
鉄棒もぶら下がりくらいしかしようとしない。
人との関わりやコミュニケーションなどが年齢の割に幼いため知的部門の特別支援学級の在籍。
本当は学年相応の知能だろうし、運動機能も特に何の問題もないこともわかっているので、新生児の頃の里帰り出産時にあった実家の親の不機嫌だったことがかなり脳に影響を与えたのだろうとしか言いようがない。



【当時の自分へのアドバイス】
里帰り出産にこだわる必要はないよ。
自分が住んでる地域で出産したいのならそれでいいんだよ。
何が何でも泣き止ませなければならないとか、何が何でも寝かしつけなければならないとか絶対にこだわる必要はないし、そんな育児本に書いてあるようにはいかないのが当たり前。
何でもかんでも常識にとらわれちゃダメだよ!それは全て刷り込みなんだから!