涙あり笑い多め。家族皆んなで駆け抜けた怒涛の日々。

【赤ちゃん育児体験談】涙あり笑い多め。家族皆んなで駆け抜けた怒涛の日々。

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
26歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
専業主婦

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
25歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
会社員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
生まれる直前に引っ越してきたアパート。
どちらかというと田舎。
近くに駅やスーパーはあったので、そこまで不便ではなかった。
私たちの入居直後に上の階も入居。
小学生の男の子2人がいるらしくかなりの騒音だった。
正直仲良くはできないなという印象だった。

【里帰り出産について】
里帰りしなかった





【性別】
女の子
【兄弟姉妹】
初めて産んだ子供
【赤ちゃんの性格】
とにかく夜泣きがひどく、ミルクをあげても抱っこしてもなかなか寝付いてくれなかった。
少し大きくなると後追いがひどくなり、少し姿が見えないだけで凄い勢いで泣いていた。




【寝かしつけの工夫】
抱っこして寝付いても、布団に下ろすと泣いてしまう子だった。
初めの頃はどうしていいか分からず抱っこしたままソファーに座って、ひたすらじっとしていた。
少し大きくなった頃にタオルにくるんで抱っこして、寝付いたらタオルごと静かに下ろす方法に変えた。
タオルで安心したのか、そのまま下ろすより成功率が上がった。
更に大きくなると、ミルクを飲みながら寝落ちしてくれるようになった。
歯のことを考えるとあまり良くなかったかも知れないが、だいぶストレスは減った。
(今も虫歯ゼロなのでほっとしている。)




【おむつ】
産院でつかっていたのがパンパースだったのでそのままパンパースを使っていた。
在庫切れでムーニーを使ったらお尻が荒れたのでそれ以降パンパース以外はつかわなくなった。
ポイントを貯めると色々な商品と交換できるので、その点もいいと思う。




【母乳とミルク】
初めは混合だったが、周りにサポートしてくれる人も居らず、恥ずかしさもあって完全に粉ミルクに。
ミルクが足りているかや授乳場所など気にしなくてよかったので私には粉ミルクが向いていた。
銘柄は産院で使っていた、ほほえみ。
離乳食をあまり食べてくれなかったので、ちゃんと食べてくれるまでフォローアップミルクも利用していた。
フォローアップミルク銘柄はステップ。




【離乳食】
5ヶ月頃から。
ミルク粥から始めたが、食べてくれず。
ごまかしながら口に運んでいた。
冷凍は心の余裕が無くて出来なかった。
なかなか食べてくれなくて心が折れ、既製品も利用していた。
とにかく色んな味を一口でも、という感じだった。




【大変だったこと】
寝かしつけ。
離乳食。
後追い。
夜泣き。
家事。
自分のトイレ。
自分の食事。

【具体的に言うと・・・】
とにかく自分の時間がなくなった。
趣味の時間はもちろん、日常の買い物・食事・お風呂、全てに『子どもと一緒に』がついてきてなにをするにも大変だった。
ミルクやオムツの事を常に念頭に入れてスケージュールを組んだり、場所を選んだりしなければいけなかったし、イレギュラーが毎回起こった。
「予定通り」が好きなタイプなのでかなりのストレスだった。
どこに行くにも後追いがひどく、扉を開けてトイレという屈辱。
子どもを寝かしつけたかと思うと夜泣きで何度も起こされて睡眠不足。
旦那以外に助けてくれる身内はいなかったので、風邪を引いた時が1番辛かった。
旦那も仕事があるので自分でなんとかするしかなかった。
もともと綺麗好きだったのが、子どもにつきっきりになった事で部屋が足の踏み場もない状況になった事もあった。




【当時の心境】
辛かったが、子どもの寝顔を見る瞬間だけは幸せだった。
新しい事が出来るたび嬉しかった。
子育てが落ちつくまでは部屋の片付けもプライベートな時間もあきらめたが、子どもが幼稚園にいくようになったら自分の人生を取り戻そうと決意していた。




【夫の手助けと関わり】
料理は全くできなかったが、部屋の片付けや洗濯、ミルク、オムツなどは協力してくれた。
基本的に子どもが好きなので旦那に面倒を見てもらっている間にその他家事を私がやっていた。
月1回程度、子どもを旦那に見てもらって半日自由に過ごさせてもらったりしていた。




【工夫と便利グッズ】
タオルが落ち着くようだったのでずっと持ち歩いていた。
自治体に子育て中の家族が使える割安のタクシーのような制度があったので利用していた。
気が滅入った時はベビーカーに乗せてひたすら散歩していた。
洗い物を少しでも減らす為に割り箸や紙皿を利用する事もあった。
大型スーパーにあるキッズスペースや、地域の児童公園などを利用していた。
他のママさん達と少しおしゃべりできてストレス発散できた。




【強烈な思い出】
タオルのタグなども好きな娘。
買い物中に仕切りに私の服を引っ張るのでなにかと思ったら、ニットを裏表に着ていてタグが丸見えになっていた。
誰も気がついていないことを祈りながら爆走してトイレで着替えたが、その後しばらく恥ずかしくてトイレから出られなかった。
喋って教えてくれたらどれだけよかったか。
裏表に来ていることも気が付かないくらい疲れていたのかもしれないが、その時以来出かける前に必ず鏡を見るようになった。
一歳の誕生日に赤ちゃん用のケーキを買ってきた。
ローテブルの上にケーキを置いたままお皿を取りに行ったらその一瞬でケーキが破壊されて散らばっていた。
子どもがつかまり立ちで手を伸ばしたらしく色々ベッタベタになった娘が笑顔でこちらを見ていた。
うん、しょうがない。




【後悔してること】
後追いがひどかった頃に、私も限界になってしばらくドアを閉めて閉じこもったことがあった。
姿が見えなくてさみしくて泣いているのにどうしても出て行く気になれなかった。
しばらくして自分の気持ちが落ち着いて出ていくと涙も鼻水もぐちゃぐちゃな娘が居て、とても後悔した。




【嬉しかったこと】
寝顔を見ると今日1日のいたずらを許せてしまう事。
ご近所のおじいちゃんおばあちゃんが皆んな声をかけてくれた事。
赤ちゃんかわいいね、頑張ってるね、お母さんにそっくりだね等々。
歩き始めでよたよたしながらこちらに向かってくる様子。




【現在】
現在5歳。
3歳になる妹が1人。
2人目が生まれてからも大変だったが親の鈍感力も高まり、1人目の時より苦ではなかった。
嫉妬するかと心配したが、姉ちゃんとして妹のお世話もたくさんしてくれた。
守るべき存在から、良きライバルとなった今でも困った時は助けてあげていて、やっぱり姉妹なのだなと思っている。
2人が幼稚園に行くようになり、やっとのんびりと過ごせる時間がもてるようになった。
1人の時間満喫したのち、少しでも働けたらと今考えている。



【当時の自分へのアドバイス】
大人になってもオムツをしている子は居ない。
トイトレのタイミングでどこかで読んだフレーズ。
そんなに焦らなくても、失敗しても、気張らなくても、子どもは子どものペースでちゃんと最長しているから、そんなに完璧を目指さなくていいと思う。
お母さんが笑顔でいてあげる事が子どもにとっても1番いいんじゃないかなと思う。