自分主体の人生から相手のために愛を持って生きるための成長

【赤ちゃん育児体験談】自分主体の人生から相手のために愛を持って生きるための成長

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
29歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
育児休暇中

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
37歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
会社員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
当時1LDKのアパートに旦那と私と赤ちゃんと犬2匹で住んでいていました。
周囲の環境はご近所さんも子育て世代が多かったので特に子育てでのトラブルなどはありませんでしたが、真向かいの家族が毎日のように外まで聞こえるような大声で夫婦喧嘩をしているのが多少の悩みではありました。

【里帰り出産について】
里帰りはしませんでした





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
始めて産んだ子供
【赤ちゃんの性格】
生まれた時からマイペースで何をするにもゆっくりでした。
寝返りも生後半年を過ぎてからできるようになったし、つかまり立ちも1歳を過ぎてから、歩くのも他の同級生の子たちより断然遅かったです。




【寝かしつけの工夫】
寝かしつけでの工夫は、夜寝る時は必ずベビーベットで寝かすことと、寝る前のルーティーンを作って1歳になるまで必ずそれを守ることを心がけていました。
例えば、7時にお風呂に入り薄暗い部屋でお着替え。
電気を消してミルクを飲んでゲップをしたらそのままベビーベットで寝る
子供の反応は最初は泣いたりしていたけどその時期を抱っこせずに添い寝やよしよしで乗り越えたら、そのまま寝てくれるようになりました。
月齢が経つと子どもが眠れない日などがたまにありますがそのままベットの上でコロコロ転がったり自分でおしゃべりなどした後に自然と寝てくれるので最初だけ頑張ればあとは楽だと感じています。




【おむつ】
オムツは基本パンパースかメリーズを使っていました。
一度ムーニーが安いからと変えてみましたが、横漏れがひどかったのですぐ戻しました。




【母乳とミルク】
私の場合は、8ヶ月まで母乳5:5ミルクで9か月からは完全ミルクだけにしました。
ミルクの銘柄は雪印のすこやかを使っていました。
理由は出産した病院がこのミルクだったのでそのまま同じやつにしました!
そのあと保育園に行く時に保育園が明治のほほえみを使っていたのでそれに途中から変えましたが、問題なく飲んでくれました
卒乳は1歳に成ると同時に行いました。
一番苦労したのは寝る時で、ミルクを飲んで寝るのが日課だったのを白湯に入れ替えてどうにかごまかしながらなんとか卒乳しました!最初はなんか違うーってしますが哺乳瓶で白湯を飲ませるなどしていたら慣れたのか飲んでくれるようになりました。
うちは離乳食をよく食べたのでフォローアップミルクは使っていません




【離乳食】
離乳食を始めたのは5か月になった頃で、一週間分を冷凍しながら少しずつ量を増やしていきました。
心がけていたことは1歳になるまではレトルトや冷凍食品などは使わず頑張って毎食分を手作りしていました。
コツは、おかずなどを一週間分まとめて作ってあとはちんするだけにしておきその時炊いたご飯でおかゆを作ってあげるというやり方です。
友達の初めての子供は初期からレトルトの離乳食を使ったりしていたら好き嫌いが多くなって偏食になったので次の子供はちゃんと作ってあげるようにしたらなんでも食べてくれるように育ったと聞いたので、そこを意識しながらたくさんいろんなものを食べれるようにおかずを作っていました!
今はなんでもモリモリ食べてくれます




【大変だったこと】
・ねれない
・疲れていても抱っこしないといけない
・体調を崩しても休めない
・自分の時間はない
・やりたいこともまともにできない
・仕事が始まると切り替えが大変

【具体的に言うと・・・】
育児で大変なのは子供に合わせ生活しないといけないので毎日その場その場で臨機応変ができないと身も心も疲弊してしまうことですかね。
特に3か月を過ぎるまでは昼も夜も関係ないし産後のボロボロの体で24時間赤ちゃんにつきっきりなのは本当に辛かったです
旦那さんも手伝ってはくれますが指示待ちの状態で言わないとやってくれない状態でした
赤ちゃんが寝てくれてもどれくらい寝てくれるのかもわからないし、寝たタイミングで洗濯をしようとしても途中で起きてしまったりして結局朝洗濯したものを夕方干したりで毎日が上手くいかないことにイライラしたりしていました
私は母が家に来て、お風呂はいってお出でとか少し寝なさいと気にかけてくれたのでものすごく助かりました




【当時の心境】
当時は子供の可愛さにすごく幸せを感じれていましたが、心のどっかで常に1人になりたいって気持ちはありました。
その時一番欲しかったのは安心して何も考えなくていい1日です。




【夫の手助けと関わり】
夫は手助けしてくれる方だとは思います。
でも基本的には言われたらやるって感じです。
なのに外からは旦那さん頑張ってるね!って言われるのが少しもやもやします。
同じ時間働いて、子供も産んでからだはボロボロ、育児も私主体でも褒められることはありません。
夫の子供との関わり方は、最初はわからないことだらけで戸惑っていましたが子供が成長するにつれて少しずつ慣れてきたみたいです。
父は子供と一緒に父親になるっていうのは本当なんだなーと感じました




【工夫と便利グッズ】
お座りができるまで大活躍だったのはバウンサーです。
息子もおおはまりしていて足でバインバインって動かして遊んでいました!
その間に家事をしたりして飽きた頃に床に転がしたり抱っこしたりして忘れた頃にまたバインバインってさせてってやりながら毎日を必死に過ごしました!
あとは早めに保育園に行かせたことです。
成長が遅かったので少し心配していた時にとても良い保育園に出会ったので9か月から通わせました。
そのあとも成長速度はマイペースでしたが、周りの子が歩いたりするのを見て真似をしようしたりしていて良い刺激にはなっていたと思います




【強烈な思い出】
育児中の強烈な思い出は、子供が高熱を出してぐったりしていた時です
病院の救急に行き高熱の息子を連れたまま3時間待たされた挙句、熱さましだけらって返された時は本当に辛かったです
水も飲まない寝るれない熱も下がらない状態で3日間、不幸にも三連休中だったので救急しかない。

#8000番に何回もかけました!
結局連休明けに病院に行けてちゃんとした薬をもらえたのと、浣腸をしてもらって一週間かけてよくなりました
そのほかにも急に手と足と顔に大量の蕁麻疹が発生して夜中にもとても痒そうで何回も起きて泣いていた時もとても心配でした。
一回目の事件で救急に行ってもあんまり意味がない気がしていたのでまず#8000で状態を説明して必要なら救急に行こうと思い電話してみたら、次の日病院で大丈夫と言ってもらえたのでその指示に従ったら手足口病で大したことなくて安心しました




【後悔してること】
子供がいやなことをいやー叫んで私の後をずっと追いかけてきた時に「うるさい!」って思わず叫んでしまったことです。
子供がびっくりして一瞬黙ってこっちを見ていた顔を思い出すと今でも胸が張り裂けそう




【嬉しかったこと】
育児での楽しみは子供がどんどん成長していくことです!
手足を見つけてジーと見つめたり、急にテンションが上がって手足をバタバタさせてり、自分で座れるようになったり、ヨタよしながら私のところに歩いてきたり、言葉を話し始めて知ってる単語だけで気持ちを表現しようとしたりで笑っちゃうこともたくさんあります!




【現在】
あの苦しい時期から1年経ってもうすぐ2歳。
まだまだ大変な時期だけど自分で遊ぶことができるようになって少しは楽になったかな。
旦那も子供が意思表示ができるようになってからは可愛いって感情が芽生えてきたみたいです!
今はお腹の中に2人目がいるのでまたあの毎日が来るのかーとふと思ったりするけど今度は大丈夫なきがします。



【当時の自分へのアドバイス】
今は先の見えない必死な毎日に不安かもしれないけど、焦らなくても子供はちゃんと成長してくれます!
いつまでこんな毎日が続くんだろうと悩んで苦しんだ毎日がちゃんと自分も成長させてくれます!
だから少し肩の力を抜いてなるようになる。
と一度開きなおってみてください!
この苦しい時期もこんなに必要としてくれる時期も今でけだからもっと幸せを感じてください