誰も教えてくれないオリジナルな子育て波瀾万丈奮闘記

【赤ちゃん育児体験談】誰も教えてくれないオリジナルな子育て波瀾万丈奮闘記

【自分の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
25歳
【自分の職業】(赤ちゃん育児の当時)
専業主婦

【夫の年齢】(赤ちゃん育児の当時)
30歳
【夫の職業】(赤ちゃん育児の当時)
会社員

【住んでいた住宅と環境】(赤ちゃん育児の当時)
新婚さんばかりの新築アパート。
夫と二人暮らし。
目の前が畑でのどかな感じ。
同じアパートの方数名と交流あり。

【里帰り出産について】
里帰り出産。
2ヶ月





【性別】
男の子
【兄弟姉妹】
初めての子ども
【赤ちゃんの性格】
とても元気がよく、母乳をたくさん飲んだ。
ご機嫌はそれほど悪くもなく、だいたい3ヶ月ごろには睡眠も落ち着いた。
激しい遊びが好きで「高い高い」をやるとケタケタよく笑った。




【寝かしつけの工夫】
とにかく立ってだっこするのが一番効果的だった。
自分も辛いので鼻歌をよく歌っていた。
首が座ってからはおんぶ紐でおんぶをしていた。
おんぶの方が寝落ちするのが早かった。




【おむつ】
生後2ヶ月くらいまでは布おむつを使っていたけれど、使う量がはんぱなく、洗うのが大変なので、生後3ヶ月頃から紙オムツにした。
頻繁に替えたいので、比較的安価なマミーポコを使っていた。




【母乳とミルク】
母乳のみ。
扁平乳首だったため、生まれてから2週間ほど母乳が飲めず、その間は搾乳器で絞って哺乳瓶であげていた。
吸えるようになってからも乳首が小さくて切れやすく、時々出血したりしたため、その間ミルクを少しあげていた。
あと、沐浴後は離乳食用のほうじ茶をあげていた。
フォローアップミルクは使用せず生後10ヶ月頃から牛乳を与えた。
母乳を飲む量が減ってくると、胸が張るので搾乳器で搾りつつ、卒乳というか断乳的な形で1歳半頃母乳をやめました。
一晩泣いたけれど翌日から全く飲まなくなった。




【離乳食】
5ヶ月頃から。
果汁を少しずつあげて重湯、おかゆと離乳食の本を見ながら手作りした。
お粥は製氷皿でキューブ状にしたりしていた。
初めての子どもはほぼ手作り。
下の子たちは、上の子に合わせての外出も多かったので既製品が多かった。
それが原因かは不明だが、手作りで育った子の方が大きくなってからの偏食がないような気がする




【大変だったこと】
とにかく寝れない
孤独との戦い
" 体力勝負

【具体的に言うと・・・】
夫の仕事が忙しかったため、ワンオペ育児でした。
とにかく数時間おきの授乳は過酷を極めました。
中高と運動部で鍛えた体、いつもダイエットしなければならなかった体は、育児によってあっという間に細くなりました。
めったに病気もしない自分が、さすがに3人目を産んだ頃には頻繁に熱を出し、原因不明の腹痛に襲われ、手伝いにきてくれた実母が帰宅するとき、泣きたいくらい心細かったのを今も覚えています。
とにかく睡眠が思うようにとれないのが、余計に脳みそを鈍くさせていたのかと思います。
生後2ヶ月までの布おむつ時代は完全に育児ノイローゼだったと今になっても思います。
幸い、実家から2時間くらいの距離だった量、姉が40分くらいのところに住んでいたりしたので、時々訪問することによって助けられていました。
自分の中で今でもは辛かったのは3人目が生まれてから。
子ども全員が泣いて、冷凍うどんさえも茹でれなかった時、わたしも泣きました。




【当時の心境】
とても悩んでいた。
悩んでいたのでそれで夫とよく衝突していた。
夫も仕事が大変だったのだろうけれど、帰りにパチンコに寄って帰ってきたりしていた。
一刻も早く帰ってきて手伝って欲しかった。




【夫の手助けと関わり】
初めての子のときは、寝かしつけるのを手伝ってくれた。
帰宅するのがほとんど21時過ぎであるため、食事やお風呂についてはほとんど期待できなかった。
ただ、休日は家族全員で車で出かけたり、わたしが美容院へ行くときは見ていてくれた。




【工夫と便利グッズ】
お風呂に入れるとき、浴室の前に座布団を敷き、ベビー服に肌着を通したもの、その上にバスタオルを用意しておいた。
子どもを入れる前に、自分の体をさっと洗いたいため(洗髪はあとで)ドアは開けた状態で入っていた。
つかまり立ちするころは、伸び縮みすること木製のフェンスを取り付け、浴室に入ってこれないようにしていた。
バスローブはとても重宝した。
子どもに服を着せないといけないので、とりあえずバスタオルで子どもを包んだら、自分はバスローブを羽織り、子どもに服を着せ、母乳をあげてから服を着ていた。




【強烈な思い出】
一番上の子が3ヶ月の頃、夫が仕事へ行く際マンションの鍵を忘れた。
私は子どもと爆睡しておりインターフォンに全く気づかなかったので家に入れず。
夫はベランダに非常梯子があることを思いつき真上の階の会社先輩宅を夜中に訪問。
夏だったため、ベランダの窓が空いていないかと考えたようだが、窓は空いていなかった。
仕方がないので近所のマンションを管理している不動産屋さんを叩き起こし(マンションの目の前が店舗兼自宅)合鍵を借りてようやく家に入れた。
家に入ってきた夫に気づいた私は何事もなかったかのように起き、ことの顛末を聞き大笑いした。
子どもができてからというもの、少しの物音にも敏感に反応していた自分が全く目覚めなかったとは、よほど疲れていたんだろうなと思います。




【後悔してること】
もうちょっとリラックスして子育てすればよかった。
子どもが増えるごとにそれは感じた。
おそらく自分の要領もよくなっていったからなのうだろうけれど。
最初の子の時の大変さは次の子のときにはあまりなかった。




【嬉しかったこと】
ただ寝ているだけの赤ちゃんが日に日にできることが増えていき、自分に笑いかけてきたとき。
ブルーナの絵本「かくれんぼだあれ」という本を読んだ時にケタケタ笑った。
これは子どもたち3人とも同じ時期に。
健康と成長だけを願っていた時期が楽しかった。




【現在】
長男27歳、次男24歳、長女21歳になりました。
赤ちゃんの頃の苦労なんてもろともしない過酷なことがあり続けました。
今、このアンケートによって過去を思い出して時々涙が出てしてしまいました。
小さい頃はとにかく健康に成長してくれることを願っているのに、その欲は次第にどんどん増えていくんだなと思っています。
昔の録画ビデオを見ると、かわいい子たちを目の前にしているのに、笑顔の消えた自分がいて、見ているのが辛くなることがありました。
今は子どもたちもそれぞれが一人で生活する様になり、紆余曲折ありつつも久しぶりに心穏やかにくらしています。
夫には私の精神が安定しなかった時期もあり、支えてくれて感謝しています。
子どもたちが幸せに暮らせるよう切に願います。



【当時の自分へのアドバイス】
あまり頑張りすぎないこと。
周りとの比較は厳禁。
他人と合わせるのは大変なので、よほど気の合うママ友以外とは付き合わない。
誰かを頼る(ファミリーサポートやベビーシッター)。
自分が参ってしまった場合は、ないていてもとりあえず赤ちゃんと離れて冷静になる。
部屋が散らかっていても気にしない。
夫のことをうまく操ろう(気持ちに余裕がないだろうけれど、言い方によっては相手も気持ちよくやってくれるかも)