育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで男の子・ママ10代〜26歳(25人)

育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで男の子・ママ10代〜26歳(25人)


【強烈な思い出】
お風呂に入れている時に、急にいきみだして、なんだろって思ったら浴室でうんちをしたのがとても衝撃的でした。
流す訳にもいかないし、トイレットペーパーも無いしで、母を呼び回収してもらいました笑
その後浴室は臭かったです。
浴室でうんち事件は今までに2回あり、下痢をされた時は本当に処理が大変でした。
1歳になって歩くようになってからは、勝手にオムツを脱ぎ、床でうんちした事があってその時は、床がうんちだらけでなにこれ?!って思ったらうんちで、床のつなぎ目に入り込んだり、壁などに張り付いて、壁の掃除が浴室より大変でした。
【当時】
19歳・専業主婦




【強烈な思い出】
最初は正直自分がままになれるとも思っていなかったしなれる自信もなくて周りからもすごい心配されていたので気が気じゃなかったです。
凹むことも多くて理由なく泣いたりすることも多かったので自分でも大丈夫かなと思っていましたが、月日が経つにつれて子供も大きくなり手のかかることも少なくなってきてからようやく自分のメンタルも安定して子育てに取り組むことができました。
自分でもここまで落ち着いて出来るとは思ってもいなくて半年過ぎくらいまではあっとゆうまにすぎてしまい正直一歳過ぎたあたりから子育てが楽しいと思えるようになりました。
【当時】
20歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
夜、なかなか寝付けずにいてゴロゴロしていた時に夫が帰宅。
完全に目を覚ました子供は暗い中で元気に遊び始めてしまった。
もちろん夫も子供と一緒に戯れながら遊んでいたのだが、ふとした時に子供の目の上を少し切った。
子供は泣いてはいたが血もほとんど出なかったし、ちょっとした切り傷のはずなんだが、今でもその傷の痕が残っている。
もちろん子供自身はその時のことは覚えていないのだが、その傷を見るたびにあの時の傷だなと思い返してしまう。
まだ男の子だし傷は大きくないので良かったが、小さい時にできた傷というものは治らないものなんだと確信した。
他に大きな怪我や傷がつくようなことはなっかったので良かったが、仮に自分達のせいで大きな傷が残るようなことがあったら申し訳なかったと感じるんだろうなと思う。

【当時】
20歳・育児休暇中。病院の調理員




【強烈な思い出】
夜中に何をしても寝なくて途方に暮れたことがあった。
おむつもきれいだし、ミルクもたりているのに赤ちゃんはずっと泣いていて、私は何をどうすればいいのかわからず、こんなにお世話しているのに泣き止まないなんてどうかしてる、何か大きな病気なのかも、そうに違いない、と悪い妄想に浸食されていました。
赤ちゃんの鳴き声の中に吸い込まれて、世界中に自分と赤ちゃんだけになってしまったような、孤独感や焦燥感で一杯の気持ちの中で涙が止まりませんでした。
早朝から仕事の為、別室で泣ていた夫が様子を見にやってくると、すぐに赤ちゃんを抱き身支度をして、散歩に連れ出してくれました。
赤ちゃんが泣き止むまで歩き続け、2時間近く田んぼ道の真ん中であやし続けてくれました。
その間に私も冷静になり、気持ちを切り替えてお世話できました。
【当時】
20歳・主婦主婦




【強烈な思い出】
伝い歩きをしだしたある日の出来事です。
入ってほしくない場所・危ない場所にはベビーゲートを付けていました。
しかし、簡単なものは徐々に突破されるようになり、頑丈なベビーゲートに付け替えるかを検討していました。
キッチンの出入り口にもベビーゲートを設置していましたが、洗濯物を取り込んでいるほんの少しの間に目を離した間に入られてしまっていました。
うちのキッチンは炊飯器をスライドして出すタイプなのですが、その数分のうちにスライドが引き出され、炊飯器は床に転がり、更に炊飯器があった場所に子供がよじ登って入っていました。
その時は炊飯器の中は空っぽでしたが、もしも炊き上がった中身が入っていたら火傷などをしたかもしれないとゾッとしました。
また、赤ちゃんにこんな力があることにも驚きました。
幸い怪我もなく、炊飯器が置いてあるはずのところに入っている笑顔の息子に、私も同居の義理の母も笑ってしまいました。
ちなみに、炊飯器は壊れてしまい使い物にならなくなってしまいました。
ただ、十年以上使っていたものだったこともあり、買い替えのタイミングだったとすればいいかなと思うことにしました。
そして、新しい炊飯器で炊いたご飯が美味しかったので、主人もまた息子のおかげで炊飯器が新しくなって良かったと笑っていました。
【当時】
21歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生後8ヶ月くらいの時に私の不注意で落ちてビニールを誤飲してしまった事がありました。
その時私はテレビを見ていたのですが横で凄く苦しそうにおえおえしてびっくりしたら口の中にビニールが詰まっていました。
慌てて口に手を突っ込んで取ろうとしました喉の方までいっていたらしく、手こずりました。
誤飲の時間にしては数秒でしたが子供の顔が赤黒くなったのを見た時は冷や汗、震えました。
数秒だったのにとてもとても長い時間に感じました。
それからはトラウマになってしまい掃除についてはかなり神経質になっていたかと思います。
誤飲の恐ろしさがよくわかりました。
【当時】
21歳・専業主婦




【強烈な思い出】
男の子なので、オムツ交換の時は良くおしっこを顔に掛けられていました。
0ヶ月〜3ヶ月位の頃です。
おしっこ掛けた後は、ふう〜と声出してて、それには笑っていました。
息子は1歳頃から、髪の毛茶色くしていたのと、可愛い顔していたので、ジャニーズ入れると言われてました。
買い物連れて行くと、女子高生に良く囲まれていて、あれ!?居ない!と思い探すと、女子高生のかたまりの中心に居て、ニコニコして、おかしもらってたり、抱っこされていました。
よく、女の子に間違えられていたので、男の子ぽい格好させていました。
どこに行っても、可愛い可愛い言われていました。
可愛いと言われるのは、親としても嬉しい事で、余計服装とかも、気をつけてました。
【当時】
21歳・主婦




【強烈な思い出】
子どもの肌が弱かったのだが、病院に定期的に通っていて保湿の薬をもらっていた。
だが、病院も「この薬と同じ成分のモノが百貨店にあるので、ここでそれを買うようにして下さい」と言われ、もう病院に来るなと言われた気がして怖くなった。
病院で薬をもらえば幼児医療で安く薬をもらえていたが、百貨店で言われたクリームを探すと、少ししか入っていないチューブの物が3000円くらいした。
百貨店自体も電車で20駅くらい移動しないといけなかったし、精神的にも金額的にもきつかった。
ただ、その時に子供の顔をみると鼻の周り・顎・ほっぺと、真っ赤になってガサガサになって、とても痛々しくて、そんな状態で私の顔を見て笑顔になったり何か話しかけようとしている様に見えて、自分が情けなくなった。
【当時】
22歳・専業主婦




【強烈な思い出】
夫に子供を預けて1時間ぐらい買い物に出た時のこと、家の駐車場に着くと赤ちゃんがすごく泣いている声がしてもしかして自分の子かな?と玄関を開けるとやっぱり自分の子でバウンサーの上で寝かされたまま大泣きしていた。
その横で夫はいびきをかきながら爆睡していて、こんなに泣いてるのに全く気づかないなんてとビックリした。
もしバウンサーから落ちたり怪我をしたりしていても気づかなかったんじゃないかと不安になった。
いつから泣いていたのかも分からずとても心配になってそれから預けて外出するのが怖くなり極力一緒に連れて出るようにした
【当時】
23歳・専業主婦




【強烈な思い出】
寝返りができるようになった頃、母乳の吐き戻しが毎日何十回もあって着替えた洗濯を何回もしたこと。
旦那は心配するし、一度実家に帰った時がピークで実母はもはや笑ってるし…
うちもカーペットを何回も洗いました。
でもシミがすごくて、ワンシーズンで捨てました笑
安物でよかった!
あとはうんち漏れ…肌着をたくさん揃えた新生児くらいの頃は全然なかったのに、大きくなってくると毎日のようにありました。
お風呂で手洗いしたのも思い出…
ウタマロ最強〜と思いながら洗濯してたな〜
まあそのうんち漏れも実母は笑って聞いてました…もちろん実家でも漏らしてました笑
【当時】
23歳・専業主婦




【強烈な思い出】
保育園にお弁当を持参したときのお昼ごはんの時間にあった出来事です。
先生が各家庭で持たせたお弁当を子供のテーブルに置き食べさせてくれていました。
わが子は食欲旺盛で相当おなかが空いていたのか用意したお弁当をあっという間に食べてしまいました。
保育園の先生が他の子の面倒をみている間にわが子は手づかみで隣の席に座っている子供のお弁当を食べ始めました。
はじめは先生も気づかなかったのですが、何度も手を伸ばして周囲の子のごはんを横取りしていたようです。
子供自身は自分の分や他の子の分という認識がまだできていないので平然とした様子で当然のごとく食べていましたが、先生はじめ親はびっくりしつつ笑ってしまいました。
【当時】
23歳・会社員・事務職(育児休暇中)




【強烈な思い出】
保育園や私の職場環境、親族で女性が多い環境にいるため、男性が少し苦手なのか
年配の男性を見ると「おじさん怖い」と誰に対しても言うようになっていました。
私があまり男性が得意ではないためその環境に置いていたことを反省していたのですが
ある日おじいちゃんに大型のおもちゃを貰ったことを境に
年配の方への恐怖心がなくなったのか
知らないおじさんにも話しかけるようにもなってしまいました。
スーパーでも誰彼構わず話しかけてしまうので
恐怖心がなくなった反面警戒心がなさ過ぎて次は別の問題を解決せねば、、と思っています。
育児では次から次へと問題が起こりますね。
【当時】
24歳・パート




【強烈な思い出】
月齢が上がるにつれて、私のことを母親と認識しだしたのか、少しずつ後追いが始まりました。
特に夜、旦那が寝かしつけている時に私が近づくと、息子は大泣きしだしたり、ニコニコご機嫌になってしまい、なかなか寝かしつけができないことが増え、旦那からも「私が来るといつも寝かしつけ出来なくなる」と言われてしまいました。
一生懸命寝かしつけてくれる旦那にはすごく申し訳なく思いますが、私のことをちゃんと認識しだしたのかなとまた更に感じることが出来、嬉しい反面、少し困ったな、これからまた大変になるのかなと感じるようになりました。
【当時】
24歳・専業主婦




【強烈な思い出】
新生児の頃の思い出です。
その日はとても良く晴れた春のお昼過ぎで、窓を開けて赤ちゃんと私は一緒にお昼寝をしていました。
赤ちゃんより先に私の方が先に起きて、布団のなかでゴロゴロしているときに近くでカラスが「カーカー」と鳴きました。
その声を聴いて赤ちゃんがビクッとなり、大きな声で泣きだしてしまいました。
私からしたら何でもないカラスの鳴き声が、赤ちゃんにとっては泣いちゃうくらい驚く出来事で、なんだかさらに赤ちゃんのことを愛おしく感じました。
同時にとても小さい存在だと改めて思い、自分がもっとしっかりしてこれからも赤ちゃんを守りたいと思いました。
【当時】
24歳・専業主婦




【強烈な思い出】
私の仕事は当日サービス業をしていたので息子を職場に連れて行った時のことです。
お客さんが息子に触れたいと言うので息子を預けたら真っ先にほっぺたにちゅうしたではありませんか、その当時は新型コロナウイルスなんて流行ってませんでしたけど、知らないおばさんにほっぺたにちゅうされたなんてすごく可哀想で強烈な思い出でになりました。
その後から子供に人が近づいてきたら警戒するようになってしまった子供と私です。
息子は記憶には無いようなのでトラウマになっていなかったのは良かったです。
人に預ける恐怖を植え付けられた強烈すぎる思い出です。
【当時】
24歳・パート




【強烈な思い出】
これはもうおしっこを何度もかけられたことですね、、、笑
男の子だったこともあり、おむつ外して帰るときに何度もピューって飛ばされました。
焦りますね、、、
学習しておむつあてがいながらやるんですけど、なぜか赤ちゃんもこっちが気を抜いて当ててない時にピューってするんです、、、笑
しかも飛ばして欲しくない場面に限って(外出先トイレや、おむつシートを持ってない時に限ってなど)
わざと、、?と何度もききました。

なぜ人は焦った時物事がスローに見えるのか未だに謎ですね、、、自分の反射神経がもっと早ければ防げたのか、、などいまだに考えてしまうことあります。
これは旦那も遭遇してるので2人でよくあれは何度思い出しても笑えちゃうよねと話ししてます。
【当時】
24歳・無職無職




【強烈な思い出】
子どもがあまりに泣き叫んでなんで泣いているのか何もわからず、怒鳴ったり突き飛ばしてしまったことがあります。
その時は心に余裕はまったくなかったんだなと思います。
母親失格だなと自分をずっと責めていました。
どうしようもなくなって実家にしばらくかえって休養して子どもは母や祖母に面倒を見てもらって私は体を休めることに専念しました。
子どもは突き飛ばされても私に抱っこや抱きしめてほしそうに泣いて近づいてきました。
突き飛ばしてしまってからはハッと我に返ってすぐに子どもを抱きしめるとにっこり笑ってすぐにおもちゃのあるところに行って遊んでいました。
その時は抱きしめてほしかっただけなのかもしれません。
【当時】
25歳・無職




【強烈な思い出】
一番上の子が3ヶ月の頃、夫が仕事へ行く際マンションの鍵を忘れた。
私は子どもと爆睡しておりインターフォンに全く気づかなかったので家に入れず。
夫はベランダに非常梯子があることを思いつき真上の階の会社先輩宅を夜中に訪問。
夏だったため、ベランダの窓が空いていないかと考えたようだが、窓は空いていなかった。
仕方がないので近所のマンションを管理している不動産屋さんを叩き起こし(マンションの目の前が店舗兼自宅)合鍵を借りてようやく家に入れた。
家に入ってきた夫に気づいた私は何事もなかったかのように起き、ことの顛末を聞き大笑いした。
子どもができてからというもの、少しの物音にも敏感に反応していた自分が全く目覚めなかったとは、よほど疲れていたんだろうなと思います。
【当時】
25歳・専業主婦




【強烈な思い出】
テレビが真っ青!クレパス事件は忘れられない思い出です。
おむつ替えの時にタイミングよくおしっこがピューと噴水みたいに出ちゃったのも見たときも面白い思い出です。
8か月で立ち、10か月では走っていました。
よく走る子だったのでよく外にお散歩に行ってました。
そしたらすぐに走り出す!!!追いつけないわけではないですが、いきなり走り出すのでこちらも本気で走らないと追いつけない!!目の前は大きい道路!!!「止まってーーーー!!!ストップ!!!!」と私が大声で叫ぶものだから、道路の向こう側の横断歩道の人も子供が道路に飛び込んでくる!?!?という感じにびっくりされてました。
でも子供はキチンと道路の前で止まるんですよね(笑)何度もヒヤヒヤさせられました。
【当時】
25歳・専業主婦




【強烈な思い出】
まだ赤ちゃん期のとき。
忘れもしない、今となっては笑い話となったエピソードがある。
美味しい巨峰を頂いたので食べさせようと思ったが、種もあるし・・・と言うことで少し皮を剥きそこにくちをつけて、私がぶどうを持ってチューチュー吸わせていた。
何個か美味しそうに吸っていたが、私が一瞬油断したのだろうか、ぶどうを持つ手が弱くなり、スポン!!と子どもの口に丸ごと勢いよく入ってしまった!!慌てて足を持って逆さにし、背中を叩いてぶどうを出しましたが、子どもは大泣き。
一瞬の油断であわや窒息させてしまうところだった。
そしてとっさに行動できたのは日頃読み漁っていた育児書やひよこクラブのおかげだと思う。
何事もなくよかったが、子どもは今もぶどうは好んで食べない。
【当時】
25歳・専業主婦




【強烈な思い出】
無我夢中でとにかく毎日が必死でしたが、公園などが近くにないので息抜きに出掛けることも出来なくてとにかく家から出れませんでした。
観光地に住んでいるので人が多く、行くところもなければコンビニでお買い物するにも並ぶので時間がかかりましたが
唯一、コンビニの店員さんが会話相手でした。
旦那の会社関係の奥様たちとも会うことはありましたが、子どもを抱いてくれたりとても可愛がってくれました。
数少ない話せる相手で遊んでもらえる相手なので子どももとても懐いていました。
ただ、頻繁には会ったりはしないので、どうしても子どもも私も孤独でした。
【当時】
26歳・主婦




【強烈な思い出】
コロナ禍で同世代の赤ちゃんとのふれ合いがなかったのですが、同世代の子どもが一人歩きをしているのをみて、一生懸命に歩こうとしている姿は印象的でした。
やはり、周りの子どもとのふれ合いは大切なのだと思いました。
中々小口で食べなかった離乳食も、7ヶ月のときに知り合いの子どもとお昼ごはんを一緒に食べたら、その子が大きな口を開けていて、「すごいねー美味しそうに大きなお口を開けて食べているね!」っと話していたら、次から子どもも大きな口を開けて食べるようになったので笑ってしまいました。
コロナ禍で外出をすることを躊躇していましたが、子どもの成長を考えると適度に公園に連れていき、同世代や、他の子どもとのふれ合いを大切にするべきだとま思いました。
【当時】
26歳・学童指導員(育児休業中)




【強烈な思い出】
前向き抱っこ紐が今ほど普及していない頃でした。
前向き抱っこ紐を使って散歩に出かけてた時、前からこられた年配のご婦人に『あら!!! お人形化とおもったわ』と言われたことが印象的でした。
とにかく周りへの興味が旺盛な子でしたので、前向き抱っこでのお散歩は大人しくしていましたから。
ベビーカーに乗らないので抱っこででるしか無かった事もあります。
育児中は自分の時間なんてありませんし、その事に対する不満もありましたけど、無い物ねだりをしてもしかたがありません。
痛烈な思い出はワンオペ育児でしたので多くあります。
その中でも、、夜に赤ちゃんが泣いたとき、いつも私が抱いて歩くのですが、その時は主人も居たのでお願いしてみました。
すると、思ったよりすんなり赤ちゃんを抱き上げ、部屋を出て行った主人。
なんと、隣の真っ暗な部屋へ赤ちゃんだけ置いて帰って来ました。
これで静かになったと。
もうこの人には頼まないと決めました。
【当時】
26歳・専業主婦




【強烈な思い出】
離乳食を初めてあげた日のことは忘れません。
おかゆを一口食べると、びっくりしたような顔をしてもぐもぐしてました。
もっと!もっと!と口を開ける姿が可愛くて、旦那と一緒に大笑いしてしまいました。
おかゆが無いとわかると泣いていました。
初めての離乳食で、ぺっと吐かれることも覚悟していたので、欲しがる姿にびっくりです。
その後何を食べさせてもむしゃむしゃ食べていて、想像の育児とは違いました。
離乳食で苦労している話をたくさん聞いていたし、私自身は好き嫌いが多いので驚きました。
顔もパパに似ているのですが、中身までそっくりとは、、、。
【当時】
26歳・保育士




【強烈な思い出】
強烈な苦い思い出なのですが、私がトイレに入っている間に、ゴミ箱を倒してしまいその中に入っていたビニールゴミの切れ端を食べてしまいました。
苦しそうにしていてパニックになり、背中を叩くと嘔吐と共にビニールが出てきました。
嘔吐で出てきてくれたので良かったけれどもし出てこなければと想像したら涙が止まりませんでした。
人見知りも特になく、愛想がかなりよかったのでスーパーに行くと、色々な方に可愛いと言ってもらえました。
コロナ以前には、抱っこしてもらったり、遊んでもらったりして周りの人皆笑顔にしていました。
母親としても嬉しい出来事でした。
【当時】
26歳・医療事務(育児休暇中)