育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで女の子・ママ29歳〜30歳(25人)

育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで女の子・ママ29歳〜30歳(25人)


【強烈な思い出】
生まれてから何歳かまでは、小さい頃の記憶が残っていると聞いたことがあります。
出産の直後、子どもと初めて対面した際に娘がにっこりとほほ笑んでいました。
それで、大きくなった3歳くらいのときに、娘に「どうして○○は、生まれてくるときににっこりと笑って生まれてきたの?」と聞いてみたところ、娘が「ママにあえてうれしかったから。」と答えたのにはまいりました。
子どもってどうしてこんなにかわいいのかしらと思いました。
kの言葉が本当だったにしても、考えたうえでの言葉だったにしてもママの心はズキュンとやられてしまいました。
【当時】
29歳・公務員(育児休業中)




【強烈な思い出】
初めて熱が出たときは、苦しそうな顔を見て、涙が出ました。
夜も眠れずずっと看病していました。
ベットから落ちたときは夜中だったので病院に連れていくかすごく不安な一夜を過ごしました。
BCGの予防接種の時にはすごくすごく泣いたので、私も悲しくなりました。
突発にかかった時は、機嫌が悪く別人のようになり不安でした。
1歳の誕生日を迎えたときは、私が作った食パンのケーキを、手つかみでほおばる
娘の姿が忘れられません。
顔中ヨーグルトのクリームだらけになりました。
初めてママと言ってくれた日のことは鮮明に覚えています。
【当時】
29歳・会社員




【強烈な思い出】
1番の強烈な思い出は生まれてきたときです。
5日前の検診では3400gと言われていたのに、産まれてみたら4152g。
その大きさが1番の強烈な思い出です。
助産師さんが順番に分娩室に来ては「4000超えたって?大きいなあ」と娘を見に来てくれて、自分頑張ったなと思ったと同時に、助産師さんたちに感謝の気持ちでいっぱいでした。
授乳のタイミングがなかなか合わず、私も赤ちゃんもグズグズになってしまう事が初めは多くありました。
その度に私も落ち込むことがありましたが、生後3ヶ月になる頃には目がはっきり見えていて、おっぱいの体勢で抱くだけで「にやり」とこっちを見て笑っている娘を見て、毎度の笑わされ、癒されていました。
自分が母親であり、娘にとって1番の存在なんだろうなと勝手に思い込んで活力にしてました。
【当時】
29歳・幼稚園教諭(休職)




【強烈な思い出】
初めてつかまり立ちをした日に、そのまま同時に伝い歩きができるようになりました。
凄いね!と言うと、凄くドヤッとした顔で笑っていました。
1度立てる様になるとその後何度もやりますが、後ろに転けて頭を打つのがとても心配で、背負うクッションをかったりカーペットを買い替え、テーブルは小さな折りたたみできるものへ替えました。
その後、どんどん動けるようになり、テーブルに乗るようになりました。
乗る度に怒ると、どんどん登らなくなり、子供なりに理解してるんだなと関心しました。
どんどん歩けるようになり、自分で動きたいので買い物などで抱っこすると海老反り似なって怒って泣いていました、時には叩いてくることもあり1日中怒っていた時期はつらかったです。
【当時】
29歳・看護師(育児休暇中)




【強烈な思い出】
生後3か月まであと1週間という9月入ってすぐの時に、私の祖父母の自宅へ赤ちゃんを見せに母親と夫と訪ねた。
当然祖父母は抱っこをしたがるのだが、赤ちゃんが猛烈に泣き出した。
結局、在宅中は私か夫の腕の中で不機嫌そうに抱かれていて、祖父母には「これは癇の強い子だわ」と嫌みったらしく言われた。
祖父母はあまり繊細な気遣いのできる性格ではないため、もしも在宅中に授乳が必要になっても別室は用意してもらえないだろうと思っていたので、その前になんとかお暇したかったのだが、母と祖母の話が盛り上がりなかなか帰れなかった。
結局、我慢の限界になった赤ちゃんが泣きだして、みんながいる部屋で「授乳しな」と言われた。
母や祖母だけならともかく、異性である祖父もいるので、授乳ケープを使用して、地べたに座って仕方なく授乳していたら、「そんなところに座ってないで、椅子を使いな」と祖母が普段使っている微妙な高さの椅子を勧められてしまった。
普段から地べたで授乳していたため、逆に中途半端な椅子だと姿勢が取りづらく、いつもと違う環境に敏感で元々機嫌の悪かった赤ちゃんは上手く授乳できず不機嫌に泣き叫び、そんな暑いもんかぶせてるからだと、授乳ケープを取られてしまった。
そんな状況で私も落ち着いて授乳できないので、それを感じ取った赤ちゃんももちろん落ち着かず、結局まともに飲めないまま、とにかく帰ることにして、帰りの車内でようやく落ち着いて授乳ができた。
私も泣きたい気分だった。
あとから思えば、その日が赤ちゃんの人見知りの始まりだったが、まさか生後3か月で人見知りするなんて思わなかったため、とにかく機嫌が悪い日、または、私の気持ちが移って落ち着かない日だったのかと思っていた。
【当時】
29歳・専業主婦




【強烈な思い出】
病院につれて行った時、毎回とんでもなく泣きます。
そのため、とにかく病院にかからなくて済むように、体調管理にはかなり気を遣っています。
しかし、歩き出した頃に、転んで舌を切ってしまいました。
救急でかかったので、担当医は小児科医ではなく外科医の先生。
しかも若くて慣れてなさそうな先生でした。
子供が暴れるので
看護師二人と私で押さえつけて診察してもらい、とても大変でした。
結果は問題なかったのですが、帰宅後しばらくしてから、子供の首に赤いアザがたくさんできていたことに驚きました。
後で母に話すと、よくあることだと言われました。
【当時】
29歳・パート従業員




【強烈な思い出】
自分の親や、祖父母の元に連れていくと、みんなが穏やかな表情になることです。
残念ながら私自身は、あまり愛情を感じずに育ってきました。
私は長女で、下に妹や弟がおり、両親に愛されていると感じたことは正直ありませんし、祖父母も厳しい人たちだったので、可愛がられた記憶はありません。
しかし、そんな人たちが私の子どもに対して、これまで見たことのない穏やかで暖かい表情でいつも接してくれています。
そんな様子を見て、自分自身はその愛情を注がれることはなかったけど、子どもに注がれていることで長年の私の中のモヤモヤ不思議と解消されました。
【当時】
29歳・専業主婦




【強烈な思い出】
産後間もない夜間のことです。
当時、子どもは1時間おきに泣いて起きていました。
最初は「どうしたの?」と問えていたのが、だんだんと「何で泣くの?」「ママが何をしたの?」「わからないよ」と追い詰められていったことを覚えています。
泣き叫ぶ我が子のことが全く理解できず、大声で「泣かないでよ!」と言ったことがありました。
子どもはぴたりと泣き止み、私の顔をじっと見ました。
私の声に飛び起きた母が「少し休めば?」と子どもを抱っこしてくれました。
ですが、子どもはまた泣き出し、それもとびきり悲しそうに泣くのです。
その声を聞くと、とても休むことなどできず、母から赤ちゃんを奪い取るように抱っこしました。
すると、先ほどまで泣いていた我が子が泣き止んだのです。
私の顔をじっと見て、瞬きをして、あくびをしました。
母から「やっぱりママがいいよね」と言われ、そこでなぜか初めて「そうだ、私がママなんだ」と思いました。
怒鳴り声をあげたことを激しく後悔して、その日は一晩抱っこをして過ごしました。
【当時】
29歳・無職




【強烈な思い出】
赤ちゃんが生まれるまでは、出産がゴールみたいなところがあり、生まれてから赤ちゃん居て常にハッピーになるんだろうなと思ってたので、こんなに苦労するとは夢にも思っていませんでした。
子育て中の友達にも、子育てについてそんなに聞くことはなかったのですが、改めて生まれてから子育てしている友達と連絡したときに、寝かしつけの苦労や、泣き止まないときどうしてたとか、今の苦しい状況を話したときに、私もその時期は覚えてないくらい大変だった、大変なの分かると共感してくれたことは、自分の中では救われました。
それと同時に友達もこんなに苦労してたのかと知って、何でも経験してみないと具体的にどうしんどいかっていうのは、共感できないなと思いました。
【当時】
29歳・無職(出産後退職)




【強烈な思い出】
赤ちゃんを連れていると、周りの方も優しい声をかけて下さりありがたかったです。
しかし、乳児湿疹が顔に出てひどかった時期があり、スーパーなどにいくと、レジのおばさんが、「あら〜かわいそうね。
こうしたらいいよ。」
とアドバイスをくれるのですが、こちらも必死に治そうとしていますし、病院にもきちんと通院していたので、「かわいそうにね。」と言われるのがとても辛かったです。
当時は、育児に必死で疲れもたまっていたので、良かれと思って言ってくれた言葉も、反対の意味にとってしまったりしていました。
ささいなことなのですが、気持ちに余裕がなかったのだと思います。
【当時】
29歳頃・専業主婦




【強烈な思い出】
子供を連れていると周りの反応が目につきました。
気を使って親切にしてくれる人はエレベーターを譲ってくれてたり泣いている子供に「元気でいいねー。」と優しく声をかけてくれました。
またコロナもあり、関わりたいけど触らない様少し離れた距離で話しかけてくれる人も多かったです。
しかし、コロナのことも関係なく触ろうとしてくる方もいました。
子供は人見知りがなく話しかけてくれた人に笑い手を伸ばしてしまうので何度か手や足を触られてしまいました。
触ってくる人は「消毒しているから。」と言いますが、正直嫌で仕方がなかったです。
しかし善意しか感じられないため断るに断れず触られた後にこっそり拭いていました。
【当時】
20歳代後半・看護師(育児休暇中)




【強烈な思い出】
1歳2ヶ月の時、初めて自転車に乗せました。
自転車の前にシートを取り付けて、近所の河川敷に行きました。
その時初めて靴で外を歩かせました。
ヨタヨタぎこちない足取りながら、初めて自由に歩けるのが嬉しいみたいでずっと歩いていました。
アスファルトなので転んだら怪我すると思ってハラハラしました。
ヨタヨタの割に上手に歩くので転ぶ事はありませんでした。
どこまで歩くんだろう?と夫婦で手を出さずに見守っていました。
200メートルぐらいは歩いたかな?右に左に行きたい方に歩いて、草を触ってみたり地面を触ってみたり初めてのお散歩でした。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生後2ヶ月くらいの時、抱っこをしようとしたらバランスを崩して誤って布団の上に落としてしまったことがありました。
今まで聞いた事のないような大きな泣き声を聞いて、ひたすら泣きながら謝ったことを覚えています。
その後は特に泣いたり嘔吐したりすることもなく、食欲もありよく寝ていつも通り過ごせたので様子を見ていました。
幸い何事もなくてよかったですが、ちょうど育児や生活にも慣れが出てきていた頃なので、抱っこするにも片手で簡単にしていたことにものすごく反省しました。
それ以来は危険なことがないように気をつけています。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
この場合の赤ちゃんが何歳までかわからないのですが、2歳前くらいの時にはさみを買い与えたんですね。
はさみは紙を切るんだよって画用紙とかチョキチョキ切る練習したりして。
それからしばらくして、私が何かほかのことをやっているときに、子どもの姿が見えなくなって何してるんだろう??って思ってたら、「できた〜」と持ってきたのがビリビリに切られた「はははのはなし(かこさとし)」の本。
確かに、紙を切るものだから、本も紙なんだけど、でも本は切っちゃだめだよ〜〜〜〜って、それから1時間くらいかけて「これは切ってもいい、これは切ってはいけない、本は大事、切らないよ」って話を言って聞かせたことがあります。
「はははのはなし」はセロハンテープで補修してずっと家に置いてありましたが、先日引っ越した時に捨てました。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
なかなか寝てくれず、結構夜中にぐずられたので、布団やベッドにおろした瞬間の「ふぇぇーん!」という泣き声は未だに覚えています。
これは、私だけでなく、夫も私の母も経験しているので、「とにかくおろすと泣く子だったよね。」と皆で未だに話しています。
強烈な思い出といえば、どうしても寝てくれない日があって、夫と代わる代わる抱っこして部屋の中を歩いていたのですが、
結局最終的に夜が明けてしまい、朝日を一緒に見たことです。
今となっては笑い話ですが、当時は疲れきっていてとても笑えませんでした。
結局、子ども本人は昼間にスヤスヤ寝てました。
【当時】
30歳・主婦




【強烈な思い出】
平均よりも早く寝返りやお座り、ハイハイを習得した娘。
こんなにハイペースで成長してしまうんだ!と驚きました。
私も置いていかれないようにしなくては!と思いました。
人見知り期が過ぎてからはニコニコする表情が増え、会う人会う人を幸せな気分にしてくれていました。
はじめての場所に連れて行けば目をキョロキョロさせてキラキラわっとしてる表情が印象的で嬉しくなったのを覚えています。
それでもやっぱり今でも病院拒否は凄まじく、先生達には笑われて帰ってきます(笑)大変なことも多いけど笑い飛ばせることの方が多いのでなるべくポジティブにいることを心掛けています。
【当時】
30歳・会社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
ソファーによじ登り頭から落ちてしまった。
すぐに子供は大泣きしたが、初めてのこと初めての子供でびっくりした。
どうしたら良いのかわからなくなって、義理姉に相談をした。
頭は少し赤くはなっているが本人は吐いたりすることなくいつも通りなため様子見でも良いと思うと言われたことで、少し安心した。
洗濯機と洗面所の間に体をいれて抜けなくて大泣きしたこともあった。
お風呂に2人で入って出た後に、自分が着替えている隙に間に入ってしまった。
ひっぱって抜けたが焦った。
本人はそれ以降入ろうともしなかった。
怪我なくて安心した。
【当時】
30歳・保育士(育児時短勤務中)




【強烈な思い出】
一番最初にしっかり笑った時は感動しました。
実家で里帰り中に母が赤ちゃんをあやしていて鼻のあたりをツンツンしたらニコニコとしていて、母と2人で可愛いー!と騒ぎました。
たまたま動画もとっていたので、未だに見返しては癒されています。
不妊治療しているのをしった時に「子どもいなくて夫婦2人でも幸せだよ」と気を遣って言ってくれていましたが、やはり孫ができたのは嬉しかったようで里帰り中、娘を毎日可愛がってくれました。
はじめての育児で不安だらけでしたが母がいてくれたことによって精神的にも肉体的にもだいぶ助けられました。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
夫が発達障害の酒乱でストレス下ではキレやすく、私の妊娠後から家で大暴れするようになりました。
私の個人的な酒器のコレクションを叩き割られたり、建具を破壊したり、叫びながらW床を転げ回ったり。
赤ちゃんが生まれてからは身を守ることに限界を感じ、深夜に逃げ場が無いので警察を呼んだり、精神科で薬の強化をして貰ったり、市役所の方と話し合いをして貰ったり、いろいろな人を頼って対応してきました。
様々な人の介入によって、また子どもが成長するにつれて落ち着いては来ましたが、幾つかの恐怖体験は昨日のことのように思い起こされることがあります。
妊娠・退職の直後に離婚を考えなければならないような事態となり、当時は頭を抱えていました。
【当時】
30歳・主婦




【強烈な思い出】
夫の実家に行った時に、初めて実家で飼っているペットのゴールデンレトリーバーと対面した時に、人間以外の初めて会う生き物に、驚愕している姿は今でも忘れられません。
ペットの方も小さな赤ちゃんを近くで見るのも初めてだったらしく、警戒しながらもクンクンと匂いを嗅ぎながら近づいてくるので、娘もびっくりしてもちろん号泣です。
構わず興味津々だったので、お互いに刺激的な瞬間だったと思います。
同じ場所にいた私も夫家族もそれには笑うことしかできなかったです。
今では娘のほうからペットに思いっきり抱きついたり、ボール投げして遊んだりして大好きな友たちのようです。
初対面でトラウマになり犬が嫌いにならなくて本当に良かったです。
【当時】
30歳・事務職(育児休暇中)




【強烈な思い出】
よく男の子と間違えられた
ショックだったのは、スカートやピンクの服を着てても男の子と間違われたこと
けど、そんな男の子顔でもない…
他の思い出だと、旦那に2人兄がいて、上の兄夫婦にはとても懐いていて、よく笑顔を振りまいていたけど、下の兄夫婦は嫌いらしく、抱っこされるとめちゃくちゃ泣いていた
とても複雑だった
1番忘れられないのは、ちょっと目を離した間に、犬が娘の顔に引っかいて、深い傷がついたこと
今でも傷跡が残っていて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった
それでも普段は相変わらず仲良しな2人を見てるとホッとしてる
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
ソファに座って抱っこで夕寝中、勢いよくうんちをしてしまい、それも3日便秘のうんちで量もすごいことになってました。
それがすごい、勢いでオムツから漏れてしまい、子どもの服はもちろん、抱っこしていた私のズボンやトップス、その下のソファにまでうんちが垂れてしまい、大惨事になってしまいました。
しかも運悪く旦那がどうしても早く帰れない日でワンオペ状態。
とにかくソファの汚れを先に拭かないとと思って子どもをバスタオルの上に置いて、うんちまみれの自分のズボンとトップスを脱いで洗面台に放り、下着姿でソファを拭きあげてました(笑)
その後、そのままお風呂に子どもと入り、リビングで寝転がしてから風呂場に戻って子どもと私の服、子どもを置いたためにさらに汚れたバスタオルを手洗い…
帰宅した旦那に、思わず撮ったうんちまみれのズボンの写真を見せながら愚痴っちゃいました。
それからしばらくは、抱っこのたびに「うんちしないかな」とビクビクする日が続きました(笑)
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
コップ飲みの練習をしたほうが良いやストロー飲みの練習をしたほうが良いなどインスタグラムやユーチューブ、ネットを検索しまくっていろいろ試したり、マグを替えたり、飲み口を替えたり、とにかく良いとされる方法を片っ端から試していましたが、なかなかストロー飲みもコップ飲みも上達しませんでした。
いつもスタイ、服はベチョベチョになってしまい、飲み物練習の度に着替えさせていて、洗濯物も増えるし諦めていました。
哺乳瓶が飲みやすいらしく、毎度こぼさずに飲んでくれるので、1歳を超えるまでとにかくずっと哺乳瓶で飲み物を飲ませていました。
数ヶ月、練習もさせずこぼさずに飲める哺乳瓶での生活が続いていたある日、哺乳瓶のストックが切れていたので、仕方なくストローマグを渡すと、何故かしっかりとこぼさずに飲めていました。
さらに特に練習していなかったコップ飲みもチャレンジさせていると、ちゃんと飲めるように!これには家族全員驚いて、いつの間にかできているようになっているのは本当に衝撃でした。
【当時】
30歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生後8か月頃、離乳食のあんかけうどんを子供が叩き落としてしまい、激しく泣かれました。
うどんが足にかかってしまい、そんなに熱くはないはずでしたが、大泣きするので火傷をしてしまったと思い、急いで病院へ行きました。
ちょうど庭の手入れに業者さんが来る日でしたが、緊急事態のため別の日にしてくれるように言って急いで皮膚科に行きました。
いつもとても混んでいる病院でしたが、受付で伝えると、すぐに診察してもらうことが出来ました。
診察と薬をいただきましたが、皮膚は赤くもなっておらず、火傷はしていない様子でした。
子供になにかあったらどうしよう、傷が残ったらどうしようと気が動転していましたが、子供は驚いて泣いただけだったようです。
【当時】
30歳・会社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
6ヶ月頃の初めての発熱。
土曜日に37度くらいで様子を見ていたら、日曜夜に40度を超えてしまいました。
救急に行くべきかと思いましたが、授乳はできていたので翌朝まで待って病院に行きました。
突発性発疹の熱かもとのことで、重大なことでなくてよかったです。
その翌日には下がりました。
どんどん熱が上がった日曜の夜は本当に怖かったです。
熱性痙攣になる子もいると、知識は持っていたので、心構えはしていましたが、痙攣にはならずに済みました。
が、いつもと違う泣き方で、寒いのかブルブル震え、辛そうで見てるのが本当に辛かったです。
日曜で夫もいました。
二人していろいろ調べまくっていました。
#8000にも電話したのですが繋がらずでした。
そこだけでも繋がってくれれば、もう少し安心して夜を過ごせたかなと思います。
【当時】
30歳・育児休暇中