育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで男の子・ママ27歳〜28歳(29人)

育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで男の子・ママ27歳〜28歳(29人)


【強烈な思い出】
赤ちゃんを連れて初めて夫の実家に帰った時、義父母がとても喜んで息子を可愛がってくれたのがとてもいい思い出です。
実両親も息子が初孫で誕生をとても喜んで可愛がってくれたので、こんなにたくさんの人に可愛がってもらえてうちの息子は幸せ者だなあと思いました。
義理のお義父さんお義母さんに抱っこされた息子はとてもご機嫌で嬉しそうに笑っていました。
義両親にとっても初孫だったのでとても嬉しかったようです。
今でも毎年のように帰省していますが帰る度にとても喜んでくれてあれこれ食べ物をたくさん用意してくれたりして歓迎してくれています。
【当時】
27歳・育休中




【強烈な思い出】
はじめての予防接種は忘れられなくて、はじめて見た表情をしてました。
旦那と一緒に予防接種に行って、注射打たれるまで全く何されるか分かってなかったのですが、打たれた時に、びえーんって今まで聞いたことのない音量と泣き方をして、母親である自分まで泣きたい気持ちになったのを覚えています。
打ち終わった後はケロッとしてたのですが、その時は旦那と2人で大丈夫やでーって言いながら宥めてたのを覚えています。
連続して2回目を打つ時は、泣き止んで先生の顔を涙溜めながら見てて、先生もそんな見られたら打ちづらいわぁ笑。
って言うてたのを覚えてます。

【当時】
27歳・専業主婦




【強烈な思い出】
2、3ヶ月を過ぎた頃から人を認識するようになりました。
パパが抱っこしていても泣いたり私がお風呂に入るとすぐに泣いて、私に抱っこを変わるとニヤッと笑ったり急いでお風呂から上がると泣き止んでいることが増えました。
眠くなると母乳を飲みながら寝たいようで甘え泣きし飲ませるとすぐにうとうとと寝てしまう姿が可愛いです。
またまだまだ話すことはできませんが大泣きした時にイヤイヤイヤ、マーママーマといったようなママに似た言葉を話すとママと呼ばれたような気がしてキュンとします、赤ちゃんはやっぱりママが1番大好きなんだなぁと実感します。
【当時】
27歳・専業主婦




【強烈な思い出】
主人と浮気相手を、5ヶ月の子どもをおんぶして朝5時に尾行したこと。
主人のラインをみて朝の地下鉄のホームで、待ち合わせをして一緒に出勤する約束していること知っていたので証拠を掴むために尾行しました。
泣かないでと願いながら必死にバレないように、人生で初めて尾行しました。
ですが、帰りに号泣しながら帰ってる最中に知らない人に子育て辛いの?とたくさん声をかけられました。
当時住んでいたのが東京でしたが、都会の人はとても優しいなと感動しました。
その時に声をかけてくれたおばちゃんとは、今も年賀状ですが交流があります。
【当時】
27歳・公務員 小学校教諭




【強烈な思い出】
人見知りが激しく、私たち夫婦以外に抱かれるのを極端に嫌がってました、両家の親も、顔を覚えて貰えるまで時間がかかってしまい、抱くと泣いて嫌がっていました、親は初孫だったこともあり、少し複雑だと言っていました、もちろん友人もそうです、嬉しい反面、早く人見知りの性格をなんとかしたいと思っていました、ずっと抱っこしているのは、やはり疲れますし、抱っこ紐を使っていたとしても、疲れはきます、誰かに頼みたい、少しだけ解放されたいという気持ちが、多少なりともありました、なので親には頻繁に会わせるようにし、顔を覚えさせていました
【当時】
27歳・会社員




【強烈な思い出】
寝かしつけですね。
夜の8時が毎日辛くて。
8時が近づいてくると憂鬱になっていました。
トントン赤ちゃんという歌を毎日歌っていました。
【赤ちゃん】という歌詞を我が子の名前にあてはめて歌っていたのを覚えています。
夫も一緒に散歩に行ってくれてた時は団地の周りを何周もして寝たと思ったら家に帰って、置いたらまた起きてまた散歩に行くこともしょっちゅうでした。
おっぱいで寝てくれなかったので本当にきつかったです。
私一人だったらと思うとゾッとします。
置いて起きたときは私も夫も「げ?!」という感じでけどちょっとおもしろくてまた外に行っていました。
【当時】
27歳・経理事務(育児休暇中)




【強烈な思い出】
人を認識し出した頃
パパ、ママの区別がつき出して
笑ったり声出したりする姿は
感動以上の感動で忘れられません。
初めてこの子を産んでよかったと
こころから思った瞬間でした。
孫ができたことにより
母親や主人の親ともよく会うようになり
孫の力って本当にあるんだなと思いました。
外に出ればニコニコしていたので
知らない人でも笑顔ではなしかけてくれたり
赤ちゃんってすごいなと思った。
初めて熱を出した時は
全然こっちが眠れず生きてるか、
息してるか、大丈夫なのかと
心配だらけで親になるとこんなにも
変わるんだと実感した。
主人も優しくなった。
【当時】
27歳・歯科助手(育児休暇中)




【強烈な思い出】
生後3ヶ月頃に首が座ったのかを確認ふるためにうつぶせで顔をあげる練習をしていた時にミルクを飲んだすぐだったためか、マーライオンのようにミルクを吐き出してしまった時があった。
本人もびっくりして顔を真っ赤にして号泣。
私も初めての事でびっくりしてしまい泣いてしまった。
どうしたら良いか分からなかったため救急相談に電話して症状と状態を確認してもらった。
とりあえず様子見との事でその日は怖くてなかなか寝付けず、落ち着くまでに時間がかかった。
その夜は特に何も異変はなく、母乳も普通に飲みゲップをなるべく長くさせるようにして消化するまでしばらく抱っこして過ごしていたりした。
そのまま元気で大きくなったけど私は心配で寝付けず抱っこしすぎて腕はボロボロだった。
【当時】
27歳・専業主婦




【強烈な思い出】
初めて寝返りした時は成長を感じられて嬉しかったです。
今まで寝ているだけだった子が、自分の力で動いていることに感動しました。
パパが家にいる時に寝返りをしてくれて、パパも感動していました。
ここまで頑張ってきたことが報われたような気持ちになりました。
子どもも得意げになっていて、何度も寝返りをしていむした。
褒められているのはわかるようで、嬉しそうな表情をしていたのが印象的です。
両家に報告すると、どちらも喜んでくれて、周りの人と一緒に子育てをしているという気持ちになりました。
孤独じゃないのだと思えました。
【当時】
27歳・専業主婦




【強烈な思い出】
歯が生えてきて乳首を噛まれた事が1番強烈でした(笑)噛まれるなんて思ってなかったですし、なにより「痛い!」と私が叫ぶと赤ちゃんが笑うので、可愛いけど憎たらしいなんとも言えない感情になりました。
ミルク拒否の時期だったので何とか噛まれないように色々工夫したりしましたがどうしても噛まれてしまい、泣きながら授乳しました。
何とか哺乳瓶とミルクを変えることで授乳しなくても良くなったので一安心でしたが、あの時は本当に乳首噛みちぎられると思って怖かったです。
赤ちゃんは悪くないしどこにもぶつけられない辛さがありました。
【当時】
27歳・会社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
ショッピングモールのオムツ替えシートでオムツを替えていたら、赤ちゃんが落ちてしまった事です。
まだお座りができず、オムツ替えシートに赤ちゃんを乗せて私もトイレに入っていたのです。
(個室のトイレで、赤ちゃんと同じ空間でトイレができるところ)大きなたんこぶができてしまい、パニックになり、すぐに外科を受診しました。
後遺症も何もなく済みましたが、すごく反省しました。
その経験をしてから、外出先のオムツ替えは絶対に目を離さず、気を張りました。
そのうち赤ちゃんがお座りできるようになり、赤ちゃんと一緒に入れるトイレ(赤ちゃんが座る場所があるトイレ)で私もやっと落ち着いて外出先のトイレに入れました。
【当時】
27歳・専業主婦




【強烈な思い出】
1才になったころ、引き出しを下から数段ずつ引き出し、階段を自分で作り、上まで登ってしまいました。
私が気が付いたときには箪笥の上にあったガラスのキャンドルホルダーをつかんで、上から落ちる瞬間でした。
間に合わず、子供は床に落ち、キャンドルホルダーは割れ、頭にガラスがささり、落ちた時に?んだのか、口の中を切ってしまい、起き上がった子供は頭と口から血を流して、ポカーンとしていました。
旦那は出張中の夜で、私は震えながらタクシーを呼び、救急外来に行ったのが一番強烈な思い出です。
頭は2針縫うケガでした。
まさか、階段を作るなんてそんなことが思いつくとは想像もしていなかったです。
急激に知能が発達する時期なんだ思いました。
【当時】
27歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生後3週間ごろ、夜に全く寝なくてラジオを聴いていたが、その時にたまたまやっていたのが星野源のオールナイトニッポンだった。
その時に流れていたFriendshipという曲が頭から離れずになんかグッーと来るものがあり、少し心が軽くなった。
いつもはラジオなんか聞かないのに、そのときたまたま流れていた曲が、自分の気持ちを代弁してくれているような感じがして深く印象に残っている。
それを聴いたからといって子供が寝るようになったわけではないが、精神的に少し落ち着くことができたので、今でも忘れられない曲になっている。
【当時】
27歳・専業主婦




【強烈な思い出】
寝返るするのが8ヶ月と遅く、できるようになるまで夫や両親が心配していました。
赤ちゃんがいる上の方におもちゃを置いて、気を引かせて寝返りさせようとしてみたり、
赤ちゃんが横に向いて寝ているときに手助けして、ごろんと寝転がしてみたり、寝返りの練習をさせるのですが、なかなか自分からはやってくれませんでした。
自分で寝返りができないため、退屈だったのか、良く泣いて抱っこをせがまれてました。
抱っこしてへやの中を歩き回ったりしてました。
私はいつかできるようになるだろうと、気長に待っていましたが、
周りの方が心配してました。
【当時】
27歳・会社員




【強烈な思い出】
本当に本当に眠れなかったので
義母さんにヘルプをだして見てもらう機会がありましたが、話で聞いている以上に本当に寝ないのでどっからこの子の体力がくるの?とびっくりしていましたが、わたしはここぞとばかりになることに徹してゆっくりさせていただきました。
また、わたしを少しでも休ませようと夫に全部丸投げして動かない日を作ることも多々ありましたが、武器である母乳も出ない夫が弱音をはかずあやし続けていて諦めない姿勢に感心したことを覚えています。
でもとにかく本当に寝なかったので体力を維持するのが大変で同じ月齢のママたちが5時間しか寝ないと言っていたのが羨ましくてしかたなかったです。
【当時】
27歳・専業主婦




【強烈な思い出】
子どもの髪の毛が伸びてきて耳が痒そうだったので、髪の毛を切ってあげたくて、私の父が切ってくれました。
ハサミで切ると動くと危ないのでバリカンを使って切ってくれたのですが、かなり大きい音がしてその音がとても怖かったみたいで大泣き!10分ぐらいのことだったのですが、ずっと顔をくしゃくしゃにして泣いておりました。
そのことがトラウマになってしまったみたいで、それから父の顔を見ると大泣きするようになってしまいました。
泣いてる子供を見て、最初は父も笑っていたのですが、毎回泣くのでちょっとかわいそうになりました笑
【当時】
27歳・会社員 育児休暇中




【強烈な思い出】
町内を回る循環バスに乗っていたら、勝手に触ってくるおばあちゃんがいたり、抱っこ紐で寝ているのに顔をぐいっと動かして見ようとするご老人には嫌な思いをさせられました。
トイレから出たとたんに手も洗わずにかおや口元をベタベタ触る人もいました。
せめて一言声をかけてくるべきだと思いました!
そういうご老人ってこっちが嫌がったり一歩下って守ろうとしたら、こちらが悪いことをしているかのように大きな声で文句を言ってくる人が多かったです。
赤ちゃんが驚いて泣いても、ちゃんとしつけてないとか言われたりもしました。
赤ちゃんは泣くのがお仕事なのに。
勝手に触ってごめんなさいねと触り終わってから手を拭く人…順番おかしくないですか?と言ってやりたかったです。
【当時】
27歳・主婦




【強烈な思い出】
夜、抱っこをしてもオムツを替えてもおっぱいをあげても泣き止まないことがあり、声が大きくて近所の人の迷惑になると思い、夫と夜のドライブに出かけたこと。
車に乗ると寝ることが多かったので、2時間くらい夜中にドライブをした。
私も夫もかなりヘトヘトになった。
また、離乳食を始めて固形物が食べれるようになった時、バナナをのどに詰まらせてしまったことがあった。
子供の動きが止まりどうしたのかと思ったら詰まっていて、すごく焦った。
自分で咳をしてバナナが出てきたのでほっとしたが、それ以降より食事に気を付けるようになった。
何でも口に入れてしまうので、誤飲しないように気を使っていた。
育児が辛くてかわいいと思えない時もあったが、10ヶ月くらいからものすごく可愛いと感じるようになり、その感情に自分でほっとしたことを覚えている。
【当時】
28歳・専業主婦




【強烈な思い出】
オムツでうんちを変えている時にオナラと共にたくさんのうんちが出てきたときのことを忘れられないです。
念のため引いたオムツシートも虚しく、しかもオナラとともになので、ちょっと飛び散りながらうんちが出ました。
当然子どもは全身着替え直しです。
そしてわたしも飛び散ったうんちが着いてしまったのできがえることになりました。
うんち一つでみんなが着替えることになり、洗濯の予洗いが大変でした。
その時の子どもはすっきりしたよ!とでも言いたげな、爽やかすぎる顔をしてました。
子どもが元気なので、すべて、結果オーライになりますよね。
【当時】
28歳・看護師




【強烈な思い出】
私の実父を見ると泣いたことですかね。
こわもての男性を見るととにかく泣きます。
普段はにっこりしていてかわいいのですが。
あと、背の高い男性見ると泣きますね。
なんか笑っちゃいました。
当時は。
今では平気なんですけれど。
子どもっておもしろいですね。
私の祖母を見ると、嬉しそうにしていました。
祖母も小さい子が大好きなので、よくお互いにっこり笑いあっていました。
癒されますね。
祖母は亡くなってしまいましたが、子どもは「おばあちゃんに可愛がってもらった」と覚えているようです。
子どもはたくさんの人に愛されて育つのが大事ですね。
【当時】
28歳・製造業の正社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
1歳の頃から保育園に通っているのですが、離乳食が進まなかった息子に、保育士さんもかなり手をかけてくれました。
愛情を込めて接してくれているのは重々理解し、信頼もしているのですが、ある期間連絡帳には「今日も食べられませんでした」というような文が目立つようになりました。
給食以外にもたくさん活動はあるだろうに、できるようになったこともたくさんあるだろうに、と母のメンタルはボロボロに悲しくなってしまうということがありました。
このことは、離乳食で悩んでいた私にとってかなり強烈な思い出として残っています。
保育士さんとはいい関係で、協力して育児をしたいと思っていたので、勇気を出して園長先生に相談しました。
私の気持ちに寄り添い、サポートしてくださったおかげで、それ以降は息子の楽しんでいる様子も連絡帳を通して知ることができるようになり、勇気を出して助けを求めてよかったなと感じました。
【当時】
28歳・営業職(育児休暇中)




【強烈な思い出】
生後1ヶ月の時に血便が出たことです。
今思い出しても怖かったなと強烈に印象に残っています。
うんちが出ていたのでいつも通りおむつを替えると、赤い血が混じっていました。
予想もしていなかった状況に固まってしまったのですが、とりあえず冷静になり写真を撮りおむつを丸めて袋に入れました。
病院へ持っていくためです。
その後少し様子を見ましたが変わらず、主人に相談したところ、主人の勤務先の園長先生と看護師の方が「腸重積」の疑いがあるから早く病院へと電話をくれました。
相談できる人がいて良かったと思うのと同時に、不安が押し寄せてきました。
病院も紹介してもらい、子育てタクシーを呼び、産後初めて赤ちゃんとの2人での外出になりました。
2人で外出は初めてで不安だったし、低体重児で小さかったため抱っこ紐も付けられず(使用基準の体重になっていなかったため)、母子手帳とお財布スマホを持って飛び出しました。
すぐ近くに頼る人がおらず不安でした。
病院で調べた結果、腸重積ではなく、様子見となり特に問題ありませんでした。
本当に不安で強烈に印象に残っている出来事です。
【当時】
28歳・育児休業中




【強烈な思い出】
思い出と言えば主人のモラハラだと思います。
毎日の様に俺は仕事してる。
お前は休暇中。
と言われ続け夜中は起きてくれたことなど一度もありません。
精神的に病んでしまい実家の母に相談しましたが、主人が仕事をしてるから休めてるんだから当たり前と全く愚痴も聞いてくれなかったことです。
義理の祖母からも毎日のように家に訪問され、気が休まる時がありませんでした。
母乳をあげているとおっぱいの出具合を見せなさい!と言われて、授乳姿を見せられとても恥ずかしい思いをしました。
本当に辛かったです。
毎日が辛くて育児嫌だなと思うこともありました。
【当時】
28歳・医師事務作業補助者(育児休暇中)




【強烈な思い出】
息子は日本に住んでいる時に出産。
旦那が白人なので、ハーフ。
息子は白人に近い顔立ちで生まれてきたっこともあって、日本にいる間中、「外人の子!かわいい」「ハーフ」と言われ続けました。
嫌がらせとかではなく、純粋に可愛い!と言ってくれているのですが、公園に連れて行けば「ハーフだから友達になりたい」と言われたり、普通に歩いているだけで、写真を撮らせてください。
とか、年配の方々からお金をもらったり、お菓子、食べ物をいただくことも頻繁に。
その度に、この子は日本では外人であって、普通の子供扱いはされないんだ。
ということもあり、旦那の日本での仕事も更新をせずにアメリカに戻ってきました。
私としては特別扱いをしてもらいたくなかったのですが、見た目が白人っぽいので仕方ないこっとなんでしょうね。
でもアメリカに戻ってからはそういうことはなくなったので、普通に生活ができて良かったと思っています。
【当時】
28歳・主婦




【強烈な思い出】
生まれてから毎日のように泣いてばかりで何で泣いてるのか途中でわからなくなったりずっと抱っこしていないと下ろした瞬間大泣きで大変だったのですが、3ヶ月くらいしたら声をかけたり顔を近づけたりするとニコッと笑うようになりました。
その頃から機嫌がいい日が増えてきて自分も少し気持ちにゆとりができていたので子どもが好きそうな歌を毎日歌ってあげていました。
そしたら日に日に笑顔のが増えていき、ケラケラ声を出して笑ってくれるようになってからは育児が楽しくてたくさん遊んであげようと言う気持ちになりました。
一日中話しかけてたなと懐かしい思い出です。
【当時】
28歳・専業主婦




【強烈な思い出】
つかまり立ちが上手になった頃、お風呂に入ろうと息子を先に裸にさせて浴室に立たせたのですが、私が服を脱いでいる隙にうんちをしてしまっていました。
はじめて立ってうんちをして、自分のうんちを見たので驚いて怖かったのかすごい大泣きしていて、私は大爆笑でした。
うんちを取り除いて入浴しました。
その数日後、私がシャンプーしている間、子供が床で遊んでいたのですが、私が頭を洗い終わって子供を見るとうんちをしていて、うんちをみてまた大号泣していました。
その時は床が濡れていた上に子供がうんちを踏んでいたのでうんちが広がって大変でした…。
【当時】
28歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生まれたときから先天性の物があったので1歳を過ぎてから手術をしたことです。
命に関わるものではなかったですが、全身麻酔をしての手術で5時間くらいかかったのでとても心配でした。
手術を終えて帰ってきた時の息子が痛々しくて見てられなかったです。
子供の記憶に残らないうちに手術をできたことは良かったと思います。
術後は先生に見てもらう時に子供はかなり警戒していて嫌なことをする人っていうのが分かっているんだなと感じました。
今でも病院に行って診察してもらう時に泣いてしまうのでこの病院来たら嫌なことがあるという記憶は残っているんだなと思いました。
【当時】
28歳・専業主婦




【強烈な思い出】
子供が8か月の頃に仕事に復帰して、初めて夫が出張でいなかった日の夜です。
緊張する寝かしつけは案外すんなりと終わって、23時頃に寝ようとしたところ、夜泣きが始まり、結局朝までずっと抱っこしていました。
腕がもたないので、エルゴをして朦朧としながら抱っこしてゆらゆらしていたことを覚えています。
夫がいないと、本当に1人でやらなくてはいけないので、とても孤独で長い夜でした。
そのまま朝から仕事だったので、保育園に子供を預けましたが、預けたときは解放された気がしてとても嬉しかったことを覚えています。
保育園にはいつも助けられています。
【当時】
28歳・会社員(育児休暇中)




【強烈な思い出】
小さく産まれてしまったことで、2か月の入院をしているとき、毎日病院に顔を見に行くと、日に日に大きくなって私にもちゃんと反応してくれるのはとてもうれしかったです。
日々不安の毎日でしたが看護師さんや、同じく入院している子のお母さんたちに接していると明るい気持ちに前向きになれました。
先のことをいくら考えても仕方がないので、今の赤ちゃんの成長を喜んで、楽しく子育てしてがんばろうと思えました。
無事に退院でき、普通の子と同じようにこれから子育てしていける時には不安よりも希望のほうが大きかったように思います。
【当時】
28歳・専業主婦