育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで女の子・ママ31歳以上(31人)

育児体験談一覧【強烈な思い出】初めての赤ちゃんで女の子・ママ31歳以上(31人)


【強烈な思い出】
初めて大人のお風呂上がったときに受け渡しの際に頭をゴツンとしたり、床に寝かし付けるときに頭をゴツンとしてしまうことが何回かあったのに泣かなかったが涙が出ないくらい痛かったのかなと思うと申し訳なくなった。
離乳食を食べされるのにたくさんフーフーしてるのに、赤ちゃんにとってはすごい熱かったみたいで、全身で熱さを表現されたときに、本当にごめんね( ;∀;)ってなるのにそれを何度も繰り返してしまうほど余計がない自分がイヤになる時があるので、何に対しても広い心で余裕のある日常が送れるように赤ちゃんと共に成長していきたいです
【当時】
31歳・主婦




【強烈な思い出】
シェフミッキーという食事中にミッキーが近くに来てくれるお店へ初めて行った時、他の子が普通にミッキーやミニー達が来て喜んでいる中、うちの子だけぎゃん泣きでした。
ミッキー達はあやしたりしてくれてさすがの対応でした。
2回目に行った時は落ち着いてくれて、まともに写真をとることができましたが、今思うとあまりキャラクターも知らず着ぐるみは不気味だったんだろうなぁと思います。
3歳の今だったらもっと喜んでくれるだろうに、コロナでソーシャルディスタンスになってしまいました。
早くに行っておいてよかったと思う反面、近くに来てもらえないのがとても悲しいです。
【当時】
31歳・専業主婦




【強烈な思い出】
赤ちゃんがうんちをしたおむつを、燃えるゴミ袋に捨てていたら、いつも大量のハエが発生していたので、そのハエを見るのがとても怖かったです。
赤ちゃんは、とにかく毎日何回もうんちをするので、温かい時期には、ゴミ置き場に大量のハエが発生して大変でした。
1回でも、ゴミを出さなかったら、さらに大量のハエが発生して、ベランダのゴミ置き場のハエが、室内にどんどん侵入してきていたので、ハエ退治をしないといけなくなりました。
ハエが、赤ちゃんにくっつくと、不潔なので、いつもハエを追いかけていた記憶があります。
赤ちゃんも、ハエを必死で退治しているママやパパの姿を不思議そうに眺めていました。
赤ちゃんは、免疫力が弱いので、ハエでも、触れさせないようにと気を付けないといけません。
【当時】
31歳・主婦




【強烈な思い出】
やっぱりバスなどの移動は迷惑がられます。
運転手さんは凄く親切だったのですが、周りの目は冷たかった。
田舎に住んでいたので皆自家用車をもちバスなんかで移動する
ママはほとんどいません。
都会育ちで免許を持っていなかったので普通にバスにのっていたのですがベビーカーは場所も取りますし乗るときに時間もかかり、運転手さんも
いちいちベビーカーを固定してくれるので時間がかかり年配のおじいさんから「タクシーで出かけろ」といわれてしました。
自分ももし急いでいるときに子供がいなかった
若いときに同じ状況ならば心の中でそう思ったかもしれないと思うし迷惑かけたなとも思います。
その後はタクシーを使うようになりました
【当時】
31歳・主婦




【強烈な思い出】
外食時に小あがりの部屋に椅子とテーブルがある席へ案内され
椅子の背もたれ部分が結構な隙間があった
子供もまだ首すわり前で仰向けに寝かせなければならなかったので
一応、落ちないようにと注意はしていたものの私も主人もスマホを見ながら会話をしていた
どのように落ちたのかは分からないがゴトっと音がして子供が大泣きしていた
私も主人も一瞬状況が呑み込めず頭が真っ白になったが、すぐに抱き上げたらすぐに泣き止んでくれた
とりあえず何か症状が出るまで少し様子を見る事にしたが
幸いにも何もなくいつも通り元気に過ごしていたので安心した
不注意からの親としての自覚のなさに改めて気づかされた
【当時】
31歳・専業主婦




【強烈な思い出】
9か月の頃、大きな手術をしたことです。
手術の前日から一緒に入院していましたが、やはり普段と何かが違うことには本人も気づいており、夜中に何度も「マンマ」とこちらへ呼びかけていたことがとても印象的です。
手術後は麻酔が切れた後の痛みや点滴も大変だっただろうに、小さな体で毎日懸命に生きている我が子を見るとこちらが涙しそうになるタイミングが沢山ありました。
退院後はやはりこの経験があったからかお医者さんが大の苦手な子供になってしまい、その後予防注射の時などでも先生の姿が見えただけで大泣きするようになりそれはそれで大変でした。
【当時】
31歳・育児休暇中




【強烈な思い出】
1歳ごろですが、みぃつけたというNHKのテレビ番組を見せたところ、今までにないものすごいハイテンションでうきゃー!!と喜んでいました。
初めてみたのでテンションが上がったのか?何がそんなに興奮したんだろう・・・と不思議なくらいでした。
今まではあまり動きのない子で言葉もあまり発さない子だったのですが、このころからリアクションが多くなっていった感じです。
一人っ子だし、あまり行動も積極的ではなかったのですが、幼稚園の教室に行ったりした時も、なぜか同い年の子を手助けしたりお姉さんやお母さん的な立場で接していて面白かったです。
【当時】
32歳・専業主婦




【強烈な思い出】
赤ちゃんを産むまで、私自身、自分の時間がなくなったりすることがとても嫌で、子供はいらないかもなと思っていたのですが、実際に子供を授かって産んでみると、自分の時間なんか全くなくても、子供が可愛すぎて全然気にならない自分にびっくりしました。
子育てしながら働きたいとも思っていましたが、現在も専業主婦を続けています。
こんなにも子育てに没頭する自分がいることに大変驚きました。
毎日成長する我が子には、毎日驚かされますし、成長する我が子に寂しさも覚えます。
そして、この子のおかげで、自分自身の家族とも距離が近くなり、特に父とはあまり仲良くなかったのですが、とても仲良くなり、全く帰っていなかった実家にも年に2回は必ず帰るようになりました。
【当時】
32歳・専業主婦




【強烈な思い出】
産後、きっと産後鬱の影響もあって、実母に強く当たってしまったこと。
今まで実家は大好きな場所だったのにも関わらず、とても居心地が悪く、1日でも早く里帰りを終えたいと思っていた。
原因としては、母が過剰な心配性で、コロナ禍ということもあり、出張で来てくれるるマタニティーフォトに反対されたこと。
また唯一あかちゃんから離れられるお風呂の時間でさえも、泣き止まないと言ってお風呂場までこられたこと。
もっと育児経験者としてどんと構えてほしいと思ってしまい、強烈に母を恨んでしまった。
今となっては、なぜそこまで苛ついてしまったのかと思うが、産前産後の恨みは一生ものな気がする。
振り返ってみても自分の感じ方が間違っていたとは思えない。

【当時】
32歳・会社員(育児休業中)




【強烈な思い出】
パソコンを壊されてしまったことです。
開きっぱなしでテーブルの上に置いておいたら手でバキッと折られてしまいました。
給付金を頂いていたのでそこからの支払いに使いました。
修理代が5万円だったので給付金を使ってしまいました。
給付金は取っておこうっと思っていましたが、まさかの使い方で、もったいなかったと思いました。
また、真夏にリビングのクーラーが突然効かなくなってしまい、寝室で過ごしていました。
そして、寝室で食事を食べたりしていました。
料理も暑くて作れなかったので、大変でした。
またソファーで寝かしていたらお尻が傷だらけになってしまいました。
薬を塗って治りましたが、触れていないのに傷だらけになってしまって驚きました。
【当時】
32歳・フリーランス




【強烈な思い出】
トマトを初めて食べたときに、酸っぱさで身震いしながら後ろにのけぞってしまった。
でもその後はまってトマト大好きになった。
家族みんなに送って家族も大爆笑で何回も動画を見たと言ってしばらくはその話で持ちきりになった。
うんちするときに踏ん張る顔が独特で可愛い。
うんちしたら顔真っ赤にして力入ってるからすぐ分かる。
分かりやすいからすぐオムツを替えてあげられるから助かる。
車でうんちが大量に漏れたことがあって慌てふためいたことは忘れられない。
遠出してる時で、しかもレンタカー。
コンビニで気付いてうんちの量もすごいからどうやって車を汚さずにオムツを替えようか悩んで汗をかきながらオムツを替えた。
【当時】
32歳・専業主婦




【強烈な思い出】
育児中は、一緒に主人のお店に出て働いていました。
一緒に子供もゲートに入れて仕事をしていましたが、皆が可愛いと言ってくれて私も精神的に安定してきました。
私は一人で抱えていたのですが、ずっと引きこもっていたのですが外に出てみるとお客様が可愛がってくれていて本当にありがたいと思いました。
色んなお客様が見えるのですが、年配の育児が落ち着いた方が可愛がってくれます。
新生児の時にうんちをしていましたが、退院してすぐの時に動き回ってしまい布団がうんちまみれになってしまったことが衝撃的でした。
私も睡眠不足だったので、見なかったことが母親としてダメだったなと思いました。
自分を大事にしながらも育児に奮闘していきたいです。
【当時】
32歳・フリーランス




【強烈な思い出】
義母が無理やり子供を抱っこしようとして、子供がギャン泣きしたのを私のせいにしてきたことです。
人見知りは多少する赤ちゃんなので誰でも抱っこしてニコニコとはいかないのですが、他の人が抱っこしたりしたときはソフトに抱っこしたり、寝ていると抱っこするのも悪いからと遠慮したりして無理に抱っこされることもないので泣かないのです。
安らかにいた赤ちゃんを抱っこしたい欲に駆られただけの人が強引に抱っこしてしまったので泣いたというだけなのに、人見知りに育てたからだと言い募るのは心外でした。
周囲にいた義父もそんな風に言うことないじゃないかと言って義母を嗜めましたが、しばらく治らず怒り続け、周りにいた夫や私の母の様子を見てかやっと気を取り直して自分は悪くないしと悪びれもせず振る舞い始め、本当に嫌な思いをしました。
【当時】
33歳・専業主婦




【強烈な思い出】
赤ちゃんはあまり関係ないのですが、最初におっぱいマッサージに来てくれた保健師さんです。
おっぱいマッサージは至近距離でやるのに、その方はとてもタバコくさく、産後で嗅覚が過敏になっていた私にはその臭いがとてもつらかったです。
あとから電話して、次に来る保健師さんを替えてもらいました。
次に来たのは私の母ほどのベテラン保健師さんでしたが、
「おっぱいをあげてるときくらい、お母さんはゆっくり休んでね。
本とかには【赤ちゃんの顔を見て授乳しましょう】とか書いてあるけど、テレビでもみてのんびりしてればいいのよ。」

と言ってくれて、とても心が軽くなったことを覚えています。
【当時】
33歳・専業主婦




【強烈な思い出】
なんでも手作りしたものを子どもに食べさせるのが良いと思っていました。
なので、おやつのボーロもレシピを見ながら手作りしていました。
正直、大人が食べてもまずかったです。
しかし、子供が友人からボーロを一袋もらい、初めて一緒に食べた時にまず味にびっくりして、満面の笑みになったのが衝撃的でした。
市販のボーロは美味しいですよね。
友達と同じ小分け袋から一つずつ取り出して一緒に食べる経験もとても嬉しかったようです。
それ以来、しばらくボーロにハマっていました。
なんでも手作りが良いと思っているのは良くないな〜と思いました。
【当時】
33歳・専業主婦




【強烈な思い出】
良く泣く子で私から離れることも出来ない子だったのですが、アンパンマンがとにかく大好きな子どもでした。
TVアニメには興味を持たず、残念ながらTVをつけても見てくれませんでしたが(TVを見てる間に家事が出来る!?と淡い期待は崩れました)アンパンマンのキャラクターが大好きでした。
ある日、アンパンマンが児童館にやってくる!というので、朝早くからチケットをとるのに並び、めでたくGET!仲のいいお友達と一緒に参加したのですが、アンパンマンが来た時の我が子の興奮っぷりにびっくり!ママから離れられない子のはずがステージ上まで走っていき、一緒に元気いっぱい踊る姿にママ友もびっくりしていました。
【当時】
33歳・無職




【強烈な思い出】
旦那の弟夫婦の子供も同い年で、その子はうちの子供と違ってあまり寝ない子でした。
テレビ電話で、弟夫婦と、旦那の家族で話していた時に、そのことがわかってうちの子は比較的寝たらそのあとずっと寝ることが多かったこともあり、旦那の親、私の親などに基本手がかからなくていいとよく言われましたが、当時はその事が育児をしなくてよいねと言われている気がしてすごく傷ついたと同時に申し訳ないですが苛立ちを覚えました。
手がかかるとかかからないとかそういうことではなくて、育児は大変なのにと思ってしまいました。
今思えばいい思い出です。
【当時】
33歳・コールセンター(育児休暇中)




【強烈な思い出】
1つは里帰り中、母と大喧嘩をしたことです。
子どものとある仕草が気になり調べた結果、何か病気があるのではないかという考えに至り、母に相談したところ「気のせいじゃない?」という返答。
眠れていないこともあってわたし自身ピリピリしていましたが、その無責任な返答に腹が立ち「そんな無責任なこと言わないで!何かあったらお母さんのせいだから!」などとわけのわからないことを泣きながら叫んでいました。
(笑)
このことは今でも母と笑い話になりますが、よほどピリピリしていたんだな〜と、当時の自分に「お疲れさま」と声をかけたくなります。
【当時】
33歳・教室講師




【強烈な思い出】
娘が歩けるようになって、二人で散歩しているとき、わたしが娘の腕を強く引っ張ってしまったことが原因で、腕が脱臼してしまったことがあった。
脱臼したときは気づかず、家に帰ってきて腕を動かしていないことに気づき焦って夫に電話した。
夫もあわてて小児科に電話してくれて、聞いたらおそらく脱臼しているから今すぐこちらに来てほしいとのことだった。
よくあることだと看護師さんは言っていたが、びっくりして急いで車で病院へ向かった。
幸い診てもらってすぐに治ったが、本当に動揺した出来事だった。
赤ちゃんはやはりまだ言葉では言えないからちゃんと様子を見てあげること、そして、歩けるようになったからといって
ベビーカーなしで散歩することはやめようと反省しました。
(まだ一歳になったばかりだった)
【当時】
33歳・専業主婦




【強烈な思い出】
赤ちゃん育児中の、忘れられない強烈な思い出は、何と言っても生後3か月以降あんなに夜寝ることがなく抱っこしてあやして寝てくれたなあーと思ってベビーベッドに起こさないようにそーと寝かそうとするとすぐまた泣いていたうちの赤ちゃんが夜泣くこともなくぐっすり寝てくれたことです。
それはそれは天使に見えました。
主人も良かったねと言ってくれました。
生後3か月までは、どうして泣くのかお腹が空いているのかオムツの状態が悪いのか寒いのか暑いのかなどいろいろ考えて悩んでいましたが
ようやくホッとするときが来て本当に良かったと思いました。
生後3か月までは他の赤ちゃんお母さんにもどんな様子か聞いたりしていましたがほとんどの他の赤ちゃんはよく眠っていたようでいいね!とよく言っていました。
そんな感じでしたので生後3か月以降夜寝てくれたことは私にとっては忘れられない強烈な思い出です。
【当時】
34歳・専業主婦でした。




【強烈な思い出】
ベビーカーに乗せて、母やその友人と外にいた時に、急に赤ちゃんを触ろうとした人がいたことがありました。
例えば年配女性が、かわいいわねーなどと言ってきたら、あまり警戒しませんが、中年夫婦のような人たちが、何も言わずに手を伸ばして来たので、咄嗟に「やめて!」と声が出ました。
もしかしたら、ただかわいいなと思っただけかもしれませんが。
人の往来があるところで、その人たちもすぐに立ち去って何事もなかったのですが、怖かったです。
自分でも驚くような早さで、驚くような大きな声が出ました。
母にも、「あんたも強くなったわね」と言われて、私も守るものがあれば、強く出ることができるんだな、と嬉しくなったことを覚えています。
【当時】
35歳・専業主婦




【強烈な思い出】
よく覚えているのは、ウンチを漏らした時です。
生後3〜4ヶ月くらいの時に、料理を作っている間にバウンサーに座ってもらって待たせていました。
いつもたいてい機嫌が悪くて泣いていることがほとんどだったので、泣いてても料理を続けていました。
そして料理が終わってバウンサーから降ろしてみたら…バウンサーにシミがてきている。
ということはもちろん服は下着もカバーオールもウンチまみれ。
さらに、バウンサーから床に滴って床が濡れていました。
まさか床まで濡れているとは思わず、衝撃的でした。
その時はウンチまみれだったので、洗面台でお尻を洗ってあげました。
まだ母乳だけだったのでウンチもゆるゆるだったのでこのようなことが起こったのだなと思いました。
今は離乳食が始まったのでウンチも硬さが出てきました。
【当時】
36歳・会社員




【強烈な思い出】
私の時にはめったになかったことなのですが、夫がおむつを替えてくれていた時に、子供がうんちを大量に噴射したことが強烈な思い出です。
硬いうんちだとゆっくり出てくるので、出てきそうなことがわかるので受け止められますが、ゆるゆるうんちが勢いよく出てくると、受け止めるのも一瞬遅れて大変です。
夫は大変印象に残ったようで、その後何度も何度もその話をしていました。
その後は、気を付けて素早くおむつ替えをするように気を付けていましたが、おしっこをすることはあっても、うんちをすることはありませんでした。
夫も常にびくびくしていて、おしっこが出るとすぐにおむつを当てるようになりましたが、怖がっておむつ替えを全くしなくなる、ということにはならず、私も安心しました。
【当時】
36歳・公務員




【強烈な思い出】
生後6か月の時に、以前働いていた職場に顔見せに行ったときのこと。
事前に寝かせておむつも替え、ミルクも飲ませて機嫌の良い時間を見計らったつもりだった。
しかし一歩足を踏み入れた途端にギャン泣き。
いくらあやしても泣き止まず、おしゃぶりも咥えてくれないので大声で大迷惑をかけてしまった。
職場の人は皆先輩ママさんだったので代わる代わる抱っこしてみるが、人見知りで余計にびっくりしてしまったのか全く泣き止まないままで、お互いの声が聞こえないので久しぶりに会ったみんなともほとんど会話ができないまま帰ることになってしまった。
みんなは笑って対応してくれたが、申し訳ない気持ちだった。
【当時】
36歳・無色




【強烈な思い出】
退院した日に一晩中寝ないでちょっと追い込まれた気持ちになりました。
仕方ないと思いながらも横でいびきをかいているダンナにイライラしながら朝泣きながらダンナに朝のミルクだけあげてほしいとお願いしました。
朝から大泣きでダンナも困惑しているし、何があったのと聞かれてもうまく説明ができなかったです。
3時間置きの授乳がこんなにつらいとは思ってなかった上に、乳腺炎になりかけていておっぱいも痛いし寝れないし娘は泣くしでとにかくメンタルが最悪でした。
ダンナがとにかく優しくサポートしてくれなかったら娘は育ってないとすら思っています。
【当時】
36歳・不動産営業




【強烈な思い出】
育児中は寝不足、疲労、貧困、孤独、ワンオペ、色々な要因から育児ノイローゼになっていたと思います。
しかし、主人には子育てに帯しての理解がなくて、私が育児ノイローゼになった事を攻めて、喧嘩をする毎日でした。
経済的DVもあり、貧困の中での育児はストレスにあふれていました。
相談相手も居なかったので、なんとか耐えて耐えて、子供が大きくなるまでの辛抱だと、自分に言い聞かせながら過ごしていました。
孤独育児がこんなにも辛いものか、とおもいながら、子供の成長だけが救いでした。
子育てのなかでも赤ちゃんの時期は特別なものと信じて、なんとか踏ん張りました。
【当時】
36歳・専業主婦




【強烈な思い出】
初めて意志を持って笑いかけて来てくれたこと。
にっこりして、あんなに癒される、無垢の笑顔は見た事がなかった。
初めて、夜中に寝返りしたこと。
一人で、真っ暗な中一生懸命に寝返りの練習をしていて、かわいいと思った。
夜中にこっそり遊んでいるのかなとおもしろく感じた。
初めてパパ、パパと言ったこと。
何でもパパだったが、夫はとても嬉しそうで、その姿を見ることもとても嬉しかった。
ママはなかなか言わなかったので、おもしろかった。
離乳食を作っていた時、冷めたスープを入れていた鍋に、手を突っ込んで、大きな人参をむさぼり食べた時。
【当時】
36歳・専業主婦




【強烈な思い出】
生後3か月くらいの時にソファから落ちてしまったことです。
幸いソファ下に毛布が敷いていたので、怪我などの大事に至らなかったのですが、落ちてすぐに赤ちゃんは大泣きしました。
私も赤ちゃんが毛布の上とはいえ頭を打っていたので、ものすごく心配になり抱っこしてあやしながら必死にネット検索してどうしたらいいか戸惑っていました。
最終的には病院に行ったのですが、0歳児なのでCTは撮れないと言われて意識がはっきりしているので様子見ということで帰宅しました。
それから特に何もなく今も元気に過ごしていますが、あの時は生後3か月頃の赤ちゃんということで、私の心臓がつぶれるかと思うくらいショックだったので今でも忘れられません。
【当時】
37歳・専業主婦




【強烈な思い出】
よちよちとようやく歩き出すようになった1歳の娘。
早く家族で散歩をしたいなと思っていた私と主人。
そこで外用のスニーカーを購入!いざ履かせようとするとイヤイヤモード発生!しょうがないので靴下から練習することにしました。
靴下だと滑り止めが頼りなく、フローリングで滑って危ないなーと思ってました。
底が全部ラバーだといいなと思ってたら、『ベビーフィート』とい逸品を雑貨屋さんで見つけました。
靴下一体型のおかげで脱げることも少なく、外出先でちょっと立っていてほしいときなど本当に便利(タイツの上に履かせると滑らずより脱げにくいです)汚れたら洗えるし公園にも履かせて行っています。
他のお母様達からも、それどこの?と聞かれることが多いので、オススメしています。
【当時】
37歳・フリーランスデザイナー




【強烈な思い出】
生後半年ぐらいの時に、畳に敷いてあった布団から落ちて、その後片方の腕が動かないような感じを受け、救急病院に行ったことです。
整形外科の先生に診てもらった時、一応レントゲンとるけど、まだ骨が柔らかいから?とかで映らないと思うけど…と、小さな手を乗せてレントゲンを撮ってくれました。
結果、先生がこの手が痛いの?って娘の手をさすってくれたら、その瞬間から動き出し、何とも魔法をかけられたようでした。
要は気持ち次第、痛いの痛いのとんでけーってやってあげてたらすぐ治ったかもしれなかったぐらいの出来事でした。
でもやっぱり、赤ちゃんは話せないから心配になったら病院で診てもらうしかないですよね。
【当時】
38歳・主婦




【強烈な思い出】
産後一か月でワンオペで疲れ切った時、近所の児童館に赤子を連れて駆け込んだことがありました。
誰かと話をしないと気が狂いそうになり、児童館に到着して職員さんに我が子を抱っこしてもらった瞬間は、この上ない感情が沸きました。
「自分と夫以外の人がうちの子を抱っこしている!」という感動でした。
職員さんに「ママはお疲れでしょう?休んでいていいですよ」と言われて、泣きそうになりました。
児童館にはたった一時間半くらいの滞在でしたが、人に頼るって大事なんだなと思いました。
その日は帰宅して、夫に児童館に行った詳細を語りまくった記憶があります。
【当時】
40歳・団体職員(育児休暇中)